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眩い星夜  作者: コギン
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第8章 3

 その日の昼頃、彼はやっと眠りから覚めた。どこにいるかも分かっていない目をうろうろとさせて、部屋の天井やベッドの周りをしきりに見ている。

「――どうして俺は、男と寝てるんだ?」

 口を開くなり彼はそう言った。彼の丸くなった目と、青くなった頬が間抜けだ。その様子を見てすぐに分かった。彼がノンケ、異性愛者、性的に多数派のストレートだと。

 同性とセックスする俺の方が少数派だ。それが抗えない現実だと理解し、諦めたり納得したりするまでの間に、どれくらい時間と学習が必要だったかもう覚えていない。

「教えてくれ。……ここはどこだ? 俺はどうしてここにいるんだ?」

 彼の声がひどく掠れている。俺とは正反対の凛々しく引き締まった顔立ちに、その声が加わると、彼のセクシーな印象が増した。

「なあ、あんた風邪ひいてない?」

「え? ……ああ、少し……喉が痛い」

「雨の中で倒れていたくせに、よくそれで済んだね。ここは俺のマンションだよ。ずぶ濡れのあんたをわざわざ運んできてやった、命の恩人にお礼でも言えば?」

 俺はわざと厭味を言った。温かいベッドに俯せになって、彼のことを軽く睨んでやる。毛布からはみ出した俺の背中が、部屋の空気にあたって寒い。

「お前、裸……だな」

 彼の口が、餌を食べる金魚のようにぱくぱくと開いては閉じた。

「何かおかしい?」

「……俺も裸だ……」

 彼は呆然とした様子で呟くと、自身の素肌の胸に手を当てた。

 頭の中でどんな想像をしているのだろう。おぼこい少年のように、みるみる彼の頬が赤くなっていく。彼は自分がとんでもないことをやってしまったと思っているのだ。

「ゆうべ、っていうか今朝、あんたはすごかったよ」

 からかってやるつもりで、俺はそう言った。酒に酔った挙げ句の間違いなら誰でもしている。女にモテそうな彼にとっては、男と一夜を過ごしたこのシチュエーションは悪夢かもしれないが。

「溜まってた? 俺の中に入れっぱなしで寝かせてくれなかったね」

「嘘……だろう?」

 彼の期待に応えてやれるほど、俺はお人よしじゃない。だから事実を言った。

「記憶がないんだね。あれだけ酔っ払ってたら、仕方ないか。でも本当のことだよ」

 彼はあからさまに愕然とした。こんな時、ストレートの人間はまず自己嫌悪に陥って、それから汚いものに触れたような顔でもう一度こっちを見る。この男もきっとそうだろう、と俺は思っていた。

「俺が、お前を、抱いたのか?」

 彼は思いの外、真剣な目で俺を見ている。これまでの経験にない反応をされて、俺はつい身構えた。

「――うん」

 二人分の体温で、まだこのベッドは温かい。男どうしで肌を重ねた残滓を、分かりやすく見せつけてやる。

「証拠。ここ、と、ここ」

 毛布の中から這い出して、俺は情事の痕を指さした。セックスでしかつかない腰骨と足の付け根の小さな赤。互いに名前も知らないまま抱き合った痕だ。

「本当なんだな……」

 小さく呟いてから、彼は口元を手で押さえた。そうしなければショックで叫び出してしまう、とでもいう風に。

「……俺は、ひどいことを、しなかったか」

「え?」

 意外な言葉だと思った。彼は何か、見当違いをしているようだ。

「ひどいことって、あんたが俺に?」

「ああ。俺が無理矢理お前に乱暴したんだろう? ……すまない。許してくれ」

 彼は頭を下げた。ベッドシーツに額をつけて、土下座をしている。

「よしてよ」

 彼は顔を上げようとしない。俺を強姦したと思い込んで、本気で謝ろうとしている。真摯なその姿を見て、俺は自分がとても悪いことをしている気分になった。俺が想像していたよりも、彼はずっと健全で善良な人間だった。

「土下座なんて、やめようよ。別にセックスは犯罪じゃないし」

「いくら酔っていたからって許されないことはある。本当にすまない」

「相手が女じゃ洒落にならないけど、俺はゲイだし、抱かれるのは慣れてるから平気だよ」

「そんなことは関係ない!」

「あんたは頭が堅いな。今時、ちょっと珍しいタイプだね」

 彼にとっては相手が男か女かはどうでもよくて、抱いたことそのものが罪だったらしい。よく分からない理由で憤慨している彼の顔を眺めながら、怒った顔も悪くないと、俺は不埒なことを考えていた。

「じゃあ、こうしようよ。俺は酔い潰れたあんたを拾った。この部屋へ連れてこなきゃ、あんたは雨に打たれて凍死していたかもしれない。命の恩人である俺に、あんたは一晩かけて体で奉仕した。どう?」

「どう、と言われても……」

 俺が嘘と真実が半々の提案をしてやると、彼は納得のいかない様子で顔を曇らせた。

「まだ不満? これで納得してよ。あんたは謝ることなんか何もしてない」

「……でも、お前を抱いたんだろ」

「こだわるなって。こんな間違いは、もう二度と起きないから。俺は、一度寝た相手とは二度と寝ない。一回きりだから、安心して」

 この街で暮らすうちに、自分でそう決めた。恋人やパートナーのような特定の相手は作らない。抱かれるのは一度だけでいい。一度だけなら、間違いでも、酒の勢いでも、愛情がなくても、性欲だけでセックスが成り立つから。



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