3-27話:絶望の観測者④
オルダの頭の奥で、けたたましい警報音が鳴り響いた。
まるで脳髄そのものを叩き割るかのような、無機質で冷酷な電子音。
『メルキュリア漏出甚大――全身のメルキュリア残量、30%を下回りました。直ちに補給を行ってください』
次の瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
天地が反転したかのような激しい眩暈に襲われ、膝が崩れ落ちそうになる。
脳を直接かき回されているかのような激痛。
思考が白濁し、意識が遠のく。
それでも――
オルダは、歯を食いしばって立ち上がった。
ふらつく身体を無理やり支え、砂に沈みかけた足を踏みしめる。
その赤黒く濁った瞳が、まっすぐにアウロラを捉えた。
憎悪。
殺意。
そして、理性の底が抜け落ちた獣の眼。
目尻から、銀色の液体――メルキュリアがとろりと零れ落ち、頬を伝って滴り落ちる。
その異様な姿に、アウロラは喉の奥から悲鳴を漏らし、腰から崩れ落ちた。
「ひ……っ……」
言葉にならない声。
恐怖で身体が凍りつき、指一本すら動かせない。
次の瞬間。
「――グオオオオオオオオッッッ!!!」
獣の咆哮のような叫びが浜辺に轟いた。
空気が震え、砂が跳ね、鼓膜が破れそうなほどの音圧が周囲を支配する。
地面が揺れたかのような錯覚に、アウロラは思わず両耳を塞いだ。
――セルヴィータ状態。
その言葉が脳裏をよぎった瞬間、背筋を氷の刃でなぞられたかのような悪寒が走る。
武器を持たぬオルダは、左脚で砂を蹴り、大きく踏み切った。
次の瞬間には、視界いっぱいに迫る巨影。
「きゃああああっ!!」
悲鳴と同時に、アウロラは反射的に両腕で顔を覆った。
だが――
轟音。
オルダの拳は、彼女に届かなかった。
彼女の前に、鋼鉄の巨体が割り込む。
特別製のζ型が、主を庇うように立ちはだかっていた。
「ミハイル、撤退よ! オルダは一旦捨てるしかない! 私が逃げる時間を稼ぎなさい!」
叫び声を張り上げながら、アウロラは必死に命令を下す。
生き残っているζ型は一体のみ。
デューラを撃ち抜いた、最高傑作――ミハイル。
他のζ型はすでにクラッシャーによってフェイクコアごと粉砕され、浜辺に無残な残骸を晒していた。
「くそ……ミハイル一体いれば十分だと思ってたのに……!」
アウロラは踵を返し、必死に砂浜を駆け出す。
波打ち際に足を取られながら、息も絶え絶えに走る。
その背後で、金属と金属が激突する轟音が炸裂した。
ヒュン――ッ!
風を切る音。
次の瞬間、進路の先に巨大な影が落ちてくる。
ドズン、と砂浜に突き刺さる金属塊。
それは――ミハイルの腕だった。
切断面から火花を散らしながら、砂の上を転がる。
オルダはすでにミハイルを屠り、その腕を投げ捨てていたのだ。
「あ……あ……」
喉がひくりと引きつる。
恐怖で全身が硬直し、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。
ゆっくりと、ゆっくりと――
理性を失ったオルダが歩み寄ってくる。
砂を踏みしめる音が、死の足音のように響く。
「わ、私は……戦闘なんてできないんです……Δ型なんです……!」
震える声で、必死に命乞いをする。
「デューラのことは……ごめんなさい……!」
だが、次の瞬間。
オルダの手が、彼女の喉を鷲掴みにした。
「――っ!?」
軽々と持ち上げられ、足が宙に浮く。
呼吸が詰まり、視界が暗転する。
「ごめんなさい! ごめんなさい!!
ほら、謝ってるじゃないですか!! やめてぇぇぇ!!」
涙と嗚咽が混じった叫び声も、もはや届かない。
無表情のまま、オルダは彼女の肩に鋭い爪を突き立てた。
皮膚を貫き、肉を抉り、骨に食い込む。
「ぎゃああああああーーーっ!!!」
断末魔が浜辺に響き渡り、アウロラのメルキュリアが飛び散る。
「うぅ……あ……うう……」
嗚咽が零れ、視線が虚ろに揺れる。
オルダはなおも容赦なく彼女の肩を引き裂こうとした――その時。
轟音とともに、背後から衝撃が走った。
「……ッ!」
オルダはアウロラを放り投げる。
砂浜を転がる彼女の視界に、再び立ち上がるミハイルの姿が映った。
フェイクコアは五基搭載。
すべてを破壊するまで沈黙しない仕様。
だが、それも長くは続かない。
オルダは確実に残るコアを見つけ出し、粉砕するだろう。
――残された時間は、せいぜい数十秒。
朦朧とする意識の中、アウロラは必死に思考を巡らせる。
残る方法は、ただひとつ。
「――ウルティリウス様ぁっ!
たすけてくださいっ! ウルティリウス様!! 私をたすけてください!!」
両目いっぱいにメルキュリアを溜め、顔を歪めながら叫ぶ。
そこに、かつての余裕と尊大さは微塵もなかった。
オルダはミハイルをものの数秒で再び蹴散らし、一直線にアウロラへと駆け寄る。
邪魔をされた獣が獲物に噛みつくように、凄まじい勢いで腕を伸ばした――
その時。
「オルダ、駄目だよ。女の子には優しくしないとね」
その腕を掴んだのは、見知った顔と、慣れ親しんだ声。
――ウィル。
「グオオオオオオ!!」
オルダが咆哮する。
もはやその目に、味方も敵も存在しない。
だがアウロラは、彼に向かって縋りついた。
「ウルティリウス様っ!!!」
オルダの意識の奥で、違和感が弾ける。
(……ウルティリウス?
どうして……ウィルを、そんな名前で呼ぶ……?)
セルヴィータ状態のオルダでさえ、掴まれた腕を振りほどけない。
圧倒的な威圧感。
抗えない力の差。
「そうだね」
ウィルが優しく微笑み、オルダを見つめる。
「ボクがウィルこと、ウルティリウス。三神ヴァルキネスの後継機であり――君たちノクティリカ島の裏切り者だよ」
その背には、禍々しくも神々しい翼が広がっていた。
ウルティリウスの正体が…ついに。




