第14章 2
「いいゲレンデと旅館を二人で探そう。予約はネットからできるし――、あ、星夜の店を連休にしないといけないな」
「それは、大丈夫。ドアに貼り紙でもしておけばいいよ」
「せっかくだから車で行こうか。運転はまかせて」
「橘さん、免許持ってたの?」
「ああ。キーも愛車も俺のマンションに置いたままにしてる。近いうちに、一度帰ってもいいかな。着替えも持って来ておきたいし」
「しばらく留守にしてたから心配だろ。車、乗ってみたいな。橘さんが運転してるところを見たい」
「かまわないけど、お前を無理に誘っていないか? 旅行の行先なら他にも……」
「ううん。雪と温泉、最高じゃん」
照れ隠し半分に、俺は橘のスウェットの裾を掴んで力を込めた。
「連れて行ってよ。橘さん」
上目遣いで見た彼の顔は、まるでハチミツが蕩けるように綻んでいた。
「ああ、一緒に行こう。予定を立てるのも楽しみだな」
「そうだね。……とりあえず、ひと眠りしようか。起きたらまた相談しよ」
テレビを消して寝室へ向かう。スタンドをつけなくても室内は朝の陽射しで明るい。カーテンをすり抜けた光の帯が、ベッドヘッドに置いた小さなピンバッジに注がれている。
赤い八つの菱を象った社章。橘が大手企業の会社員だった証が、俺に向かって静かに主張している。彼はそちら側の人間だと。
「もう捨てたと思っていたのに」
す、と長い指が社章を摘まんだ。橘はそれを、いとも簡単にベッドの下のゴミ箱へと投げ入れた。
「おやすみ、星夜」
「おやすみ――」
「こうしていると、きっとお前の夢が見られる」
ベッドに横たわり、俺に腕枕をして、橘は両目を閉じた。ゴミ箱の中の社章にもう朝の光は射さない。寝付けない俺とは正反対に、彼はすぐまどろみ始めたようだった。
「旅行か、ええなあ」
新宿駅に近い大型書店の雑誌コーナーは終日混んでいる。信州エリアのスキー情報誌を立ち読みしていると、隣で八坂がしみじみと言った。
「星夜に友達ができたとはなあ。兄貴分としては嬉しいで」
「そんな、友達とか別に、小学生じゃないし」
「ええやん。一緒におって楽しいんやろ? よかったな、星夜。なんやホストをやっとった頃よりええ顔になったなあ」
「八坂さん――」
十八歳だった俺をホストの世界へ導いた先輩。今も歌舞伎町のきら星のひとつであり続けている八坂が、まさかそんな風に言うとは思わなかった。
ポケットサイズのガイドを一冊買って、書店から真昼の新宿通りへと出る。冬枯れの乾いた風が吹き付けてきて襟足が寒い。
「電子にしたらええのに。ガイドブックって荷物にならへん?」
「本とか新聞は紙の方が好きなんで。スマホもないし」
「ええかげん契約しいや。待ち合わせしにくいやん」
「スマホ持ってるからオーナーに好き勝手に呼び出されるんじゃないですかね」
「確かにな! お前とおると楽しいなあ。ルネスに帰ってけえへん? オーナーの悪口言うてもええの星夜とだけやし、カフェでも入ってこの話しよか。先輩がおごったる」
「すいません、これから待ち合わせなんで」
「フラれたかあ。もうこれは女の子誘うしかないなあ」
「今日は八坂さん、同伴出勤?」
「ちゃうよ、ほんまの彼女。渋谷でネイルサロンやっててな、午後は空いてる言うてた」
「そっちが本命で俺はキープか当て馬じゃん」
「たまには俺もええ気分になりたいやん。――ほな行くわ、またな星夜。友達は大事にしいや」




