3-25話:絶望の観測者③
砂を踏みしめる音が、やけに大きく響いた。
波の砕ける音に混じって、潮風がメルキュリアの匂いを運んでくる。
金属と熱と、焦げた回路の匂い。肺の奥まで染みつくような、生命の匂い。
オルダは、ゆっくりと立ち上がった。
膝は小刻みに震え、踏みしめた砂が指の隙間からさらさらと零れ落ちる。
体重をかけるたび、地面が頼りなく沈む。
だが、それは恐怖から来るものではなかった。
胸の奥で、何かが焼き切れる音がしていた。
(俺がウィルに単独行動を許したから。様子ばかり伺って、踏み込まなかったから。デューラは怯まずに、命を懸けて戦ったのに……それなのに、俺は――)
視界の端で、砕け散った装甲の破片が朝日を弾く。
その向こうに転がる、かつて仲間だったもの。
全身のメルキュリアが熱を帯びる。
「……殺す」
捻り出した声は掠れ、乾いていた。
自分の声とは思えないほど低く、壊れかけの機械の唸りのようだった。
アウロラは楽しげに首を傾げる。
陽光を受けたエメラルドの髪が、さらりと風に揺れる。
「物騒だね。さっきまでの君は、もう少し冷静だったはずだけど」
「黙れ」
オルダは武器を構えた。
握った柄は指に力を込めるたび微かに軋む。
レイピアの刃が朝日を反射し、白く煌めいた。
「よくも……よくもデューラを……」
「“出来損ない”が壊れただけさ。感傷に浸るほどの価値はない」
その言葉が、最後の導火線だった。
オルダの視界が白く弾ける。
耳鳴りが世界を塗り潰し、音という音が遠ざかる。
――瞬間、地面を蹴った。
砂塵が舞い、風が裂ける。
視界が一直線に収束し、世界にはただ一つの標的しか残らない。
アウロラの喉元。
「――ッ!」
だが、刃は届かなかった。
切っ先が触れる寸前、手が小刻みに震え始める。
筋肉が拒絶するように硬直し、関節が悲鳴を上げる。
思考に反して、身体が言うことを聞かない。
指がもつれ、レイピアが乾いた音を立てて砂に落ちた。
アウロラは一歩も退かず、冷ややかな瞳でオルダを見下ろしていた。
「Δ型へ攻撃ができるはずないじゃないか。気でも狂ったの?いつも冷静な君らしくないよ」
ふっと微笑み、両腕を広げる。
「さあ、おいで。私が君を変えてあげる」
ゆっくりと歩み寄り、硬直したオルダを抱きしめる。
頬に触れる体温は人のそれと変わらない。
それなのに、背骨の奥を冷たいものが撫でていく。
柔らかく、温かい――
それでいて、底知れぬ冷酷さを孕んだ抱擁。
ぞくり、と悪寒が背中を駆け上がった。
「この特別なζ型たちはね、かつて君の同胞だった者たちを改造して作ったんだよ。君はもっと強くなれる。私の欲しかったカオスシリーズの君は、最高傑作になる」
金縛りのように動けない身体。
関節は凍りつき、命令信号が遮断されたかのように反応しない。
どうしようもない自己嫌悪が、胸を締め付ける。
(Δ型を攻撃しようなんて、今まで考えたこともなかった。……こんな欠陥があったなんて)
「ふふ、そんなに震えなくていいんだよ」
アウロラは身体を離し、ζ型へ指を鳴らして合図を送った。
「連れていきなさい。ラボで私好みに改造するから。丁重に扱ってね」
巨体のζ型が歩み寄り、オルダを掴み上げる。
まるで荷物のように背中へ担ぎ上げられ、視界が大きく揺れた。
アウロラは満足そうに踵を返し、海辺へと歩き出す。
波の音が、やけに遠く聞こえる。
(考えろ……考えろ……)
運ばれながら、オルダは必死に思考を回す。
(俺は何もしていない。デューラの首が飛ぶのを、ただ見ていただけだ。俺の判断が間違っていたから……あいつは――)
脳裏に浮かぶのは、かつての光景。
デューラがふざけ、レミナが呆れ、自分がそれを見守っていた時間。
当たり前のように続くと思っていた、仲間との日常。
(……終われるわけがない)
震える指先を、少しずつ動かす。
何度も、何度も命令信号を送る。
やがて、左手がわずかに言うことを聞き始めた。
(俺は……ここで、終わる奴じゃない!!)
復讐の炎が、胸の奥で燃え上がる。
オルダは、震える左手で自らの右胸を強く突いた。
「――なっ!? 何を……!」
アウロラが初めて、動揺の色を見せる。
装甲の隙間から、銀色のメルキュリアが溢れ出す。
体内圧に押し出されるように噴き出し、砂の上に飛び散る。
止めどなく流れ落ち、白い砂を濡らしていく。
「聞いたことがある……レミナから」
苦しげに息を吐きながら、オルダは笑った。
「セルヴィータ。メルキュリアの大量漏出で起こる、バグとされた暴走モード……敵味方の区別がなくなる代わりに、制限が消える」
アウロラの表情が歪む。
「正気じゃない……!セルヴィータは確実なものじゃないし、運だって絡むんだ!」
激痛に耐えながら、オルダは唇を噛み締め、ニヤリと笑う。
「――俺はもう、賭けるしかねぇんだよ」
オルダの瞳が、燃えるように光る。
赤熱する視界の中で、世界が歪み、輪郭が溶けていく。
「これで……Δ型だろうが関係ない。お前を、殴れる」
ζ型の背中から身を投げる。
空中で身体を捻り、落下の勢いを殺意へと変換する。
「さあ、アウロラ――」
銀の軌跡を引きながら、一直線に飛びかかる。
「一緒に地獄へ行こうか!!!」




