第13章 1
この罪悪感には覚えがある。
遠い昔に初めて恋をした時と同じ罪悪感だ。
不眠症だったあの頃、家の窓の外に見ていた午前四時の空。中学の卒業式から十年の月日が経ち、仕事を終えたばかりの疲れた体で仰ぎ見る新宿の空は、藍色のその色彩までもあの頃と同じなのだ。
「星夜。車、来たよ」
ネオン街の上空を見つめていた俺を、橘が呼ぶ。右手を挙げた彼のそばへ、タクシーがするすると停車した。二人で後部座席に乗り込み、帰宅の途につく。前の客が喫煙していたのか、エアコンの効いた狭い車内に煙草の香りが残っている。
息苦しい。
ただひたすら、橘の隣に座っていることが息苦しい。
「――寝るから。着いたら起こして」
寝る気もないのに無理矢理目を閉じる。橘は俺を抱き寄せ、厚みのある彼の肩に凭れさせた。
触れ合った体温が高い分だけ、息苦しさは増す。橘が何でもない存在なら、こんなややこしい想いはしなくてすむのに。
「疲れているんだな。おやすみ、マスター」
とく、とく、と重奏する互いの心音。ウィンカーの機械音。明け方に鳴く都会のカラス。俺の耳を支配してくれるものなら何でもいい。橘の声を遮ってくれるものなら、何でもいい。
「寒くないか。星夜」
ささやかな願いとは裏腹に、俺の両耳は彼の声だけを認識する。髪を撫でる彼の手が温かくて、泣きたいようなやるせなさが込み上げてくるから、眠ったふりを続けるしか術がない。
どうしたらいい。俺の中で時間は過去へと逆行して、恋と罪が同義だった頃に戻っていく。抗いたい自分を無視して、ままならない感情が苦痛となって体を駆け巡る。始まりがいつかも思い出せないほど、自分の内側を橘に占められていたことに、気付いてはいけなかった。
マンションの車寄せでタクシーを降り、よろめきながら部屋へと上がる。酒量はたかが知れているのに酔いが足を重たくする。橘が俺を支えながらドアの鍵を開けた。玄関の壁に体を預けていると、彼は突然、俺の服を脱がせにかかった。
「何?」
「何って、息が苦しそうだ。着替えて横になった方がいい」
長い彼の指が器用にコートを脱がせ、俺の上着のボタンを外していく。ウェストからシャツの裾が引き抜かれる時、その衣擦れの音がセックスの始まりを思わせた。
どうかしている。
服を脱がされるのも脱がすのも慣れているのに、擦れた布の感触が鮮明でぞくぞくする。橘の手で裸にされていく、明確な性欲を喚起させるこの一瞬に屈してしまいそうだ。
「……いいよ。自分で脱ぐ」
「酔っているんだろう? 遠慮するな」
「本当に、自分でやるから。俺のことはほうっといて」
「星夜――。分かったよ、風呂の用意をしてくる」
そう言って、橘はバスルームへと歩いて行った。
パーティーの夜のキスのことを橘は口にしない。気にしないふりをしている俺も何も言わない。橘が俺のもとに現れたここ数ヶ月の日常に、今まではなかった緊張感が生まれ始めている。そして俺にはまた、秘密ができた。




