3-33話:微笑む案内人①
中央ラボを出た瞬間、ジェンから送られた座標へ向けて二人は走り出した。
戦場へ近づくにつれ、焼けた金属と焦げた樹脂の匂いが空気の底に澱のように沈んでいく。
レミナは思わず足を止めた。
モニター越しに見ていた光景と、いま自分の足で踏みしめている現実とでは、重みがまるで違う。
肺に流れ込む空気は熱を帯び、喉の奥を焼いた。
遠くで爆発が起きるたび、地面が低く震える。
「レミナ、大丈夫?」
隣でテルルが不安そうに見上げる。
その優しい声だけが、ここが戦場の中だという現実を、ほんの少しだけ遠ざけた。
「……うん。行きましょう」
小さく息を吸い、レミナは頷く。
二人は再び走り出した。
並んでいた施設群は無残に崩れ、瓦礫が通路を塞いでいる。
崩れた壁の向こうでは炎が上がり、黒煙が低く空を覆っていた。
転がるζ型ドールズの残骸。
溶け落ちた装甲。
そして鼻を刺す、焦げ付いたメルキュリアの匂い。
「……やっぱり、多い」
胸の奥で不安がゆっくりと膨らんでいく。
そのとき。
ガシャリ、と金属を引きずる音が響いた。
曲がり角の影から、細長い異形のシルエットが現れる。
異様に長い四肢。逆関節に折れ曲がった歪な機体。
「ζ型……!」
一体ではない。
死角から、ぞろぞろと影が溢れ出す。
視認できるだけで三十体近い。
赤い単眼が、一斉にこちらへ向いた。
「レミナ、下がって!」
テルルが前へ出る。
小さな体でレミナを庇うように立ち塞がった。
次の瞬間、ζ型たちが同時に跳躍する。
テルルは即座に大鎌を構えた。
重い金属音とともに刃が展開し、屋外戦闘用のフルサイズへ変形する。
迫る一体の首が、横薙ぎの一閃で宙を舞った。
火花と黒煙が弾ける。
「レミナ、下がってて……まだ来るよ!」
二体目が身体をくねらせ、予測不能な軌道で突っ込む。
テルルは地面を蹴って横へ転がり、その脚部を切り裂いた。
だが、減らない。
むしろ包囲はじわじわと狭まっていく。
「テルル、囲まれてる……!」
四方を塞ぐようにζ型が展開する。
背後の通路にも、いつの間にか回り込まれていた。
逃げ道はない。
テルルの呼吸が荒くなる。
それでも一歩、前へ出た。
「レミナは下がって! 絶対、後ろにいて!」
「でも……!」
「お願い!」
その声に、レミナの足は凍りついた。
医療キットのバッグを抱きしめたまま、動けない。
テルルが突っ込む。
回転する刃が二体をまとめて切り裂く。
だが横合いから伸びた金属の腕が、テルルの脇腹をかすめた。
「っ……!」
小さな体が弾き飛ばされ、瓦礫に叩きつけられる。
「テルル!」
駆け寄ろうとしたレミナを、テルルが手を上げて制した。
左腕の装甲が割れ、内部フレームが露出している。
それでも立ち上がる。
「まだ……いける……!」
歯を食いしばり、大鎌を振るう。
一体の胴体が両断された。
だが背後から別のζ型が飛びかかり、テルルを地面に押し倒す。
火花が散る。
装甲が軋む、耳を塞ぎたくなる音。
至近距離から刃を突き上げ、敵の頭部を貫く。
だがその隙に、さらに三体が距離を詰めた。
「やめて……」
レミナの足が震える。
戦えない。守る力がない。
テルルは片膝をつきながら立ち上がる。
脚部から火花が散っていた。
それでもレミナの前に立つ。
「レミナを……守るって……約束したから……」
掠れた声。
その小さな背中が、やけに大きく見えた。
ζ型たちが円を描くように包囲を狭める。
赤い光が無数に瞬く。
レミナの視界が滲む。
「ごめん……テルル……ごめんね……」
レミナの頬にメルキュリアの涙が流れる。
震える手でバッグの紐を握りしめることしかできない。
次の瞬間、ζ型が一斉に跳躍した。
「テルル――!!」
テルルは大鎌を振りかざす。
だが死角から飛びついた一体に体勢を崩された。
そこへ群れが覆いかぶさる。
一体、二体、三体――
瞬く間に十体近いζ型がテルルの上に折り重なった。
鋭い爪が装甲に食い込み、歯が外装を噛み砕く。
金属が裂ける音が響いた。
「――ぁあああっ!!」
テルルの叫び。
しかし、次の瞬間――
轟音が空気を引き裂いた。
衝撃波のような振動。
閃光が視界を白く染める。
テルルに群がっていたζ型がまとめて吹き飛んだ。
胴体を撃ち抜かれ、四肢を千切られ、瓦礫の向こうへ叩きつけられる。
遅れて、乾いた銃声が届いた。
「麗しいお嬢さん方……ご無事ですか?」
静かな声だった。
煙の向こうに立っていたのは、見知らぬドールズ。
長身で華奢な体躯。
端正な顔立ちに、感情の読めない微笑。
その手には、体格に不釣り合いなほど巨大な長銃が握られている。
メイズと同じ意匠のスーツ。
長い焦茶の髪を後ろで束ね、鋭い眼光を宿した青年。
彼はテルルとレミナを見て、やわらかく微笑んだ。
「ご無事でよかった」
状況が飲み込めないまま、レミナがかすれた声で問う。
「あなたは……誰?」
青年は優雅な所作で一礼する。
「私の名はエルド。ガデンツァ初期メンバーの一人でございます」
友好的な挨拶。
だが、その姿を一目見た瞬間、二人は本能的に理解していた。
――この存在は、明らかに格が違う。
この邂逅が何をもたらすのか。
まだ二人には、答えを出すことはできなかった。




