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眩い星夜  作者: コギン
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第16章 2

 看板の電源を落とし、俺はカウンターにだけ明かりを残して、レジの計算をした。厨房の冷蔵庫のチェックを終えたら、明日の買い物リストを作る。酒類はリカーショップが直接納品してくれるから、リストは食材中心だ。

「そろそろ冬も終わるし、新しいフードを考えるか」

 新メニューはいつも常連客に味見をしてもらっている。男女問わずフリッターが人気で、イカやホタテを使ったそれを、以前からよく出していた。

「……橘さんが初めて食べた俺の料理も、フリッターだったな」

 橘との思い出は、こんな風に些細なきっかけで蘇ってきて、俺の頭を占領してしまう。手っ取り早く酔いたくなって、俺はアルコール度数の高いバーボンをストレートで呷った。

 かっと喉が焼け付き、一瞬の快感を得られても、そんなものは長く続かない。橘がいなくなってから、俺の中にある空虚は埋まることなく、大きくなるばかりだ。

 きっと俺は、この先の人生で何が起きても満たされることはない。帰る場所があった翔子のことを羨ましく思いながら、空虚を抱えたままいつか老いて、誰の記憶にも残らず野垂れ死ぬだろう。

 幸福とは言えない未来のビジョンが、閉じた瞼の向こうに広がる。このままだと深酒をしてしまいそうだから、俺はさっさと片付けを済ませて店を出た。

「……寒っ……」

 吐く息を白くしながら、俺はビルとビルの狭間の集積所へと、一日分のゴミを運んだ。悪臭のする集積所には、周辺の店舗から集められた空きボトルも積まれている。薄暗い路地にカラスが数羽舞い降りて、俺の方を窺いながら餌を探している。

 ここで橘を拾ったのは、去年の秋が終わる頃だった。彼と出会った日は雨が降っていたことを覚えている。氷のように冷えた体で、橘はゴミの山に埋もれていた。

 たった一度抱かれたきりの、自分から縁を断ち切った相手を、どうして俺は忘れられないのか。恋人でもない、友達でもない、ただの居候だったくせに。いつまでも心の中に残り続けている生意気な男のことを、どうカテゴライズすべきか明確な答えが見出せない。

 歌舞伎町の風景が藍色に染まる午前四時。新宿駅の始発電車の時刻が近くなると、この街に溢れるネオンサインは消灯していく。首元をすり抜ける風がとても冷たくて、夜が明けないうちに、俺は早くベッドに潜り込みたかった。

「おい新入り、ゴミ出しとけよ」

「トロトロしてんじゃねぇぞ、グズが」

 集積所のある路地をマンションへ向かって歩いていると、近くの店の若い黒服たちが、雑居ビルの通用口から出てきた。

 一人のボーイが、背中を蹴られてアスファルトに倒れ込む。彼の手元からゴミ袋が落ちて、中身が辺りに飛び散った。夜の世界の上下関係は時として昼の世界より暴力的だ。ベストと蝶ネクタイの制服を汚しながら、彼は無言でゴミを掻き集め始めた。

「きったねぇ。ちゃんとキレイにしとけよ。隣の店からクレームがうるせぇんだよ」

「おい、返事はどうした。礼儀も知らねぇのか、この野郎」

 ボーイを罵る声と、殴打する音が何度も繰り返される。一方的な暴力の口実は何でもいいのだろう。歌舞伎町では珍しくもない光景だが、今以上に騒ぎが大きくなるようなら、警察に連絡した方がいい。

 そんな俺の心配は杞憂に終わった。俺がスマートフォンを取り出している間に、黒服たちは暴力に飽きたようだ。

「文句があるなら殴り返してこいよ、オラ、オラ」

「何だこいつ、口ついてねえのか」

「本当につまんねえ奴だな。店に戻って飲み直そうぜ」

 制服を泥まみれにしたボーイを残して、黒服たちは姿を消した。道路に蹲っていた彼はゆっくりと立ち上がり、左足を引き摺りながらゴミ集積所へ向かって歩き出した。

 項垂れている彼と擦れ違う瞬間、俺は、見覚えのある横顔だということに気付いた。ルネスで一緒に働いていたホストだ。

「アキラさん……!?」

 ルネスを辞めた後、何年も行方が分からなくなっていたアキラ。まさか歌舞伎町で彼と再会するなんて、驚きで声が上擦ってしまう。

「俺のこと、覚えていますか? ルネスにいたアキラさんですよね?」

 俺がもう一度話しかけると、アキラはやっと立ち止まってくれた。街灯に照らされながら、殴られた頬を赤く腫らして、彼は俺のことを見た。



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