表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
眩い星夜  作者: コギン
50/77

第12章 4

「橘さんは、ああいうのは踊れる?」

 ホストをしていた頃は、彼女とよく踊った。ルネスは上流で年配のマダムたちも来店するから、ダンス講習は必須だったのだ。ルカは俺にステップを一から教えてくれた師匠でもある。あの頃は女の肩を抱くことも、手に触れることも仕事のひとつだった。

「ボールルームダンスか。スタンダードなら教室で習ったことがある。上司に身に着けておいて損はないと言われて」

「へえ」

「少しだけ、ほんの嗜む程度だよ。彼女はなかなかの腕前だな」

 しばらくの間、客と踊るルカを二人で眺める。BGMにヒールのステップが乗って、軽やかにドレスの裾が舞い上がる。

「ふん、やり手ママを気取って、何あれ。へったくそなラテン」

 思わずグラスを持つ手が止まった。背中合わせに接している後ろのボックス席から、ルカへの中傷が聞こえてきた。

「たかが三年で天下獲った気なの? かわいそうな女」

「蘇芳グループがバックについてるそうじゃない。だからよ、あのドヤ顔。お得意の体でハナシつけたんじゃないの?」

「さすが、ソープ嬢上がりは違うわね」

 ライバル店の関係者だろうか。遠慮憚ることのない女性客の様子に悪意を感じる。

 祝いの席でルカの過去を語ることはタブーだ。彼女が風俗嬢をしていたことを知らない招待客も多いだろう。ここにいるのは、プライベートな事情を理解できる人間ばかりじゃない。

「……星夜、ごめん。聞こえた」

 橘がバツが悪そうに囁いた。余計なことを耳にしてしまったようだ。

「ただの中傷ならたちが悪い。ボーイを呼んだ方がいいんじゃないか」

 橘の頭の中でルカのイメージが崩れてしまっただろうか。彼もまた、風俗という一括りで女を判断する、薄っぺらくつまらない人種なのだろうか。

 それは違うと、俺は自分の想像を否定した。何の根拠もないというのに。

「ボーイなんか必要ない」

「え?」

「さっきの女たちが言ったこと、本当だよ」

 喉に絡んで自分の声が低くなる。思っていた以上に、俺はルカへの中傷に怒っていた。

「だから、さ。あんたは聞かなかったことにしてあげて」

 綺麗で、賢くて、優しいルカ。この店を持つために、吉原のソープ街で彼女が切り売りしたのは、見事なダンスを披露しているその体だ。

「彼女は後悔してない。自分で決めてソープの世界に入った。クラブ・シェスタのオーナーママになって、人生の帳尻を合わせたんだよ」

 橘はターンを決めるルカを見つめている。彼の目は哀れんでも、蔑んでもいなかった。

 ルカのダンスは彼女が歩んできた人生そのものだ。背筋がまっすぐに伸びていて、気品がある。ルカの体の上を何千何万の男たちが通り過ぎようと、誰が彼女自身を咎められるというのだろう。

「彼女はとても、強い人だな」

「ああ。ここにいる誰よりもね」

「星夜。お前にいい友達がいて、よかった」

 俺は橘の言葉を嬉しく思った。生バンドの演奏がジルバに変わる。ルカに最初にステップを教わったのも、そのダンスだった。

「橘さん、水割りもう一杯作っておいて」

 小さな衝動が湧き上がるままに、俺はソファから腰を上げた。

「ちょっと汗かいてくる」

 踊り終えたばかりのルカのもとへと歩み寄る。後ろの方から「あれルネスの星夜じゃない?」「えっ、あの!?」とざわつく声が聞こえる。

「『ルカ様、本日はご指名ご来店ありがとうございます』」

「星夜? どうしたの?」

「懐かしいだろ。このお決まりのセリフ、覚えてる?『あなたのナンバー1と、お相手願えますか?』」

「忘れるわけないじゃない。――ええ、喜んで」

 ルカの手を握るのは何年ぶりだろう。煌めくライトの下で彼女と踊る。

「嬉しい。また星夜とこんな風に踊れるなんて」

「ステップ忘れかけてる。足踏んだらごめん」

「いいの。――あのね、うちのマネージャー、銀座店に回ってもらったから。ここにはもう出入りさせないわ」

「え?」

「あなたに失礼なことを言ったそうね。ごめんなさい。彼に代わって謝ります」

「……気にしてないよ」

 前回この店に立ち寄った時に、俺を侮辱したマネージャー。どんな顔をした奴だったか思い出す前に、ルカは囁くように言った。

「ねえ星夜。――最高のプレゼントをありがとう。今日ここに来てくれた誰よりも、あなたのことが好きよ」

 俺もルカを、好きになれたらよかった。女を愛せる男だったら、こんな下手くそなエスコートではなく、両腕で優しくルカを抱き締めてやれただろうに。

「ルカさん。もっともっと店を広げて、東京中に城を作れよ。新宿も銀座も、ルカさんの街にしちまえよ」

「星夜」

「誰にも文句言わせないように、勝ち続けてよ。星のない街の女王様として」

「……星夜、……やだ、メイク取れちゃう……」

 泣き出しそうな顔をしてルカは笑った。曲の終わりとともに、束の間のホストもお役御免になる。すぐに次の曲が始まって、待ちかねていた次のダンスの相手がルカの手を取った。

「おかえり。見惚れるくらい、お似合いだった」

 席に戻った俺に、橘は冷たいグラスを差し出した。息切れするから、この先二度とダンスは踊らない。最後に踊った相手が、彼女でよかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ