第一話 席替え、君と初めて会話した(小森春香視点)
高校二年生の十二月初旬の放課後。
私、小森春香は今、胸の奥がきゅうっと縮むほどに緊張している。
同じクラスで片思いの相手でもある村上健斗くんを、クリスマスイブの日に公園で開かれるクリスマスマーケットに誘おうとしているからだ。
「……ねえ、村上くん。今、大丈夫かな?」
震える心を抑えつつ、帰ろうとしている村上くんに思い切って声をかけた。
「ん?うん、大丈夫だよ」
振り返った彼が、優しい声でそう返してくれた。その声音だけで、胸の奥がきゅっと熱くなる。
「良かった……。朝から話しかけたかったんだけど、今日村上くん、ずっと忙しそうだったから」
「ああ、ごめんな。なんか今日ずっとバタバタしてて……」
「ううん、むしろ、お疲れさま」
申し訳なさそうに返してくれる村上くんに、大変なのは彼なのにやっぱり優しいなと思って、心からお疲れさまと伝えた。
「……ありがとう」
少し照れたように微笑んでそう言うから、胸がまた跳ねた。
言うなら、今しかない。
私は一度深く息を吸って、聞いた。
「あのね、……十二月二十四日って、何か用事ある?」
「え……いや、何もないけど。……なんで?」
息が止まりそうなほど緊張して、胸が苦しい。
友達だったら簡単に誘えるのに、相手が好きな人になるだけで、何でこんなに緊張してしまうのだろう。
「あ、あの……良かったら、なんだけど。ほんとに何も他にすることが無かったらで良いんだけど、その……一緒に、クリスマスマーケットに行かない?」
言った瞬間、耳まで熱くなるのが分かった。
返事を待つ間の数秒が、永遠みたいに長く感じる。
ーー私と村上くんが仲良くなったきっかけは、六月のあの日に遡る。
ーーー
六月。梅雨の湿気と、まだ春の名残みたいな涼しさが混ざり合った空気が教室に漂う頃。
高校二年生になって二ヶ月が経ち、五月末の中間テストを終えてほっとしたところで、ついに初めての席替えの日が来た。
最初の二ヶ月間は名前を覚える目的もあって、名前順の出席番号の座席だったから、みんなこの日を心待ちにしていた。
誰と前後になるか、隣になるか。クラスの空気も変わるし、毎日の景色も、たぶん少しだけ変わる。
私も例外ではなく、近くに友達居たらいいな、黒板見えづらい席になりませんように、なんて些細な願いを心の中でこっそり唱えていた。
「はい、それじゃあ席番号書いた紙を一列ずつ回してー」
担任の先生の明るい声とともに、手のひらサイズの紙が回ってくる。
引いた紙をそっと開くと、書かれた番号は「37」。
黒板に張り出された座席表を見ると、一番窓際の、前から3番目の席だった。
窓際、嬉しいなと、ちょっとうきうきしながら自分の机を新しい席へ移動させる。
そして気づいた。
「……っ」
私の前の席。そこに座っていたのは村上くんだった。
胸が、きゅうっと縮まるみたいに痛くなった。
だって彼は、一年の頃から少し気になっている存在だったから……。
村上くんは、修ちゃん、ーー小学校からの幼馴染の森本修弥くんと仲が良いこともあって、存在は一年の時からその存在を知っていた。ちなみに修ちゃんとも高校一年ではクラスが離れてしまっていたけれど、今は同じクラスだ。
彼が修ちゃんと仲が良いからと言って、私との接点はほぼ無かったんだけど、一年の時に一度だけ、彼と話す機会があった。
修ちゃんに話したいことがあって探していた時、その隣に、村上くんが一緒にいただけだから、話したというより、その場に彼が居たという方が正しいかもしれないけれど。
うわぁ、かっこいい人だなぁと思った。
目がぱっちりしてるとかそういう派手な顔立ちじゃないのに整っていて、どこか大人びた印象をうけた。
あの時何を話したのかもう覚えて無いけれど、私が修ちゃんに話した内容が面白かったのか、彼がふはっと楽しげに笑って、大人びた顔がちょっと幼い印象になった。
その時の柔らかい雰囲気が、なんか凄くいいなって思ったのを、今でも覚えている。
男の子に対して、そんな感情を抱いたのは初めてだったから、何だか変な気持ちだった。
とはいえ、こちらが一方的にかっこいいと思っているだけで、彼は私とはまったく別の世界の人で。
もの静かで目立たない性格の私とは、三年間接点なんてないんだろうな。そう思っていた。
……なのに。
よりにもよって、村上くんの後ろの席……。
嬉しいはずなのに、緊張で胃がキュッと縮んでしまう。
前の席に彼が座る、その後ろに自分がいる。ただそれだけのことなのに、なんだか心の準備が追いつかない。
机を列に整えながら、胸の奥がずっとふわふわしていた。
村上くんは既に席に座っていて、窓の外を眺めている。その横顔がまた綺麗で、見とれてしまいそうになった。
……わ……、改めて見ると、やっぱりかっこいいなぁ。
けれど、見ていることがバレたら絶対に気まずいので、慌てて視線を逸らす。
きっと会話なんてほとんどすることないから、落ち着こう。
そんな風に自分に言い聞かせていた。
……でも、そんな予想も、不安も、実はちょっぴり持ってしまっていた淡い期待も。
この日の数学の授業で、全部飛び越えるほどのことが起こるなんて、その時の私は全く思ってもみなかった。
四時間目の数学の時間。
一通り解説を終えた先生が言った。
「はい、それじゃ問題集の大問4のところ、自分で解いてみてー。分からなかったら前後で相談していいぞー」
私は問題集を開いて、問題を解いていく。
あ、良かった、結構分かる。
そう思いながらシャーペンを走らせていると、前の席が動く気配がした。
「なあ、修弥、この問題……」
パッと目線を上げると、村上くんが振り返っていた。
私はその瞬間、心臓が止まったのかと思うほど驚いた。
そして村上くんも、同じくらい驚いていた。
いや、多分私以上だった。目を丸くして、口を半開きにしたまま固まる。
そして次の瞬間、彼の頬がぱっと赤く染まった。
「……あ、そうだ席替えしたんだよな……っ。うわ、恥ず……!」
両手で顔を覆いたくなるみたいな、そんな表情。
「突然ごめんな。数学、いつも修弥に聞いてたからさ……」
村上健斗と森本修弥。元から仲の良い二人が、二ヶ月間ずっと前後だったのだ。そりゃ相談しやすかっただろう。
その様子を想像したら、なんだかちょっと微笑ましくて、思わずくすっと笑ってしまった。
「ううん、全然大丈夫だよ。村上くん、修ちゃんと仲良いもんね」
「や、でもマジで恥ずい……」
頬を赤くして肩をすくめる仕草が、驚くほど可愛くてキュンとした。
胸がじんわり熱くなって、私は、そっと言った。
「ね、問題どれ?私、教えられるかも……」
「マジで!?これなんだけど」
そう言った瞬間、彼はぐいっと身を乗り出してきた。
ちっ……、近い……!
爽やかな香りがふわりと鼻先を撫でて、思わず息を飲んだ。
緊張がバレませんようにと祈りを胸に秘めながら、私は説明を始める。
「ここをこうして……あ、ここは符号が変わるから……」
村上くんは頷きながら聞いてくれた。
真正面から、まっすぐに。
緊張して内心ではなかり焦り気味だったけれど、なんとか最後まで説明することができて、ほっとした。
すると、彼は目を輝かせて言った。
「あー、なるほど。そうやって解くのか……。ありがとう、小森さん、すげえ分かりやすかった!」
嬉しそうに笑うその顔が、想像していたよりもずっと破壊力が強くて。
胸の奥で何かがぱちん、と弾けた気がした。
「ううん、お役に立てたなら、良かった」
私はなんとかそう返して、彼に笑顔を向けた。
そして、もう一度自分の問題に向かった。
けれどなぜか、まだ視線を感じる。
……ん、なんか……、見られてる?
気になって前を見る。すると、村上くんが前を向かずに、私を見ていた。
目が合って、ドキッと心臓が跳ねた。
「……っ!……どうしたの?他にも分かんないところあった?」
村上くんは一瞬ためらってから、少しだけ顔を寄せてきて、ひそひそ声で口を開いた。
「あ、いや。……ずっと気になってたんだけどさ、もしかして、小森さんって修弥のこと好きだったりする?」
「……っ!ち、違う違うっ!なんで!?」
声がひっくり返るくらい慌てて、けれど授業中だから私もひそひそ声で返す。
その反応に村上くんはちょっとだけ笑った。
「や、だって名前っていうか……あだ名?で呼んでるじゃん。小森さんがそんな風に呼んでる男子、他に居ないしさ」
「ああ、なるほど。……確かに。修ちゃんとは小中同じだから仲は良いけどね、別に好きとか、そういうのじゃないよ。修ちゃん、別の学校に彼女いるし。だからね、ほんとに、そう言うのじゃないの!」
どうしてか、村上くんに勘違いされたままなのは絶対に嫌だと思って、必死に説明した。
すると、村上くんは、ふはっと笑った。一年の時に見たあの柔らかい 笑顔と同じで、ドキッと胸が高鳴った。
「小森さん、めっちゃ必死に否定するじゃん」
「だ、だってびっくりしちゃって……」
そう言うと、村上くんはまた楽しそうに笑って言った。
「ていうか、修弥に彼女いるのも知ってたんだ」
「うん、修ちゃんの彼女も小中一緒で、親友なんだ。だからむしろその子との方が仲良いよ」
「へえ、なんだ。そっか……」
その言い方が、妙に優しくて、少し嬉しそうにも聞こえて、またドキッとした。
そして、彼は自然すぎる声で言った。
「数学教えてくれてありがとな、……、春香。マジ助かった。また分かんないとこあったらそん時は頼るな」
え、……春香って……。急に、名前。
耳の奥が熱くなるくらい、衝撃的だった。
「っ……」
何も言えない私を置いて、村上くんは前を向いた。
そのあとの数学の内容なんて、ひとつも頭に入ってこなかった。
ペンの先がぶるっと震えて何度もノートに変な線をひいて、そのたびに深呼吸して誤魔化した。
(村上くん、……私のこと……名前で呼んだ……)
この出来事だけで、胸がいっぱいになってしまった。
こんなにドキドキするなんて、聞いてないよ。
放課後。
帰りのホームルームが終わると、私は急いで教室を出た。
今日はこのあと、駅前のカフェで京ちゃんと会う約束をしている。
京ちゃんこと、木下京子ちゃん。頭が良くて進学校に通っている彼女は、高校は別になってしまったけれど、小さい頃からずっと一緒にいる幼馴染だ。
今日、村上くんとの話題にも上がった修ちゃんの彼女でもあり、私の一番の親友でもある。
(……京ちゃんと会うの、結構久しぶりだから楽しみだなぁ)
そんなことを思いながら、昇降口で上履きを脱いで、ローファーに履き替え、腕時計の時間をちらりと確認してから、私は学校を飛び出した。
駅前のカフェに着くと、ガラス越しに見える窓際の席で、京ちゃんが手を振っていた。
「はるかー!こっちこっち!」
扉を開けると、元気いっぱいの声が店内に弾む。
その声だけで、なんだか少し安心する。
「ごめんね、待たせちゃった?」
「ううん、私もさっき来たとこ。ほら、座りなよ」
向かいの椅子に座ると、ほわっと甘い香りがした。
テーブルの上のグラスには、ミルクティーらしきものと、すでに半分くらい減っているケーキの皿。
「春香もなんか頼みなよ。……っていうかさ」
じっと私の顔を覗き込んだ京子ちゃんが、ふっと目を細めた。
「春香、顔赤い。どうしたの?風邪でもひいた?」
「ち、違うよ……なんでもない……」
なんでもなくなんか、全然ない。
でも、恥ずかしくてちょっと言えそうに無かった。
注文を取りに来た店員さんにオレンジジュースを頼んで、メニューを閉じたところで、京子ちゃんがニヤニヤしながら口を開いた。
「ふーん?まあいいけど。……あ、そうだ。さっき修弥から聞いたんだけどさ、席替えしたんだって?」
「うん……」
「でさ。なんかあいつ、席順表の写メまで送ってきてさ」
そう言われて、修ちゃん、座席表まで送ってるんだ、と、咄嗟にそう思った。
でも、京ちゃんはなんだかとても嬉しそうにしている。
京ちゃん、一人だけ学校違うことずっと寂しいって言ってたから、そういう理由もあるんだろうな、と思って、なんだか心がほっこりとした。
「修ちゃん、相変わらず京ちゃんのこと、大好きだよねぇ」
そう言うと、京ちゃんはちょっとだけ顔を赤らめて、「私たちのことはまあ、別にいいのよ」と言った。
「それより!」
一拍置いて、わざとらしく声を低くする。
「この春香の前の席の村上って人、この前春香がかっこいいって言ってた人だよね?」
突然、京ちゃんの口から村上くんの名前が出て来てビクッと肩が跳ねた。
「う、うん、そうだけど……、よく覚えてるね?」
そう言うと京ちゃんが食い気味に言ってきた。
「忘れる訳ないでしょ。あの年中ぽややんしてるあんたが初めてかっこいいって言った人の名前よ?」
そしてちょっと揶揄い気味な声音で、ニヤニヤ笑いながら続ける。
「その人の後ろとかさぁ……、春香、死ぬほど緊張してんじゃない?」
ふふっと楽しそうに笑う京ちゃん。
今日の数学の時間にあったことも相まって、思わず頬に熱が集まる。
赤くなっている事を誤魔化そうと、届いたオレンジジュースのストローに口をつけたけど、全く効果は無くて、観念してポツリと呟いた。
「……うん。緊張、してる……」
小さな声で認めると、京子ちゃんはふふっ、と楽しそうに笑い出した。
「だよね?絶対そうだと思った!いやー、いいねぇ……青春だねぇ」
「もう……京ちゃん……。からかわないでよぉ……」
頬がますます熱くなるのを感じて、視線を落とす。
テーブルの木目がやけに鮮明に目に入ってきて、そこばかり見つめてしまう。
京子ちゃんはそれでも笑いながらも、ちょっと優しい声になって言った。
「でもさ、良かったじゃん。これをきっかけに距離縮まるかもよ?」
「……そんなわけないよ……」
口では否定するけど、頭の中にはさっきの光景が何度もリピートされる。
村上くんが照れくさそうに頬を赤くしていたこと。
ぐいっと近づいてきた時の距離。
そして。
ーー『数学教えてくれてありがとな、……、春香』
あの瞬間を思い出して、胸の奥に小さな火が灯るみたいに、じんわりとあたたかさが広がっていく。
「……ね、春香。進展あったら教えてね。春香と恋バナ出来るの、凄く嬉しいからさ」
本当に嬉しそうにそう言った京ちゃんに私は照れながら、小さく頷いた。
そのあと私たちは、いつものみたいにくだらない話をたくさんした。
修ちゃんの話、京ちゃんの学校で四月にいきなりあったという抜き打ちテストの話、最近ハマってるドラマの話。
だけどその全部の合間に、私は何度も、今日の出来事を思い出しては、心の中でそっと抱きしめ直していた。
でも京ちゃんにはお見通しで、「あんた、どんだけ村上くんのこと好きなのよ」って笑いながら揶揄われてしまった。
家に帰って、お風呂に入って、宿題をして。
いつも通りの夜のはずなのに、布団に潜り込んだ瞬間、今日一日の出来事をまた反芻してしまう。
(……春香、って……)
あの、一言。あの声のトーン。ふはって笑った、あの笑顔。
思い出した瞬間、胸がぎゅっとなって、枕を抱きしめた。
「……うぅ……」
自分でもよく分からない声が漏れる。
恥ずかしくて、くすぐったくて、苦しいのに幸せで。
こんな気持ち、初めてで。
この日から、私と村上くんの物語が、静かに、でも確かに動き始めた。
見つけてくださり、お読みいただき、誠にありがとうございます!
クリスマスに向けて、中編小説の連載を開始します!だいたい十話前後で完結する、中編作品を予定しています。
本作は、高校生の学園ラブストーリーです。
ホットチョコよりも甘い、キュンとする甘々な恋愛ものを目指して、書いていきたいと思っております。
続きも読んでいただけると嬉しいです!
どうぞよろしくお願いします!
陽ノ下 咲




