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3-7話:■■■■

 ジェンは図書館からの帰り道、白く沈む霧の中を歩いていた。

 月は乳白色の光を放ちながら、その輪郭を霧に溶かしている。

 どこか遠い世界の灯火のように、掴めそうで掴めない。


 その光景とともに、メイズが口にした言葉が脳裏に甦った――《裏切り者》。

 軽い冗談として流せるような人物ではない。

 むしろ、彼ほど慎重に言葉を選び、安易な断定を避ける者はいないとジェンは知っていた。

 だからこそ、その言葉は重い。

 幾度も観察と検証を重ね、思考の末に下された結論だということは明らかだった。


(僕が迷っちゃダメだ……。みんなを信じてる。だけど……これ以上、その“誰か”を裏切らせるわけにはいかない。心変わりを期待するわけじゃないけど……)


 霧は濃さを増し、足元の視界さえ奪いはじめていた。

 未来の行く先まで覆い隠し、方向感覚を狂わせる迷路のようだ。


(誰も疑いたくない……そんな理想を口にしたら、きっと――)


 ドクン、ドクン――。

 突然、胸奥のエナジーコアが脈を打ち始めた。

 メルキュリアが全身を駆け巡り、熱と圧迫感が急速に広がっていく。


(理想……まるで、ジェナリウス様みたいだ……)


 呼吸が乱れ、ジェンは片膝をついた。

 視界が歪み、肺が空気を求めて悲鳴を上げる。


(ああ……ダメだ……僕、もう……)


 脈動はさらに早く、激しくなる。

 胸骨の奥で何かが暴れ、息が喉でせき止められる。


「……っ、ハァ、ハァ……!」


 肩が上下し、額から冷や汗が伝う。

 こんなことは初めてだった。

 思い返せば――図書館で“三神”の絵本の読み聞かせが始まった瞬間から、何かが彼の頭の奥に流れ込み続けていた。


 ――『ごめん……私には、こうするしかなかったんだよ』


 メイズから受け取った翼が、青白い光を放つ。

 視界がその光だけになり、次の瞬間、意識は闇に落ちた。



          *



「ジェン! 起きて! 起きて!」


 柔らかな声と同時に、まぶた越しに温かな朝日が差し込む。

 ぼやけた視界に、テルルの大きな瞳が映った。

 そこには、明らかな不安が揺れている。


「ジェン、大丈夫? 居ないから探しに来た」


 その声に、ジェンの胸は少しだけ軽くなる。

 無意識に手を伸ばし、彼女の髪をそっと撫でた。


「……ごめん。眠くて、外で寝てたみたいだ」


 口元に柔らかな笑みを浮かべ、テルルを安心させようとする。


「そうだ、メイズがね、浜辺に来てって。大変だって。すぐに来てって。何かあったのかな?」


 テルルはしゃがみ込み、彼の肩を支えて起こした。

 吐息が近く、手の温もりが確かだ。


「どう? 歩ける?」


「うん、大丈夫だよ、テルル」


 本当はもう動けたが、その気遣いが嬉しくて、支えられたまま立ち上がった。


「浜辺に行こうか。……また人間の侵略かもしれない」


 二人は浜辺へ急いだ。



          *



 浜辺にはすでに全員が集まっていた。

 メイズ、アルテット、エレメイ、レミナ、オルダ、デューラ、リュード、ウィル、ミコト、フウマ――。

 だが、その中にキリルの姿はなかった。


 人垣を抜けた瞬間、ジェンの呼吸が止まった。


 アルテットが、無残に切断されたキリルの頭部を両腕に抱きしめていた。

 アルテットの頬を伝う銀色の滴――メルキュリアが、光を反射してきらめく。


「……キリルが死んだ。朝、浜辺で……倒れてた。首と胴体を……切断されて……」


 その声は震え、かすれていた。

 普段の鋭い眼差しも、強気な口調も、今は消えている。

 ただ必死に、腕の中のそれを守ろうとしていた。


「誰の仕業かは、分からない。でも……確実に殺されていた」


 重い沈黙の中、ウィルが口を開く。


「人間の侵略じゃなさそうだな。センサーは前より多く設置したし、気づかれずに抜けられるはずがない」


「じゃあ、誰がやったんだよ!!」


 アルテットの怒声が、冷え切った空気を裂いた。

 その声には、混乱と怒りと悲しみが混ざっていた。


「ミコトと同じθ型じゃねえのか!そいつらが外から来たんなら、センサーなんて意味ねえだろ!」


 リュードがミコトに詰め寄ると、フウマが慌ててその間に立ちはだかる。


 ミコトは冷静な声音で応じた。


「違います。姉妹は全員壊されています。それに、生き残りがいたとしても、半径3キロ以内ならお互い感知できる設計です。私は……誰も感じませんでした」


「じゃあ誰だよ!まるで、この中の誰かが……キリルを殺したみたいじゃねえか!」


 リュードのその言葉に全員の視線が揺れた。

 疑念が一瞬で空気を満たし、重く沈む。


 ミコトは短く息を吐き、告げる。


「そうですね……この中の誰かしかあり得ないと、言わざるを得ませんね」


「ふざけんな!お前らだろ!!最近来てからこんなことが起きたんだ!最初からお前らの仲間入りは反対だったんだ……もっと俺が、反対しておけば……!」


 リュードの鋭い視線が、ジェンを貫いた。

 テルルが怯えたように小さく身を寄せる。

 ジェンは彼女の頭を撫で、「大丈夫」と短く言い、まっすぐリュードを見返した。


「ミコトとフウマが犯人と決まったわけじゃない。リュード、結論を急ぎすぎだ」


 しかし、冷静な声も彼の耳には届かない。

 リュードはジェンの襟首を掴み上げた。


「じゃあ誰がやったんだよ!言ってみろ!!」


「リュード、お辞めなさい」


 メイズが間に入り、その手を押さえた。


「犯人探しは後です。今一番危険なのは、私たちが仲間割れすること」


 数秒の沈黙。

 リュードは舌打ちし、睨みつけながらも手を離した。


「まずは現場検証とアリバイの確認です」


 メイズの声は低く、しかし逃げ場のない重さを持っていた。


「……もちろん、協力していただけますね?」


 全員が互いに視線を交わし、探るようにして頷く。

 こうして――疑心暗鬼の時間が始まった。

…。

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