第11章 1
年末が近付いた新宿は、お祭り気分で賑やかだ。クリスマスのイルミネーションが歌舞伎町を覆い尽くし、虚飾の街の彩りがよりいっそう派手さを増す。
新宿駅から最終電車が出発すると、俺の店の客足も極端に減った。そんな時間帯に、空いたカウンターで橘が洗い物をしている。雇って五日目までは、彼は一日一個はグラスや皿を割っていた。水仕事をしたことのない彼は不器用だ。
「新人さんは、少しは仕事に慣れた?」
週に三度は来店する常連客が、煙草を吹かしながら言った。
「どうですかね。今日はまだグラスを割ってないけど」
俺は意地悪く答えた。常連客と俺の内緒話が聞こえたのか、橘は苦笑している。泡だらけの彼の両手が、シンクに溜めた湯の中へ沈んでいく。
「ねえ店長さん、どこで見付けてきたの? こんなにいい男」
若い女性客が熱い視線を橘に向けている。ホストクラブの方が好きそうな彼女は、常連客の連れだ。
「道端で拾ったんですよ」
「嘘、他の店から引き抜いてきたんでしょ? もしかして芸能界の人? どこかの事務所に所属してるとか?」
探りを入れてくる女性客へ、俺は曖昧に微笑んだ。詳しく説明するのは面倒くさい。
スタイルのいい橘は何を着ても見栄えがする。仕立て物のスーツもいいが、バーテンダーの格好はストイックな感じがしてなおいい。
「生憎、芸能事務所には所属していません。マスターのご厚意で働かせてもらっています」
仕事中の橘の態度は、きわめて紳士的で柔和だ。接客業の基本ができていて、こちらとしては助かる。
「――星夜さん、ごちそうさま。チェックお願いします」
「はあい、いつもありがとね」
テーブル席にいた客から、声がかかった。同じ蘇芳グループの店の黒服たちだ。
「橘さん、3番のテーブルを片付けて」
「はい」
上背のある橘が一人いるだけで、もとから狭い店内がより狭く見える。彼がダスターを持って働く姿に、俺はまだ慣れないでいる。
クリスマスイブ。街が一年で最も煌めく日でも、雇われ店長の日常は地味だ。夜更けにネオンを浴びること以外は、イブだろうが正月だろうが変わらない。
「……ん……」
目が覚めると、カーテン越しの寝室に真昼の陽光が射していた。ゆっくりと体を起こしてあくびをする。隣で橘が眠たそうに瞼を擦った。
「もう起きるのか?」
「寝てていいよ」
「まだ昼過ぎじゃないか。お前も二度寝しろ」
ぐい、と腕を引かれて、もう一度ベッドに寝かしつけられる。橘の居候が長くなるうちに、二人でひとつのベッドを使うことにお互い疑問を持たなくなっていた。
「ほら、星夜。枕」
「……うん」
橘の腕に頭を預けて、目を閉じる。何がきっかけだったか、橘がするようになったこの腕枕も、いつの間にか馴染んだ。
エアコンを切っている寝室は昼でも寒い。東京に本格的な冬が到来しているが、寝具の中は、再び眠気に誘われるくらい温かかった。
「今日の予定は?」
「えっと……、特になし。定時に店を開けるだけ。色気ないな、イブなのに」
店のカウンターには小さなクリスマスツリーを飾っている。ここ何年も誰かとイブらしいイブを過ごした記憶はない。
「橘さん、店を休んでもいいよ。約束とかあるんなら、有給あげる。今日ぐらいデートでもしてきたら?」
「相手がいないよ」
くしゃ、と笑い皺を目尻に刻みながら、橘は微笑んだ。ゲイに拾われた不運な彼。適当に女を作ればいいのに。
「プライベートを持ち込まないなら、うちの客と付き合ってもいいよ」
「……そんな気分にはなれない」
腕枕をしたまま橘がこっちを向く。思いのほか近いところに鼻筋の通った彼の顔が迫って、どきりとした。
「星夜とこうしてるのも悪くないかなって」
「何だそれ」
「……うまく言えないけど、その……まあ、お前といると落ち着く。そういうことだよ」
カタコトの日本語のような、要領を得ない言い方だった。俺のことを友人のように思っていると、そう言いたいのだろうか。
「いいの? ゲイにそんなこと言って」
「え」
「油断してると食われるよ」
そう付け足すと、橘は口を噤んだ。
俺は自分のことを分別のあるゲイだと思っている。部屋に住まわせているからと言って、望んでもいない相手に誘いをかけるような見境のない行動はしない。




