第6章 3
「てめぇふざけんな! 冗談じゃねぇぞ!」
その日、営業時間の終わったルネスのバックヤードに、怒鳴り声が轟いた。アキラと彼の派閥のキャストたちが、異様な雰囲気でマネージャーを取り囲んでいる。
「これは系列店全体の正式な通達なんだ。冗談でも何でもないよ、アキラさん」
「俺を誰だと思ってんだ! 二号店に移籍しろだと? 納得できるかよ!」
系列店間のホストの移籍は珍しくない。グループ全体の売上アップのために、成績の悪い店に優秀なキャストを回してテコ入れをしたりする。実力を見込まれたはずのルネスのナンバー2のアキラは、何が気に入らないのか、通路の壁を蹴って激昂している。
「星夜、そろそろ帰るで。寮でゲームでも付き合ったるわ」
「矢坂さん、知ってました? アキラさんが移籍だって」
「……ああ、そうなる思てた。新人いびりしてるからな、あの人。最近店を辞めてく奴が多かったやろ。今回の移籍はテコ入れやのうて左遷やから、相手にしたらあかんで」
矢坂に肩を抱かれてバックヤードを出る。通路の途中で、アキラに立ち塞がられた。
「待てよ星夜。おいマネージャー、移籍ならこいつがいるじゃねぇか」
「アホ言いなや。アキラ先輩、もう認めてもええでしょ。星夜はルネスに必要な人材や」
「はぁ? こんなガキを置いてたって、何の役にも立たねぇ」
「矢坂さんの言う通りだ。まだ発表前だけど、星夜の売上はもうアキラさんを超えてる。来月からはナンバー2に昇格するんだ」
「何だと……?」
アキラが目を見開く。マネージャーの言葉に俺も驚いた。矢坂に遠慮のない力で髪をがしがしとやられる。
「すごいな、俺も追い抜かれてるやん。偉いで星夜!」
「いてて、痛いですよ……っ」
「アキラさん、星夜はルネス生え抜きで育てようというオーナーのお達しも出てる。ここはおとなしく指示に従って、二号店の方でがんばってくれ」
「バカにするんじゃねぇ! 星夜てめぇ表へ出ろ!」
アキラの取り巻きたちが、矢坂と俺を引き剥がす。無理矢理に店の外へと連れ出された俺は、裏手の路地で囲まれた。
「最初から目障りなんだよ、てめぇはよ!」
怒鳴られながら、いきなり腹に一撃をくらった。アキラの膝が鳩尾に刺さる。
「ぐはっ……っ」
息苦しさとともに嘔吐感がこみ上げた。体を折って地面に崩れ落ちる。
「――何……、するんですか……っ」
「うるせえ。汚ぇ目で見んな、このホモ野郎が」
左肩にアキラの革靴の底が乗った。踏みつけられる痛みよりも、彼が発した言葉の衝撃の方が大きかった。
「お前、二丁目で男を漁ってるらしいな」
「え……?」
「――俺の客が見てんだよ。男とラブホ入って何してやがった。あぁ? 答えてみろよ」
肩を蹴られる。硬い靴先が鎖骨を軋ませた。見られたくないものを見られて、血の気は引いていくのに、一方的な痛みには怒りが湧いた。
「店でサカってんじゃねぇだろうな、キモいんだよ」
「あるわけ、ないだろ。……ふざけてんのはそっちだ……っ」
また蹴られた。今度は足を。取り巻きたちに体を起こされて、傷んだ足を引き摺りながら無理矢理立たされる。
「何してんや! お前ら散れ!」
「アキラさん! やめろ!」
俺とアキラの間に、マネージャーが割って入ってきた。取り巻きの一人が矢坂に殴られて地面を転がる。
「星夜、大丈夫か!?」
崩れ落ちた俺をマネージャーが支えてくれた。アキラは汚く唾を吐き捨てて、こっちを睨んでいた。
「俺はお前を認めねぇぞ。ホモ野郎の下になんぞつけるか」
「何を因縁つけてんねん。後輩にここまでするか! あんたどうかしてるで!」
「こいつに垂らしこまれやがって。ああ、こんな店辞めてやるよ。俺を欲しがる店はいくらでもあるからな。ホモ野郎にケツふったルネスがどうなろうが知ったことか!」
アキラと取り巻きたちが去っていく。体中が痛んで動けない。アキラを呼び止めて、言い訳をすることもできなかった。
「星夜、怪我してへんか、救急車呼ぶか」
「……いえ。少し、休めば、大丈夫」
「ほんまか? マネージャー、オーナーに連絡して。アキラ先輩のしたことはオフレコにはさせへん」
「あっ、そ、そうだね、すぐに! とりあえず救急箱!」
スマホを手にマネージャーは店へ戻った。騒ぎを見ていた野次馬もいるようだが、それを気にしていられるほど、俺には余裕がなかった。
どうしよう。秘密をアキラに知られた。俺は咳き込みながらビルの外壁に凭れて蹲った。
「ヤバいわ、あの人。こんなひどい目に遭わさんでも……」
矢坂が脱いだ上着を俺の肩にかけてくれた。いたわるような彼の声に、俯いたまま応えられないでいる。
「星夜、痛みが引いたら言いや。おんぶして寮まで連れて帰ったるからな」
緩く首を振った俺を、矢坂は抱き寄せた。痛めつけられた体に、彼がいつもつけている香水が染みてくる。
「大丈夫や、あの人はどうせ報いを受けるよ。勝手な怒りにまかせてあることないこと言いよって。あんなん嘘やろ、お前がホモとかどうとか、タチ悪いわ」
はっと吸い込んだ息が、新しい痛みとなって俺を苦しめる。アキラによって綻びができた秘密に、俺は心の中でもう一度鍵をかけた。
「ただの言いがかりや、気にすんな。――まあほんまにホモでも何の問題もないし。俺はお前の兄貴分をやめへんけど」
「え……」
「俺の身近におったからな、そいつの相談に乗ったりしてたんや。好きな相手が男やいうだけで、えらい悩んでたし」
「矢坂さん……すごい、ですね。博愛、って、いうの……?」
「博愛ちゃうて。そいつ高校ん時の親友やから、特別や。俺は女の子が好きやけど、そいつが男好きになるんと一緒やん。相手が男でも女でも変わらへんやろ」
薄暗い店の裏手に、ふと眩しい光が射した気がした。
もし――もしも矢坂が俺の親友だったら、思い出したくもない俺の過去は違ったものになっていただろうか。
肩にかけられた矢坂の上着を、ぎゅっと握り締める。
「その親友さん、今は、どうしてるんですか」
「大阪の堂山のパブにおる。ニューハーフのダンサーしてるで」
「ニューハーフ……」
「向こうに行くことあったら紹介したるわ。……いろんな奴がおるよな。俺も今の仕事するやなんて、高校ん時は思わんかったし、親には打ち明けてへん。誰でも人には言えんこと、ひとつやふたつはあるやろ。人間なんやもん、しゃあないやん。な?」
膝に顔を伏せて黙っていると、矢坂が何度も何度も頭を撫でてくれる。アキラに何を言われてもいい。矢坂と親友になれたら、無敵だと俺は思った。




