3-4話:救いの言葉
すやすやと寝息を立てるテルルの寝顔を、ジェンはじっと見つめていた。
頬にかかる髪が、寝息に合わせてわずかに揺れる。その髪を払ってやろうと、指先を伸ばしかけ――触れれば起こしてしまう気がして、空中で止めた。
安らかなその表情は、世界からすべての音を奪い、時間さえも止めてしまったかのようだった。
日中、あれほど走り回って笑っていた姿とは違い、今は無防備な子供のようだ。
守らなければ――そんな思いが胸の奥からじわりと込み上げてくる。
ふと、視線は枕元から壁の時計へ。
針は静かに、しかし確実に歩みを進め、約束の時刻――24時が近づいていた。
数時間前の、メイズの言葉。いつも冷静な彼が、そのときだけはわずかに声を震わせて言った。
『……ジェン。一人で、24時頃に図書館へ来てください』
その短い一言に、隠しきれない緊張が滲んでいた。
メイズは簡単に動揺する男ではない。どんな事態にも冷静沈着に対処し、感情を表に出すことは滅多にない。
そんな彼が声を震わせる――その背後には、ただならぬ事態が潜んでいる。
胸の奥に冷たいものが沈み込み、じわじわと広がっていく。
気づけば、無意識のうちに指先が小刻みに震えていた。
(……何やってんだ、僕は。γ型だろ……こんな時こそ落ち着け……!)
心の中で叱咤する。自分はこの島唯一のγ型であり、リーダーだ。恐れや迷いで足を止めるなど、本来あってはならない。
だが、言い聞かせれば言い聞かせるほど、震えは増していく。
時計の秒針が、やけに大きく耳に響く。 一秒ごとに、足元から冷気が這い上がってくるようだった。
「……ジェン」
むにゃ、と眠たげな声が耳に届く。
振り向くと、テルルが眠ったまま、小さく口を動かしている。夢を見ているのだろう。
その瞬間、会話の断片が脳裏によみがえった。
――生まれた型とか、与えられた役割とか……全部、関係ない。
守りたい人を守る。
それだけで、いい。
あの時、彼女は傷だらけの体でζ型に立ち向かい、レミナを守った。
逃してしまった自分を悔やみ続けるジェンの心を救ったのは、その言葉だった。
(そうだ……テルルが僕に、そう教えてくれたんだ)
ジェンは目を閉じ、深く息を吸う。
胸いっぱいに満たした空気が、肺の奥を通って静かに出ていく。
ひとつ、ふたつ呼吸を重ねるうちに、波立っていた鼓動が穏やかに戻っていった。
冷たく硬かった指先にも、少しずつメルキュリアが巡り始める。
もう、震えはなかった。
(――行こう)
短く呟き、ゆっくりと立ち上がる。
テルルを起こさぬよう足音を消し、掛け布を整える。頬にかかった髪をそっと耳にかけるが、目を覚ます気配はない。規則正しい寝息だけが部屋に満ちている。
ひと呼吸置き、静かに扉を閉めた。
外の空気は昼間より冷たく、肌を刺す。それがかえって心を引き締めた。
夜の島は静まり返り、遠くで波の音だけがかすかに響く。
足音を忍ばせ、中央通りの突き当たりにそびえる図書館を目指す。霧の中のほのかな月明かりに浮かび上がるその輪郭は、巨大な影のようだった。
ジェンは一度だけ振り返る。
遠くに見える家の窓は暗いまま。テルルはまだ眠っているだろう。
その姿を思い浮かべ、胸の奥でそっと呟く。
(待っててくれ……すぐ戻る)
そして足早に図書館へ向かった。
そこには、メイズが――そして、この夜を変える何かが待っている。




