表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

61/67

3-29話:血針の女王⑤

 光が、ゆっくりと収束していく。

 エレメイの胸部コアを包んでいた女神の輝きは、朝霧に溶けるように薄れ、やがて静かに消えた。

 残されたのは、わずかに上下する胸と、かすかな駆動音だけ。

 アルテットは震える手で、そっと彼の頬に触れる。


「……エレメイ?」


 返事はない。

 だが、止まりかけていたはずの鼓動は、確かに続いている。

 ドクン、ドクン――

 弱い。

 けれど、生きている音だった。

 その事実だけで、胸の奥が崩れ落ちそうになる。


「成功だよ」


 リディナシエが静かに告げる。

 優しい声なのに、どこか遠い響きを帯びていた。


「ただし……完全ではない」


 アルテットはゆっくりと顔を上げる。


「覚悟の上だ」


 リディナシエは一瞬目を伏せ、慎重に言葉を選んだ。


「この子のコアは致命的な損傷を受けていた。機能を繋ぎ止めるために、記憶領域と感情制御の一部を切り離し、再構成してある」


「……つまり?」


「君のことも……このノクティリカでの思い出も、失われている可能性が高い。加えて、戦闘能力にも影響が出ているだろう」


 その言葉は、銃弾より静かで、刃より深く胸に刺さった。

 アルテットの呼吸が止まる。

 それでも、視線は逸らさない。


「でもね」


 リディナシエは続ける。


「すべてが消えたわけじゃない。表層が崩れても、“核”は残っている。いずれまた導かれるはずだよ。君たちはきっと、何度でも惹かれ合う」


「……本当か?」


 かすれた声。


「慰めじゃない。私は救える命を繋いだだけ。奇跡を起こせるわけじゃないよ」


 アルテットは、眠るエレメイを見つめる。

 死の淵にいたとは思えないほど、穏やかな顔。


「……いいんだ」


 低く、震える声。


「忘れられてもいい。生きてさえいれば、これから何度だって思い出は作れる」


 リディナシエは、アルテットの頬を伝うメルキュリアの涙に気づきながら、あえて触れず、ただ柔らかく微笑んだ。


「君は……かつての私を見ているようだ」

「違う」


 アルテットは首を振る。


「私は、エレメイがいないと生きていけない。ただの弱虫だ。あなたみたいに……強くない」


 リディナシエは答えない。

 ただ、優しい光を一瞬だけエレメイに落とし、静かに翼を広げた。


「私はもう、行くね。このことは誰にも――」


「言わない」


 アルテットは顔を上げる。


「あなたを思い出した。――あなたがどんな気持ちで、あの決断を下したのか。あなたはずっと、ずっと、ひとりで……」


 言葉が喉で止まる。

 踏み込めば、その痛みに土足で触れてしまうと分かっていた。

 この女神の成したことは、言葉で触れていい領域を超えている。

 そこにあるのは、どうしようもない愛と、罪と、罰。

 理解した気になることさえ、図々しいと感じた。


「女神リディナシエ様……いや、リディン様。ご加護に感謝いたします」


 真っ直ぐに敬礼する。

 リディナシエは、ふっと微笑んだ。


「恋するすべての乙女に、安らぎと、希望と、目映い女神のご加護があらんことを」


 ふわり、と白い羽が舞い上がる。

 朝日を背に、女神の姿は霧の向こうへ溶けていった。

 静寂が戻る。

 遠くで、瓦礫が崩れる音だけが小さく響いた。

 アルテットは、ゆっくりとエレメイを抱き上げる。

 軽い。

 あれほど頼もしかった相棒の身体が、今は壊れ物のように感じられた。


「帰るぞ」


 返事はない。

 それでも構わなかった。

 一歩踏み出すたび、足元の銀色の血が朝日に照らされて光る。

 その軌跡は、ここで確かに“命を繋いだ証”のようだった。

 歩きながら、アルテットはぽつりと呟く。


「次会ったときさ」


 眠る顔を見下ろす。


「初対面みたいな顔するんだろうな、お前」


 少しだけ笑う。


「その時は、ちゃんと自己紹介してやるよ」


 霧の向こうに、中央ラボのシルエットが見えてくる。

 戦場が終わる。

 けれど――

 二人の関係は、ここからまた始まる。


「よろしくな、エレメイ」


 朝日が、二人の背中を長く照らしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ