第12章 3
「歌舞伎町に来てからしばらくは、デリバリーの仕事をしてたんだ。マッハフーズ知ってる?」
「ああ、あの目立つビビットピンクの」
「その時にスカウトされて、試しにホストをやってみたわけ。毎晩女に囲まれて、いい指名客も増えて、気が付いたら店のナンバー1になってたよ」
「稼ぎ頭か。お前が言うほど簡単になれるものとは思えないけど……」
「同伴してメシ食いに行ったり、アフターに付き合ったり、女といる時間が長くなった分だけ男が欲しくなった。怠い体で二丁目で遊んで、また出勤してさ。……まあ最後は限界がきてやめたんだ。潮時ってやつ」
月城星夜という源氏名のホストに、女たちは夜毎貢いだ。シャンパン一本、コニャック一本が一般的な会社員の月収を軽く超える、ルネスは俺にとって異次元の夜の城だった。
「ホストは詐欺だってよく言われるけど、愚痴を聞いてくれる相手が欲しかったり、気分よく擬似恋愛がしたい女たちがいる。ホストはその受け皿さ。たまに逸脱して枕営業する奴もいるけど」
「……ホストはみんな客とそういう関係になるのかと思ってた」
「偏見だよ。俺の場合はハナから無理だし。でも、寝たらそのホストの価値はそこで止まって、下がることはあっても上がることはない。これはね、客に教えられた名言」
バッグに詰めた現金を見せられて、女に一晩寝て、と迫られたことがある。俺の中に楔を打ち込んで姿を消した、翔子という名のキャバクラ嬢。三日と空けず俺を指名していた彼女には、ヤクザの愛人がいた。
生理的な嫌悪以上に、金の絡んだセックスは嫌いだ。ヤクザの事務所から金を盗むほど翔子を追い詰めてしまった、馬鹿なホストだったあの頃の自分も大嫌いだ。ホストの仕事に疑問を抱き、ルネスを退店した大きな要因になった翔子のことを、俺は一日も忘れたことはない。
「――前言撤回。ホストはみんな、女を食い物にする悪い奴だよ」
「星夜?」
「騙して貢がせて骨までしゃぶった後は見向きもしない。そんな俺の友達になってくれた人を紹介してやるよ。最高に、いい女」
シェスタのエントランスは祝花で溢れ返っていた。ダンスフロア風にテーブルレイアウトを変えた店内で、チュールのドレスをひらひらとさせて泳いでいるのは、アクアリウムの熱帯魚のように華やかで作り物くさい、ホステスという名の女たちだ。
「星夜、来てくれたのね」
主役のルカは、シックな濃紺のドレスを身に纏って、結い上げた髪をダイヤのアクセサリーで留めていた。
「顔見せだけね。おめでとう。ルカさん」
「ありがとう。豪勢なお花も、スタッフ一同喜んでいるわ。そちらのお連れの方は?」
「うちの店の従業員。バーテンやってる」
「橘です。よろしく」
「初めまして。当店のオーナーの綾瀬ルカです」
美男と美女は並んでいるだけで絵になる。店内は客でごった返していても、二人の周りだけまるで光を自発しているように輝いている。
「こんなに綺麗なママさんは初めてで、少し緊張しています」
「あら、お上手ね。――星夜ったら、こんな素敵な方を雇って、ホストクラブを始めるつもり?」
「ルカさんの好みは知ってるからね。落としたくなるだろ? この人」
「よせよ星夜っ」
「照れんなって」
ふと、自分のテンションが高揚していることに気付いた。思えば橘と飲みに出たのは今夜が初めてだった。たったそれだけのことが俺は楽しいのだろうか。
「――ルカさん、乾杯の前にこれ」
説明しがたい気持ちをふっ切って、俺はオーナーから預かっていた祝儀を差し出した。
「納めておいて。店の子たちの分もあるから。うちのオーナーがよろしくって」
「まあ。申し訳ないわ、蘇芳さんに気を遣わせてしまって」
「いいんじゃない? 人を祝うのが好きそうだよ、オーナーは。次に来た時にうんとサービスしてあげたらいいよ」
遠慮がちなルカがようやく祝儀を受け取ったところで、俺たちのテーブルにボーイがアイスペールとグラスを持ってきた。乾杯だけ付き合って、忙しいルカは他の招待客のもとへと呼ばれていく。どうやらダンスを申し込まれたらしい。社交術に長けた彼女は、それくらい簡単にこなす。




