3-10話:孤独な監視者
電子ロックの冷たい音が、十五階の廊下に連鎖するように響いた。
一人、また一人と扉の向こうに消え、残ったのはジェンと、重苦しい静寂だけだった。
『イレギュラーがない限り朝七時までは部屋を出ないこと』
そうルールを課してある。内側からは容易に開けられるが、逆に他人の部屋へ侵入するのは難しい。だからこそ互いを守るため、全員に室内での待機を命じたのだった。
見張り室は階の中央、四方に伸びる廊下を見渡せる位置にある。
ジェンは椅子に沈み、短く息を吐いた。
(……全員部屋に入った。少なくとも今は孤立している)
だが同時に、恐怖が胸を締め付ける。
扉一枚隔てた向こうに潜むのは、仲間か、それとも――殺意か。
ジェンは机の上に短剣を置き、額に手を当てる。
脳裏には、無惨に頭部だけ残されたキリルの姿が焼き付いて離れなかった。
(見せしめ……本当にそうなのか?次は誰を……)
沈黙を裂く、わずかな金属音。
反射的にアスペラを握るが、それは自動空調の切り替え音だった。
「……気を張りすぎか」
苦い笑いを浮かべても、胸の緊張は解けない。
*
時は過ぎ、二十時、二十一時、二十二時――。
廊下に人影はなく、規則正しく刻む秒針だけが、やけに大きく耳に残る。
(このまま朝まで、何もなければ……)
だが心の奥底には、確信めいた予感が重く沈んでいた。
――必ず、何かが起きる。
*
二十三時を少し過ぎた頃。
通信端末が小さく点滅する。
ジェンは眉を寄せ、応答ボタンを押した。
「……ジェン?」
震える声は、テルルだった。
「どうした?」
「……怖くて眠れないの。少しだけ……話していてもいい?」
迷ったが、冷たく切り捨てることはできなかった。
怯えは演技ではなく、声の震えが真実を物語っている。
「……わかった。ただし今は警戒中だ。短く頼むよ」
「ありがとう……」
端末越しに、弱々しい声が続く。
「ねえ……本当に、この中に犯人がいるのかな?」
ジェンは口籠った。
――否定すれば嘘になる。肯定すれば、彼女を追い詰める。
「……まだ断定はできない。ただ、可能性がある以上は疑うしかない。苦しいけれど、全員を守るためにも……」
沈黙が落ち、やがて小さなすすり泣きが聞こえた。
「……ジェン、ごめんね。一番つらいのはジェンなのに。……おやすみなさい」
通話は切れ、ジェンは深く息を吐く。
だが胸には、小さな棘が残ったままだった。
*
零時。
右奥の廊下で、照明が一瞬だけ明滅した。
ジェンは立ち上がり、アスペラを握る。
(停電……?いや、部分的だ。誰かが操作したのか…?)
足音はしない。だが、気配だけが濃く漂う。
ジェンは監視室を出た。
廊下の空気は氷のように冷たく、背筋を突き刺す。
扉はすべて閉じているが、奥で息を潜める者の気配がある――確信に近い感覚。
慎重に歩みを進め、明滅した照明の下へ。
電子ロックは点灯し、侵入の痕跡はない。
その時、背後に微かな気配。
振り返ると、メイズが立っていた。
「……メイズ」
「不用意に出るべきではありません、ジェン」
低く響く声。瞳には冷徹な光が宿る。
「この状況で単独行動は危険です。真っ先に狙われますよ」
「……君も同じだろう」
視線が交わる。
メイズの目は計算された光を湛えていた。
「照明の異常を確認しに来ただけです」
「偶然、僕と同じタイミングでか?」
「偶然ではありません。あなたが確認しに来ると分かっていた。だからあえて姿を現したのです」
挑発か、忠告か。ジェンには判別できない。
(……停電に気を取られて扉が開いたことに気づけなかった。油断するなと――そう言いたいのか)
メイズは器具をいじり、淡々と明滅の原因を確認する。
「ただの接触不良ですね。古い建物ですから」
背を向け、部屋に戻っていくメイズ。
廊下に取り残されたジェンの胸に、冷たい不安がさらに積もった。
*
午前二時。
再び異常。廊下奥、リュードの部屋の扉が――開いた。
ジェンは駆け出し、アスペラを握る。
「……何をしている」
「ハッ、夜通し見張りか。ご苦労さん」
不敵な笑み。肩をすくめるリュード。
「気分転換に何か食いたい。食料庫に行く」
「許可はしていない、戻れ。ドールズに食事は必須じゃない」
「閉じ込められて息が詰まるだろ? リーダー様はお固いな」
空気が張り詰める。
リュードは一歩踏み出し、鼻先で笑う。
「……なあジェン。本当に犯人が誰か分かってんのか?」
ジェンは答えない。
「俺から見れば、一番怪しいのはお前だ。見張り役を買って出て好き放題動ける。誰かが死んでも全部“真犯人”とやらのせいにできる。気を失って倒れたって本当か?アリバイもないのにリーダーだから怪しまれないなんて、笑えるな」
ジェンの目が細くなる。
反論せず、アスペラを握る手に力を込める。
「……部屋へ戻れ、リュード」
数秒の沈黙。リュードは舌打ちして扉を閉めた。
ジェンはしばらく立ち尽くし、やがて監視室へ戻る。
エナジーコアは重く脈打ち、喉は乾ききっていた。
(……限界だ。誰も信じられなくなる。……こんな自分に嫌気が差す)
暗い廊下の静けさが、胸をさらに締め付けた。
……。




