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眩い星夜  作者: コギン
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第8章 2

 適当に客の相手をしながら、今日も始発の時間帯まで俺は店を開けた。夜通し降り続いていた雨は、午前四時を回ってやっと小降りになったようだ。閉店後に晩秋の街へ出ると、薄手のコートを着ていた俺を、凍えるような早朝の空気が包む。

 自宅のマンションに向かい、俺は雑居ビルが建ち並ぶ路地を歩いた。傘一本がようやく通れるほどの裏道だ。通りすがりのゴミ集積所に、何か黒いかたまりがあるのが見える。

 カラスの群れにしては、俺が近付いても飛び立つ気配がない。よく見てみると、その黒いかたまりは人間だった。一目で会社員と分かる、スーツ姿の男が横たわっている。泥酔して倒れたらしい。いちいち交番に届けていたら警察官も迷惑するだろう。

「おい。生きてるか」

 ぐっしょりと雨を含んだ男の黒髪を、手荒く掴んで揺すってみる。ん、と声にならない呻きが聞こえた。

「こんなところで寝てると狩られるよ」

 オヤジ狩りもぼったくりも日常茶飯事の街だ。試しに男のスーツのポケットを探ってみると、案の定、財布の中身は空だった。

 カード一枚すら残っていない財布をポケットに戻して、改めて男の顔を見た。精悍なその容貌には脆弱さはない。歳も若くて体力もありそうだ。ビルの陰の暗がりでも分かるほど仕立てのいいスーツを着ている。

 免許証やスマートフォンの類、身元が分かるようなものは何もなかった。唯一、男が手に握り締めていたピンバッジ以外は。

「社章……か?」

 上着の襟に布地を引っ掻いた痕がある。そこから乱暴にバッジを引き抜いたらしい。八つの赤い菱が円形に並んだ社章を、俺は男の手からそっと取って、なくさないように自分のスラックスのポケットに入れた。

「雨に感謝しろよな」

 普段なら、酔い潰れた会社員なんかほったらかしにしてやるところだ。でも今夜の気温ではこのまま凍死するかもしれない。

 傘を傍らに置き、ゴミの山に半ば埋もれていた男の体を引き上げる。大柄な男だ。弛緩した重たい体をどうにか抱えて大通りに出る。俺にとってはアフター5の早朝に、捨て猫にしては育ち過ぎた、けしてかわいらしくはない男をタクシーに押し込んだ。

 車中を満たす雨の匂いと強い酒の匂い。車でたった三分の距離では、マンションに着くまでに雨はやんでくれない。十階建ての七階にある、広いリビングと寝室が別の1LDKが今の俺の根城。店と同じく、この部屋もオーナーの持ち物だ。

 バスルームで男の服を脱がせ、温めのシャワーから少しずつ温度を上げていく。ホストをやっていた頃も、飲み過ぎて倒れた同僚をこんな風に介抱したことがある。いったい何時間あの集積所にいたのだろう。男の体は芯まで冷えていた。

「……へえ。けっこういい体してるんだね、あんた」

 無駄なもののついていない、健康的な筋肉質の体。この男はスポーツの経験者なのかもしれない。

 俺は即物的な人間だから、好みに関わらず出会った相手を顔や背格好で分類する。それは性欲を感じる対象に、外見以上を求めないようにしているからだ。

「なあ、何であんなところにいたの――?」

 どう見ても昼の世界で生きている人間が、夜と狭間の朝の街に落ちていた。

 シャワーの栓を閉めた手で、男の綺麗に張った胸筋に触れてみる。冷たかった肌が温かくなっていてほっとした。そろそろ目を覚ますだろうか。

「……ん、う」

 男が瞼を震わせる。俺は軽く頬を叩いて刺激してやった。

「起きろよ。もうあったまっただろ」

 掌にちくちくと無精髭があたる。その感触を確かめていると、いきなり手を掴まれた。

「えっ」

 強い力で引っ張られ、バスルームの床に倒れ込む。そのままのしかかってきた男は、俺が着ていたシャツを乱暴にたくし上げて、胸に吸いついてきた。

「お、おい! 何してる!」

 泥酔している彼は、俺を女と間違えて抱こうとしていた。彼の体を押し戻そうと伸ばした手を、逆に押さえ込まれて床に磔にされる。

「やめ――バカ野郎……!」

 殴ってやりたかったが、男の顔を見て俺は怯んだ。焦点の曖昧な彼の両目から、涙が零れている。

 泣いている男を見て、抵抗する気が失せた。よほどつらい目に遭ったのか、その涙の分だけ、彼は俺より不幸に見えたのだ。

「あんたが泣いてなけりゃ、ぶん殴って終わりなのに」

 俺の声はどうせ彼には聞こえていない。これほど泥酔していれば、きっと酒が醒めた頃には記憶が飛んでいる。彼の方の事情は知らないが、セックスの回数が一回増えたところで、俺は痛くも痒くもない。

「何だよ……あんた。卑怯だぞ」

 陽に焼けた彼の顔が、初恋の相手に似た造形をしていることに、今更気付いた。このまま一晩言いなりになって、告白もせずに終わらせた昔の恋の夢でも見ようか。

「目を覚ましてから、俺のこと、恨まないでくれよな」

 俺が投げかけた言葉に、当然彼からの返答はなかった。

 ゲイが相手とも知らず、彼は女にそうするように俺を抱いた。服を剥いだ彼の手の荒々しさが、窓の外が明るくなるにつれて丹念な愛撫へと変わっていく。

 愛撫に俺の体は熱く応え始め、頭の中もいつしか、真っ白に染まっていった。



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