3-26話:血針の女王③
朝靄の中、ジェンの足音が遠ざかっていく。
瓦礫を踏み越え、仲間のもとへ向かう背中は一度も振り返らなかった。
その覚悟を見届け、アルテットは静かに息を吐く。
「……さて」
銃を構え直す。
湿った空気が肺に重く沈み、霧の向こうからは崩れた建造物の軋む音が微かに響いていた。
「舞台は整ったな、ルーチェ」
操られたままのエレメイは地に伏し、苦悶の呼吸を繰り返している。
その身体を踏み越え、ルーチェは瓦礫の上に立つ。まるで玉座に腰掛ける女王のようであった。
「ふふ……邪魔者は消えたわね」
紅い唇が吊り上がる。
「二体のα型が同時に同じβ型を操るとき、よりシグナルが強いほうが優先される……私とあなたで力比べといきましょうか」
霧の中で、ルーチェの瞳が妖しく光る。挑発するような笑みを向けられても、アルテットは乗らず、つまらなそうに首を振った。
「……生憎、私はα型だが、誰かを操るのは嫌いなんだよ。ウィルに言わせりゃ、私は異端らしいな。誰かを操ろうなんて、私から言わせれば傲慢だ」
「嘘つき。エレメイくんと協力して、散々人間を殺し回ってたくせに」
ルーチェはうふふと笑い、自身の武器である針を構える。
「指示と支配は違う。私は指示は出すが、支配はしない。戦争が終わってからは、一度もα型の力に頼ったことはない」
「馬鹿ね。α型はβ型に比べて圧倒的に戦力で劣るのよ?そんな縛りプレイしてたら、いつか死ぬわ!本当に、気にくわない女」
ルーチェは指を鳴らした。
エレメイの瞳が、再び赤黒く濁る。
「さあエレメイくん。あなたの手で、愛するアルテットさんを壊しなさいっ!」
エレメイの顔が歪む。
歯を食いしばり、悲鳴のような呼吸を漏らしながら、それでも身体は命令に従って突撃した。
アルテットは瞬き一つせず、彼を迎え撃つ。
ザクリッ――
刃が肉体を裂く。
心臓を避け、肩口に深く突き刺さった刃からメルキュリアが噴き出した。
それでもアルテットは怯まない。
踏み込み、エレメイの身体を抱き寄せる。
「よく聞け。このまま私に抱かれとけ」
エレメイの動きが止まる。
その刹那。
アルテットは彼を抱きしめたまま、ノールックで引き金を引いた。
乾いた銃声。
弾丸は霧を裂き、ルーチェの頬を掠めて瓦礫に突き刺さる。
「……チッ」
ルーチェは大きく後退し、舌打ちした。
「エレメイくん、何をしているの!? 早くアルテットさんを――」
さらに命令を送る。
だが、エレメイは動かない。
アルテットの腕の中で、まるで守られることを選んだかのように立ち尽くしている。
「直接命令コードを仕込んだ。私のツインユニットだからな、こいつは」
「はっ?」
「お前の相方は早々と鉄屑になってしまったようだから、知らないのも無理はない。元々イーサー製品は2体ペアで連携戦術が組めるようになってるんだよ」
「コードを入力する暇なんて、与えてない!!」
「まあ、そりゃそうだな。恥ずかしいから、見られたくなかっただけだ。一瞬で済む」
「な、な、何それ!!?」
「私が知るかよ。元々私たちは、そういう設定だったってことだ」
アルテットは肩をすくめ、エレメイの頭を軽く撫でる。
「やあ、エレメイ。気分はどうだ?」
「アルテット……俺はとても気分がいい」
口付けをされた手前、エレメイは彼女の顔を直視できず、目を伏せがちに見つめた。
「そうか。じゃあ暴れてこい」
アルテットは照れることなく、ニカッと歯を見せて笑った。
「ちょ、ちょっと待って、ずるいずるい! 1対2なんてずるいでしょ! ダメダメ! それにさっき、支配するのは傲慢とか言っていたじゃないの! それはいいの!?」
途端に窮地に立たされたルーチェが喚き散らす。
「戦場で敵の言葉を鵜呑みにするのは危険すぎるな」
アルテットの返しに、ルーチェの顔が歪んだ。
先程までの余裕は、もはや微塵も残されていない。
「ルーチェ……てめえ、よくも俺を操ってくれたな……」
エレメイが一歩前に出る。
その瞳には、もはや命令の光はない。
あるのは怒りと、悔恨と、そして燃えるような意志だけだった。
「返してもらうぜ。俺の身体も、俺の心も」
エレメイは鎖鎌を構え、地面を蹴る。
瓦礫を砕き、風を切り裂き、一直線にルーチェへと突進する。
「っ……この出来損ないが!!」
ルーチェは針を乱射する。
だがアルテットの銃弾がそれを撃ち落とし、霧の中で火花が弾けた。
「形勢逆転だな」
アルテットは引き金を引き続けながら、低く笑う。
「きゃあああああ!!」
叫び声を上げて後退するルーチェへ、エレメイの鎖鎌が振り下ろされる。
鎌は首に突き刺さり、激しくメルキュリアが流れ落ちた。
「痛い痛い! やめて、痛いことしないで!! やめて!」
子供のように泣き喚く姿に、エレメイは思わず二撃目を躊躇した。
(散々戦場で嫌というほど人間を殺し回っていたというのに――どうして俺の腕は動かない?)
その一瞬を、ルーチェは逃さなかった。
エレメイの武器を奪い取り、逆にその心臓へと突き刺す。
口からメルキュリアを吐き出し、エレメイは地面へと倒れた。
「キャハハハハ! 馬鹿じゃないのぉ!!!? キャハハハ!!!死ね死ね死ね!!!!」
狂ったように笑い声が霧に響いた。
――次の瞬間。
ルーチェの頭がはじけ飛んだ。
アルテットの弾丸が、彼女の脳天を貫いたのだった。
傲慢な女王は崩れ落ち、二度と動かなかった。
「エレメイ――!!」
アルテットが駆け寄り、屈み込んで彼の顔を覗き込み、肩を抱き寄せる。
「――嘘だ。死ぬなよ……死ぬな!!!」
いつも強気で冷静な彼女の瞳から、大粒のメルキュリアの涙が滴り落ちた。




