第3章 2
「ああ、来た来た。わざわざ届けてもろうて悪いなあ、ありがとうな」
配達員を労ってくれる届け先はアタリだ。トラブルが断然少ないし、受け渡しにストレスがなくて助かる。ルネスにはこれまで何度か配達に来たが、関西弁のホストに遭遇したのは初めてだった。
「ご注文の特上寿司十人前です。お確かめくださーい」
「はい、確かに。おーい、誰かこれ運んで。8番テーブルの真里菜様や」
関西弁の彼の部下なのか、別のホストが裏口から走り出てきて寿司を受け取った。
「いつまでサボってるんですか。今日はめちゃくちゃ忙しいんですから、早く接客してください」
「へいへい」
バタバタと慌ただしく店に戻っていったホストへ、関西弁の彼が溜息をつく。
「上司を敬わん奴は出世せえへんで。――なあバイト君、君って前にも、うちの店に同じ注文届けてくれたやん?」
「え? ああ、はい。先週だったと思いますけど」
「せやせや。ガリ一枚乱れてへんかったで。デリバリーは数社使うてるけど、丁寧な配達やなあって感心したんや」
「そうなんですか。中身チェックできないんで、意識してなかったです。ありがとうございます」
仕事を褒められることはほとんどないから、こうして直接言ってもらえると嬉しい。オーダー以外に人と会話らしい会話をしたのも久しぶりで、つい俺の頬が緩んだ。
「何や君、ええ顔するやん。ちょいフード取ってみ」
「え?」
「ええからええから、顔ちゃんと見して」
早口の関西弁に押されて、ブルゾンのフードを取った。乱れた髪を掻き上げた俺に、ホストの彼は口笛を吹いた。
「やっぱ俺の目に狂いはないなあ。君いくつ? この後ヒマ?」
「え……」
「引くとこちゃうで! ナンパやのうてちょっとした確認や。年齢言うて」
「えっと、十八歳です」
「高校生?」
「違いますけど……。あの、もういいですか。次の配達があるので」
「待て待て待て、金の卵は逃がさへんで。お兄さんのかっこええジャケットと君のそのはっちゃけたブルゾン、交換しよ」
「すいません、意味分かんないです。クレームならマッハフーズの本部にお願いします。それじゃ、失礼しまーす」
「こらこら、待て言うてるやろ。君をスカウトしてんねんで」
俺は自転車を押す手を思わず止めた。関西弁の彼はせっかちにジャケットを脱ぎ始めている。
「スカウト?」
「せや。君、今からうちの店で働いてみいひん? お兄さんのヘルプについてほしいんや」
「ちょっ、勝手にそんな、無理です。ホストクラブとか絶対無理」
突然スカウトなんかされても困る。女と話すことが苦手で、酒も飲めない十八歳の田舎者が、歌舞伎町のギラギラのホストクラブで働くなんてできるわけがない。
「今日はほんまに大入り満員で立て込んでてな。猫の手も借りたいねん。体験入店て言うて、絶対難しいことはさせへんから」
「知ってます、こういうのをキャッチって言うんですよね? 捕まると面倒だってネットで見ました」
「アホ、キャッチで釣るんは女の子限定や。俺の隣でキャスタンに氷注いでくれるだけでええわ。ものは試しで、な? よっしゃ行こう」
「はっ? ちょっと待って! 待ってください!」
がしっと肩を抱かれて入店させられる。ブルーライトに照らされた裏口の通路に、上機嫌な関西弁が響いている。
「うちの店は賑やかで楽しいでー。ルネスは歌舞伎町で一番の大箱なんやでー。君ならデリバリーよりええ小遣い稼ぎになるわ」
「本当に無理です。助けてください、離して」
「とりあえず俺のジャケット着とき。ドレスコード言うてな、オーナーの方針でルネスはキャストの身なりにうるさいねん」
揉み合ううちに俺のブルゾンは脱がされて、中に着ていたTシャツ一枚になっていた。ホストの手際のよさに唖然としていると、一回りはサイズが違う関西弁の彼のジャケットを無理矢理着せられた。
「……ぶかぶか。見た目よりガタイいいっすね」
「せやろ、結構鍛えてんねや。君はほっそいなあ。十八やとこんなもんなんかなあ」
「すいません、本当にもう配達に戻らなきゃ。ブルゾン返してください」
「ああ、ブルゾンのポケットに入っとったスマホのな、マッハフーズの配達員用アプリ、オフラインにしといたで」
「は!? いつの間に! 手品師? ええっ!?」
「もう今日は君に仕事の依頼はけえへんから安心しい。手品師とちゃうけど俺な、実はマッハの配達員経験者やねん」
「嘘だろ――」
「ええ反応や、俺には敬語いらんよ。遅うなったけど俺、矢坂て言うねん。よろしゅうな」
関西弁の彼は本当に手品師のような華麗な手つきで、黒地に金色の印字の名刺を取り出した。矢坂涼、ルネス本店部長。話しやすいのに意外と偉い人だった。俺も名乗った方がいいのか考えていると、通路が急に開けて、外国の宮殿のように煌びやかなフロアへ到着した。
「ルネスへようこそ。君を歓迎するで、子猫ちゃん」
「子猫ちゃん?」
俺は目を瞬いた。視界に映るもの、全てが眩しい。真っ白な石の彫刻のライオンも、フロアに溢れるスタンド花も、高い天井から降り注ぐライトで派手なハレーションを起こしている。
ホストクラブ。それは俺が今まで足を踏み入れたこともなかった異世界だった。