2−11話:潜む者
「やっぱ、ジェンは格が違うな……」
海水をかき分けながら、アルテットが手元の端末を覗き込む。画面には、ζ型のドールズを次々に制圧していくジェンの姿が映し出されていた。
無駄のない洗練された動きに、アルテットは小さく息を漏らす。
「ここまで強かったら、戦うのもきっと楽しいんだろうな。羨ましいわ」
その素直な感想に、後ろを歩くキリルとエレメイがちらりと視線を交わす。
(……まあ、強いのは分かってるけど)
(……ちょっと持ち上げすぎじゃない?)
二人ともジェンの実力が抜きん出ているのは承知している。けれど、あまりに無邪気なアルテットの憧れには、どこか引っかかるものを感じていた。
彼らが向かっているのは、島の西端――崖のふもとに開いた洞窟。干潮のときだけ姿を現す海蝕洞で、条件が重ならなければ存在すら確認できない。
「こんな場所があったなんて……」
岩肌からしたたる水を見上げながら、アルテットが呟く。
「この先に、フウマがいるんです」
先頭を歩いていたミコトが振り返り、静かに言った。
「マジかよ? 全然気づかなかったぞ……」
キリルが目を丸くする。
「今日の潮と時間が偶然一致しただけです。通常の観測では見落とされやすい場所ですから」
ミコトの説明に、誰もが自然と歩みを速めた。
やがて、洞窟の奥にぽっかりと広がる広間にたどり着く。中央には鎖で拘束されたドールズが、静かに佇んでいた。
黒髪に眼鏡で、ミコトと似た袴姿。知性の滲む整った顔立ち。けれど目は閉じられ、どこか眠っているかのようにも見える。
「フウマ……!」
ミコトが駆け寄り、その名を呼んだ。
「私です。ミコトです。……わかりますか?」
その声が洞窟内に響いた、次の瞬間――
「グオオオオオッ!!」
轟音が洞窟全体を揺らした。フウマの瞳が赤く光り、鎖が軋む音とともに、まるで獣のような気配が周囲に満ちていく。
「下がって!」
ミコトが叫ぶと同時に、皆が身を引いた。
だが――
「……あれ、自分……今、吠えました?」
赤い光がすっと引き、フウマがきょとんとした様子で顔を上げた。先ほどまでの殺気は跡形もなく、困惑したように首をかしげている。
「いやぁ……ちょっと意識が飛んでたみたいです。お騒がせしました!」
その声に、ミコトの肩から力が抜けていく。
「よかった……本当に、戻ってきてくれて」
「ミコトさんの声、ちゃんと届いてましたから。忘れるわけないです!」
彼女は小さくうなずき、そっと鎖に手をかけた。
「これから、メルキュリアを注入します。まだ不安定なはずなので……」
「ありがとうございます。本当に……助かります!」
アルテットが前に出る。
「私はアルテット、α型。注入なら慣れてる。……服、少し上げて」
「はいっ!」
フウマが従うと、アルテットは針を取り出し、迷いなく腹部へと刺す。その手際は手慣れていて、レミナの処置を何度も観察し、独学で覚えた技術だった。
この島で、メルキュリアを安定して扱えるのはレミナとアルテットだけだ。経口投与では不安定すぎる――注入こそ確実な手段だった。
「俺はキリル、η型。アルテットの恋人で――いったっ!」
「しれっと嘘つくな」
エレメイが迷いなくキリルの頭へチョップを入れる。
「エレメイ、β型。……無事でよかったよ」
三人のやり取りを見て、フウマがふっと笑みをこぼす。
「……なんだか、いいですね。賑やかで、温かくて」
「自然っていうか、バラバラだけどな」
アルテットが肩をすくめる。
「でも、そういうの、自分ちょっと羨ましいです!」
フウマの目に、ほんのわずか、懐かしむような光が宿っていた。
「私たちも、少しずつでも皆さんのことを知っていきたいです。信じてもらえたこと、迎えてもらえたこと……必ず、恩を返していきます。本当に、ありがとうございました」
ミコトは三人に向かって深く頭を下げた。その瞳に涙が滲み、一粒の銀が頬を伝って落ちる。慌てて手の甲でそれを拭ったがミコト自身、メルキュリアの涙を流したことに少し驚いていた。
そのとき、足元にひやりと潮が触れた。
「……ん? 潮、戻ってきた?」
キリルが振り返ると、洞窟の入り口の向こうから海の気配が近づいてくる。
「音が……でかくなってる」
エレメイが壁に手をついて耳を澄ます。
「急げ! 潮が来る!」
アルテットの声が響き、皆が出口に向けて駆け出す。
「足元、気をつけろよ」
エレメイがフウマの腕を支える。フウマの足取りはまだふらついていたが、その目にはしっかりとした光が宿っていた。
「ええ……感覚、戻ってきてます!」
濡れた岩を慎重に歩きながら、一行は光の射す出口へと進んでいく。
「急げーっ! 俺が一番先に戻るぞ!」
キリルが声を張り上げて先頭を駆けるが――
「……お前、たぶん一番足遅い」
エレメイの鋭い一言が飛び、キリルは肩を落とす。
「否定できねぇのが悔しいっ……!」
そのやり取りに、ミコトとアルテットが思わず吹き出し、フウマもまた、微笑んだ。
(この場所には……まだ知らない感情が、たくさんある)
そう思いながら、フウマは一度深く息を吐いた。
洞窟の奥では、海が静かにすべてを飲み込もうとしていた。
そして彼らは、波音を背に光の射す出口へと歩み出した。




