第十話 すれ違った気持ちの行き先(小森春香視点)
主な登場人物
小森春香:高校三年生。凄く穏やかで、ほんわかした空気をまとった女子。何事にも一生懸命で、とても優しい。あまり自分の意見を言わないので、色々と人から頼まれがちな性格。料理が得意。
村上健斗:高校三年生。涼しい顔をして、実は独占欲強めの不器用な男子。春香を前にすると、執着心が凄く、嫉妬深くなってしまう自分に少し戸惑っている。
森本修弥:高校三年生。春香の幼馴染で健斗の親友。優しくて頼り甲斐がある。彼女の京子のことを溺愛している。
木下京子:高校三年生。春香とは別の高校。頭が良く、進学校に通っている。春香と修弥の幼馴染で、修弥の彼女。
三年生になってから、胸の奥がずっと落ち着かない。
クラス替えで村上くんと離れてしまった、ただそれだけのことで、こんなに世界の色が変わるなんて。
二年生までに仲良くなった友達が居ないわけじゃないし、今のクラスだって楽しいとは思う。
けれど、村上くんに少し距離を置かれているこの状態が辛くて、心のどこかが、ずっとぽつんと取り残されているような、そんな感覚がずっとある。
以前は帰り道に手を繋いでくれたり、キスとか、恋人らしいやりとりが当たり前の様にあったのに、三年生になってからは、少しだけ二人の距離に隙間が開いた。まるで、付き合う以前の頃の様に。
あの時間が幸せだった分だけ、今の距離が、余計に胸に刺さる。はっきり何かを言われたわけじゃないからこそ、余計に、考え続けてしまう。
それは多分、他の人から見れば、気が付かない程度の些細な変化。
だけど、私には分かってしまった。
だって私は、村上くんのことが、好きで、好きで、仕方がないから。
春休みのあの日。
ベッドの上で、村上くんの顔が近づいた時、私は嫌じゃなかった。むしろ嬉しかった。
ただ、全部が初めてのことで、あの激しいくらいの強い熱を、どう受け止めたらいいのか分からなくて、息が詰まってしまった。
あの時、一瞬怯んでしまった、あの反応で、私は村上くんの心を傷付けてしまったのかもしれない。
もしそうだとしたら、この距離は、全部私のせいだ。
今更後悔してもどうしようも無いけれど、一瞬でも怯んでしまった自分を何度も悔いた。
悔いたところで、何の意味も無いのだけれど。
昼休み。
図書室で借りた本を返して、教室に戻ろうと廊下を歩いていた時のことだった。
村上くんのクラスの前を通りかかって、自然と足が止まった。
窓から見える彼の横顔。修ちゃんと話していて、ふはっと笑うその顔が、あまりにも眩しくて、胸の奥がぎゅっと痛くなる。
前は私と一緒にいる時にも、よく見せてくれていたのに、最近は見せてくれ無くなってしまった大好きな優しい笑顔。
とても切ないけれど目が離せなくて、そのままぼんやりと見つめていたら、二人の元へ、二人の女の子が近づいて行くのが見えた。
大人っぽくて男子にもとても人気で、女子の私から見ても、凄く綺麗だと思う二人。
自然に四人の輪ができて、楽しそうに話し始めた。
村上くんが彼女たちにふわりと微笑んで、会話している。
その光景を見た瞬間、胸の奥が音を立てて崩れていくような感覚がした。
まるでそこに、私の居場所は無いように思えた。
ああ……。なんだろう。凄く、遠いな。
誰がどう考えても、私なんかより、あの子たちみたいな女の子の方が、良いに決まってる。
そんなことは明らかで。
これまでの私だったら、きっとここで諦めてた。
自分の意思を優先して、深く何かを求めたことなんて、これまで無かったから。
でも、今の私には諦めるなんて、もう無理だった。
あなたにだけは、必要無いなんて、思われたくない。
だって、私にはあなたが必要だ。
こんなにも好きで。この気持ちを諦めたくない。
……こんなに強く想っているのに、もう前みたいには戻れないのかな。
そう思うと、涙が出そうになった。
ふと、村上くんの視線が、こちらに向きそうになった気がして、私は怖くて、反射的にパッと視線を逸らした。
今、目が合ってしまったら、多分、耐えられない。
私はそのまま、逃げるように踵を返した。
足が勝手に速くなって、廊下を足早に歩く。
中庭に着く頃には、胸がぎゅっと苦しくて、息が震えていた。
誰もいない場所に着いた途端、堪えていた涙が一気にこみ上げてくる。
でも泣いちゃだめだ、ここで泣いても何も変わらない。
そう思って唇を噛みしめた。
私がもっと、大人だったら。……私にもっと自信があったら。
あんな風に怯んだりせずに、ちゃんと「好き」って伝えられたのかな。
大好きだから、そんな風に距離を取らないでって、可愛く言えるのかな。
目の前が滲んで、見えなくなっていく。
涙が溢れそうで、必死にまばたきをしたその時。
ふいに、腕を掴まれた。
「……っ」
びくっと肩が跳ねる。
振り返りたくなくて、でも掴まれた腕が熱くて、逃げられなくて。
ゆっくり振り返る。
そこにいたのは、今、一番会いたくないと思っていた人。
村上くんが、驚いた顔で私を見つめていた。
息が止まった。
その視線に触れた瞬間、涙の栓がまた揺らぐ。
「……春香?」
低くて、どこか焦った声。
その声を聞いただけで、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
あの日から距離を置いたのは村上くんなのに、どうして。どうして、よりにもよってこのタイミングで追いかけてくるの。
こんなところ見られたく無かった。
こんな面倒くさい姿見られたら、もう本当に駄目かもしれない。
追いかけてきてくれたことへの嬉しさよりも先に、不安の感情が溢れてきてしまう。
だって、期待して、もしも違ってたら、きっと、今度こそ絶対に立ち直れない。
人を好きになるって、楽しいだけじゃ無い。
恋を知らなかった時には、こんな感情知らなかった。
恋は時に、人をこんなにも臆病で弱いものにしてしまうんだってことを知った。
止めていた涙が一滴、頬を伝った。そこから、堰を切ったように涙が溢れてきてしまった。
村上くんの表情が驚いたように動く。
「……もしかして泣いてる?」
困惑したその声を聞いた瞬間、張りつめていた心が大きく揺れた。




