第10章 1
「つきしろせいや?」
「そう。月城星夜。ホストをしてた頃のフルネーム」
橘が複雑な表情をしている。吹き出すのを堪えているようにも見える。
「誰がつけたんだ?」
「客とうちの店のオーナー。ね、すごいだろ。星夜はまだ許せるけど、月城って。なかなかいないよ、そんなセンスの人」
昼過ぎの賑やかな往来で、我慢できなくなったように橘は爆笑した。十二月の第一週の空は快晴だ。新宿駅東口のロータリーは風もなくて暖かい。
「とてもかわいがられてるみたいだな、その人たちに。星夜の話によく出てくる」
「……うん、特にオーナーは水商売とか一から教えてくれたし、親みたいに思ってる」
「会ってみたいな」
「怖くないの? 歌舞伎町の帝王みたいな人だ。家系は本物のヤクザらしいし、本人も並みのチンピラよりよっぽどヤクザっぽいよ」
「星夜の親代わりの人なら、俺も挨拶をしておかないと。居候だし」
橘のこういうところが健全だと思う。住む世界の違う人間にも常識的に接しようとする。
「気にしなくていいよ。カタギの人とは相容れない。あんたのことは話してあるから、向こうが会いたくなったら会いにくると思う」
陽光に照らされた午後一時の新宿の街に、オーナーは姿を現さない。俺もめったにこの時間は出歩かない。夜の暮らしが染みついていて、太陽を浴びることに違和感を覚えるから。
「星夜もカタギだろ」
「俺が? どこが」
「全部。見てみろよ、モデルみたいだ」
立ち止まって、橘はすぐそばに建っているファッションビルのミラーガラスを指さした。スーツ姿の彼と、この冬に流行った革のショートトレンチを着た俺が映っている。
「一枚撮らせて」
橘が俺にスマートフォンを向けた。店用として契約した、彼に持たせているものだ。
「よせよ。撮るほどのもんじゃない」
「待ち受けにしようと思ったのに」
「ほんとやめて」
笑えない冗談を言って橘はスマホをポケットに戻した。俺の写真を諦めたかと思ったら、今度は髪に触れてくる。
「陽にあたると、もっと透けて見えるんだな」
彼の触れ方は何気なかった。指先で髪を梳いて、やめろと言わない限りずっとそうしている。
「綺麗だ。明るい茶色で、柔らかくて。星夜によく似合ってる」
ガラスに映る橘は、上から下まで誂えもののスーツを着て、まるでいい男の手本のような顔で微笑んだ。
「あんたの方がよっぽどホストっぽいよね」
「この歳でもいけるかな?」
「悪くないんじゃないの。ホストクラブに慣れてない客とか、橘さんくらいの年の方が話しやすいって人も多いよ」
食事を三度するようになって、橘には頬の膨らみや筋肉が戻ってきた。今日は彼のスタイリストをするつもりで昼の街へ出たのだ。季節柄、クリスマスのディスプレイをしたビルへ入って、カジュアルウェアのセレクトショップを二人でひやかす。
「ジーンズとか、履く?」
「ああ。以前ビンテージにはまって散財したよ」
彼のワードローブの値段を聞くと、俺の予想よりも桁がひとつ多かった。橘は無職になるまでは随分裕福だったらしい。ものを見る目も確かなようで、選ぶ服や小物の趣味も、彼のスタイルに合っていて洒落ている。
「こんなにお金を使わせて、いいのかな。星夜の方が年下なのに」
二時間ほどの買い物で、橘の両手はショッパーに塞がれてしまった。遠慮しがちな彼を焚きつけて、無理矢理俺が買わせたのだ。




