第15章 3
「お前に惚れて地獄に落ちた女だ。ここからが本題だぞ。星夜、翔子をどうする?」
鷹のようなオーナーの目に睨まれて、俺は気圧された。瞬きをすることも忘れるほど、体じゅうが緊張した。
「からっぽなその頭で考えな。お前は男をフッて死にかけてる無価値な元ホストだよ。情けねえと自分で思うだろ。悔しかねえか。なあ、泣き言を言ってるヒマがお前にあるか? お前は本当に、何もできねえガキなのか?」
オーナーの低い声が、脅迫するように俺の腹に響いた。
翔子。俺の客だった頃の彼女は、明るくて甘え上手な人気のホステスだった。彼女の悲劇は、ホストを本気で愛してしまったことだ。薄情だった俺は、翔子を顧みなかった。行方不明になった後も、もう見つからないと諦めて、彼女のことを探そうともしなかったのだ。
「俺、は」
散らばった翔子の写真を拾い集めて、俺は深呼吸した。
「彼女のことを、助けてあげたいです」
翔子を地獄に突き落とした俺が、今更許されるわけがない。でも、思い上がりでも偽善でも何でもいい。もしも女一人の命を救うことができるのなら、無価値な元ホストは無価値ではなくなる。
ほんの数分前まで、自分が死にたいのかさえ分からなくなっていた俺だ。くだらない生き方をしてきた俺の、くだらない命の使い方としては、これが最適解だろう。
「オーナー。この報告書を俺に貸してください。探偵が居所を見付けてくれた。俺が翔子さんを迎えに行ってきます」
「お前一人の力で連れ戻せると思ってんのか?」
「分かりません。でも、自分のしたことの責任を取りたい。これは俺の役目です」
握り締めた写真が、俺の掌の中で掠れた音を立てた。
覚悟が決まったら、空虚だった俺の心に、消えたはずの一本の芯が通った。ずっと昔、一人で生きていく覚悟をした時に生まれた芯と同じものだ。
「いいか星夜、お前より少し長く生きてる俺が、お前に望むことはひとつだよ。ほうっておいても死ぬ時が来たら人は死ぬ。それまでは精一杯生きろ。不器用でも不格好でもいいから、お前が生きたいように生きるんだ」
「――はい」
俺に、やらなければならないことができた。目の前で翔子が攫われていったあの日、何の力にもなれなかった元ホストが、落とし前をつける時が来た。
その街は、冬の寒さが厳しい地方の小さな観光地にあった。うらぶれた温泉街の外れ、営業しているかどうかも分からない老朽化したストリップ劇場が車窓に現れて、時代が一回りも二回りも巻き戻ったような錯覚がする。
「この辺りは地元の人間はめったに近寄らないよ。働いてるのは外国人の女が大半で、チンピラみたいなのが出入りしてるし、おっかなくってねえ」
最寄りの駅でタクシーを拾ってから、運転手がしょっちゅうミラー越しに俺のことを見ている。気にしないそぶりで俺は手元のスマートフォンを覗き込んだ。
「『常盤屋』って旅館なんですけど、分かりますか」
「ああ、あそこね、はい」
舗装の悪い交差点を曲がると、料金メーターがピピッと上がった。だんだん道幅が狭くなって、街角には人影すらない。さらに先へ進むと、さっきのストリップ劇場がまだましに見えるくらいの、朽ち果てた廃墟のような旅館が数件並んでいる。その中の常盤屋とかろうじて読める看板が、東京から長い旅をしてきた俺を出迎えた。
「ほら、ここだよ。……お客さんみたいな若いにいちゃんが来るところじゃないけどねえ」
「人を迎えに来ただけなんで。このまま待っててもらえますか」
「そりゃかまわないけど、早くしてくれるかい? 昼間はまあ安全だけどさ、あんまり長居したくないんだよ」
「すぐ戻ります」
傍らのアタッシュケースを掴んで、俺はタクシーを降りた。少し車酔いをしているのかもしれない。コンクリートの欠けた側溝から腐ったドブのような匂いが上がってくる。軽い嘔吐感に苛まれながら、常盤屋の門をくぐった。




