第15章 5
「見付けた。久しぶりだね、翔子さん」
近寄るまで、本当にその女が翔子本人か確信が持てなかった。それくらい人相が変わっていた。
愛嬌のあった丸い目や血色のよかった頬は見る影もない。行方不明だった数年間に、翔子の身に起きた苦渋の全てが、白髪の目立つ頭と皺だらけの顔に刻まれている。
「星夜だよ。俺のことを、覚えてる?」
俺の声は、翔子にはあまり聞こえていないようだった。彼女は虚ろな目をして、灰皿に置いてあった吸いかけの煙草に指を伸ばしている。
「いけない。こんなもの、体を壊すだけだ」
俺は咄嗟に灰皿を遠ざけた。
「……かえ、して」
何年ぶりかに聞いた翔子の声は、枯れ切った老木のようにかさついていた。この煙草がただの煙草ではない。多分、大麻だ。探偵の報告書には、他に複数の薬物の名前も載っていた。
「だめだよ。返さない」
「かえしてええ」
翔子の目は煙草だけを追っている。俺のことは忘れてしまったのかもしれない。
「翔子さん」
骨の浮いた手を掴んで翔子を抱き寄せる。かえして、かえして、とそれしか言わない彼女の目の前で、腐食した匂いを撒き散らす煙草を、俺は捻り潰した。
「あ、あ、あ、あ」
目脂のついた瞼の奥から溢れてくる涙を、俺は黙って見つめた。翔子から目を逸らしてはいけないと思った。
何も知らずにのうのうと日々を過ごしていた、薄情な俺の身代わりになった人。正気では生きていられなかった彼女の数年間ごと、やつれた体を抱き上げる。
「ひいっ……」
「ここを出よう」
「……っ……」
「迎えに来たんだ。もうどこにでも行ける。翔子さんは自由になったんだよ」
非力な俺が重みを感じないほど、翔子の体は軽かった。
乱れた布団や、擦り切れた服、包装を噛みちぎった避妊具、あらゆるものがぐちゃぐちゃのゴミになった部屋。翔子を閉じ込めていたその部屋のドアを蹴り、階段を一階へと駆け下りて、俺はフロントの男にアタッシュケースを投げ渡した。
「廃品回収、ご苦労さん」
アタッシュケースの中の金を確認しながら、男は嘲笑した。腕の中で小さく震えている翔子は、確かに廃品だった。
「――用は済んだので、俺はこれで」
「待て、忘れもんだ」
泣きたい思いで旅館を出ようとした俺に、男は型の古いスマートフォンを寄越してきた。
「そいつの私物だよ。ガラを押さえに預かってはいたが、持ち主同様とっくに使えねえ」
「私物は、他には?」
「ねえよ。さっさと出て行け。商売の邪魔だ」
男が片手を持ち上げて、しっしっ、と追い払う仕草をすると、翔子の震えがいっそうひどくなった。習慣的に男に暴力を振るわれていたのかもしれない。文句を言ってやろうと思ったが、一秒でも早くここから翔子を出してやりたかった。
「世話をかけました」
形だけの礼をして旅館を後にする。待たせていたタクシーに急いで乗り込み、駅へと戻るよう運転手へ告げた。
「翔子さん、もう全部終わった。もう大丈夫だからね」
力なく座席に投げ出している翔子の手。怯えさせないように慎重に手を繋ぎ、焦点を彷徨わせている目を覗き込んで、俺は問うた。
「どこか行きたいところはある? 帰りたいところでもいい。どこへでもつれて行くから、俺に教えて」
タクシーの走行音が流れる中で、翔子は沈黙した。辛抱強く待っていると、再会してから一度も焦点の合わなかった彼女の目が、濁りの奥から俺をとらえた。
「おかあ、さん」




