第12章 2
「すごいな。三人の子持ちなんて」
「娘にデレデレやで、あいつ。剣人がいっちゃん綺麗に引退したなあ。あの王子様が今は普通の会社経営者や。ああいうのもええなあ」
「経営者か――」
剣人が家族と写っている画像を、矢坂がスマホで見せてくれる。少し体型がふっくらとして剣人は幸せそうだった。
婚約者のいた橘が、明るい陽の射す世界できっと夢見ていた未来。剣人と入れ替わるように、夜の街へ落ちてきた彼のことを思わずにはいられない。
「おう、星夜。待たせたな」
新年会の賑やかさに飽きた頃、オーナーがやっと現れた。他の新年会からハシゴをしてきたのか、既にほろ酔いのようだ。
「あけましておめでとうございます。遅かったですね、もうそろそろ退散しようかと思ってました」
「お前くらいだ。俺の呼び出しをそんな風に軽く扱う奴は」
このホテルの上階の、オーナーが自宅代わりに使っている部屋へ移動する。エレベーターへ乗り込む時に、幹部の誰かがおもしろくなさそうに俺のことを見ていたが、その視線を矢坂が手を振りながらうまく遮ってくれた。
「矢坂のああいう角を立てねえ器用さが、お前にもう少しあればな」
「蘇芳グループ一の切れ者には敵いませんよ。大人数で集まる時に、あまり俺を呼ばない方がいいんじゃないですか。何だか俺、嫉妬されてるみたいだし」
「引退したホストに気を遣われるようじゃ、どのみちたいした幹部にはなれねえ。お前はいい試験紙だよ」
「俺は幹部でも何でもないのに、迷惑です」
「勝手に言ってやがれ。――迷惑ついでに本題だ。ちょっと頼みごとがある」
部屋に着くと、オーナーはアタッシュケースから袱紗の包みを取り出した。
「ルカからのお招きだ。クラブ・シェスタ新宿店の開店三周年記念パーティーを開くんだと。俺は都合がつかなくてな。お前、代理にその祝儀を持って顔を出しちゃくれねえか」
「パーティー、ですか」
「招待状はその中に入ってる」
袱紗を開き、招待状の日時を確かめてみて、はっとした。今月の第三週目の日曜日。この日は確か――
「大安吉日だよ。お前の都合はどうだ」
「あ、……はい。空いてますよ。ルカさんにご祝儀を渡しておきます」
「助かるわ。同伴者も歓迎するとよ。ツレが必要なら適当に見繕え」
バイトが最近板についてきた橘の顔を思い浮かんだ。高級クラブの酒は彼の気晴らしになるだろうか。
「うちのでっかいライオンを連れて行こうかな」
「……星夜」
袱紗をたたみ直している俺を、オーナーは小さく呼んだ。
「そいつ、まだ飼ってんのか」
「はい。案外毛並みがよくて、懐いてくるんで」
「そうか」
く、とオーナーは喉で笑った。いつまで言葉遊びをしているんだと、皮肉るように。
「近いうちにお前の店に顔を出す」
「――はい」
「お前が拾った男を、見に行くよ」
晩秋の寒い雨の夜、うらぶれた街角に落ちていた男。ルカが開くパーティーと同じ日、橘は結婚式を挙げるはずだった。
気が付けば俺は、彼のことばかり考えている。
マンションから乗ってきたタクシーが、区役所通りの手前で停まる。この頃は日が経つのがやけに速い。ルカの店の開店三周年記念の祝いに、胡蝶蘭はもう贈ってあった。
「店にいる時の格好もいいけど、そういうのも似合うね」
「お前が見立ててくれたスーツだよ」
タイトに体を包むタイプのシャドウストライプのソフトスーツ。前から歩いてきた同伴出勤中のキャバクラ嬢が、そんな姿の橘をちらちら見ながら通り過ぎていく。
「俺もついて来てよかったのか?」
「一人でパーティーってのもあれだしさ。クラブ・シェスタは新宿では指折りの高級クラブだ。銀座に一号店があるし、接待で使ったことあるんじゃない?」
「海外勤務が長いと日本式の接待も無縁だよ」
「そうなの? 他の店は紹介できるほど詳しくなくてね。俺は基本的に女がいる店には行かないし、ホステスも俺相手じゃ商売にならないだろ」
「星夜、前から言おうと思っていたけど、職業選択を間違えていないか?」
直球なことを言われて、つい吹き出してしまった。愚問だが、橘のようにまっすぐな人間が言うと悪気は感じない。




