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眩い星夜  作者: コギン
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第6章 2

 世間の正月気分が抜けたのは、翔子を出禁にして一週間ほど経った頃だった。

 寮のバスルームでシャワーを浴びていると、窓から見える風景がオレンジ色に染まって、新宿の街に夕刻が訪れたことを告げている。階下の部屋に住んでいるルネスの新人ホストたちが、そろそろ出勤する時刻だ。

『リュウジ、(たまき)海斗(かいと)、昨日付けで退店やて。慣れてきたところやったのに残念やな』

 シャワーを浴び終えると、スマートフォンに矢坂からメッセージが届いていた。

 在籍して最初の仕事は雑用ばかりだから、つまらなくて退店していく新人は少なくない。そもそもルネスには系列店から移籍してきた人気キャストが山のようにいる。歌舞伎町で一番の売上高をキープするルネスでも、しのぎを削り合う競争が激しくて、最近はグループや派閥の対立が目に見えるようになってきていた。

『星夜。この間はごめんなさい。直接話したいの』

 矢坂に返信をしている最中、新しいメッセージが届く。翔子からだ。今は落ち着いて頭を冷やしてほしい、とだけメッセージを返して、俺はスマートフォンの電源を切った。客によって複数使い分けているから、一台使えなくしても問題ない。俺は手早く着替えて寮を出た。

 今日は珍しく同伴出勤の予定が入っていなかった。二丁目に出向くことにした理由はとても単純だ。毎日女に囲まれて仕事をしていると、男の体に触れたくなる。接客している時は余計に、自分はゲイだと強く感じる。週払いの給料が会社員の月給を遥かに超えても満たされない。女と時間を過ごせば過ごすだけ、俺の体のどこかが干からびていく。

 新宿で暮らし始めてから、セックスの相手を見付けることにも慣れた。空がだんだん暗くなって、街が紫色に染まる時間帯が、不思議とよく誘いの声がかかる。ナンパを期待して歩いていると、後ろから近付いてきた車にクラクションを鳴らされた。

 振り返れば、見慣れた黒塗りのベンツ。運転手付きの、ルネスのオーナーの車だ。

「おはようございます」

 するすると後部座席のウィンドウが下りる。一日のうちでオーナーと最初に顔を合わせる時は、昼だろうが夜だろうがこの挨拶だ。

「よう色男、ナンパ待ちか? それとも事後か?」

「事前ですよ。すごいタイミング」

 俺はオーナーに会うと、ほっとした気持ちになる。ルネスで働くホストたちは、彼の前だと緊張するらしいのだが、俺は逆だ。オーナーと俺の立場はまるきり違うから、気負わずに話ができるのは良い関係だと思う。

 ホストになって間もない頃、今よりもずっと生きることに不器用で弱かった俺を、オーナーは抱いてくれた。あの一度だけのセックスをきっかけに、俺たちには見えない繋がりができた。互いを縛るような恋愛感情とは違う、空気のようにしなやかなもので、自由が前提の関係を俺は心地よく思っている。

「どっかで俺のこと、監視カメラで見てたんですか?」

「逢魔が時ってやつさ。乗れよ。メシでも食おう」

「すいません。今は俺、食欲より性欲なんで」

「身も蓋もねえ。仕事の調子はどうだ。ゲストを出入禁止にするほどモテてるって聞いたぞ」

「翔子さんのことですか? トラブルを起こしそうだったんで、今は距離を取ってます」

「そうか。ヤクザがバックについてる女には気をつけろ。ナンパもだぞ。ほどほどにしておけよ」

 少し話をしただけで、オーナーを乗せたベンツは新宿通りに向かって走り去っていった。彼の事務所のビルがこの辺りにあるから、仕事の途中だったのだろう。

「二丁目にもホストクラブを出せばいいのに。移籍させてもらえるかな」

 ホストクラブに限らず、探せばゲイ向けの風俗店は多数ある。ゲイバーで気に入った男を買うシステムも確立している。でも俺は二丁目では金を払いも受け取りもしない。ゲイの街のどこにでもいそうな十九歳の顔をして、誰かに声をかけられるのを待っている。

「遊べる?」

 仲通りと花園通りが交差する辺りで、日に焼けたゴルフ好きそうな中年の男に誘われた。指を三本立てている。俺のことを三万円で買いたい、というサインだ。

「ウリはやってない。また今度ね」

 自分を売るのはホストをしている時だけでいい。一杯の酒や、一回の微笑が、ルネスのゲストにとっては上限のない価値になるのだ。ゲストの払う金に慣れて、まるで王様になったような全能感に日々曝されていると、自分の立ち位置を見失いそうになる。俺が俺でいるために、二丁目ほどふさわしい場所はない。

「――一人?」

 また声をかけられた。後ろを振り向くと、俺より少し年上の背の高い男が立っていた。

「一緒に飲みに行こうよ」

 仕事帰りなのかスーツがよく似合っている。彼の短い髪や目元の力強い印象が、好みだった。

「面倒なの嫌いなんだ。気持ちいいことしてくれる?」

「いいよ。そっちの自信はある」

「言うね。じゃあ、そこ、入ろう」

 路地裏のピンク色の看板を見ながら、彼を誘った。話は早いほどいい。彼に肩を抱かれてラブホテルに入る。

 部屋を選んでエレベーターに乗っている間に、前戯が始まった。簡単にそれを受け入れた俺に彼は、慣れているね、と言った。

「こういうのいや? 初めてっぽい方がよかった?」

「かまわないけど、ちょっとびっくりして」

「つまんないこと言わないでよ。俺としたくて声かけたんでしょ?」

 名前も知らない相手とセックスをする。ベッドしかない狭い部屋へ縺れるようにして入り、鍵をかけたドアに手をついた。

「君みたいなかわいい子、初めてだ」

 ジーンズの上から尻を撫でられる。ベルトのバックルが外され、男の性急な指でジーンズと下着を脱がされた。

「ここで入れて」

「傷付けちゃうよ。ベッドでゆっくりしてあげるから」

「待てない。シャワーを浴びて準備してきてるんだ。お兄さんがもうすごく大きくなってるのも知ってる。早くおいでよ」

「――すごいな、君」

 後ろでかさついた音がする。封を開けたコンドームの包みが、冷たい床に落ちた。

「いつもこんな風に積極的なの?」

「別に」

 気に入った男と気持ちいいことをしたいだけだ。金が介在しなくて、強い欲望を持っている相手ほどいい。

「お兄さんが……好みのタイプだからだよ」

「嬉しいな」

「ね、髪、掴んで。犯すみたいにして。――俺、今日はいじめられたい気分なんだ」

 男が唾を呑み込んでいる。興奮している気配が伝わってくる。女たちがしてくれることと、全く逆のことをして欲しい。指名も売上もプレゼントも、何も考えなくていい一瞬が欲しい。

「泣いてもやめてあげないよ。君に声をかけてよかった」

 男の手が俺の髪を掴み、ぐい、と後ろへ引っ張った。仰け反った背中は、服が張り付くほど汗をかいていた。

 性急に交わり、足の爪先まで痺れさせ、射精の時を迎える。立ったまま気を失いそうになりながら、たいして見えもしない両目で天井を仰いで、真上にある色の抜けたライトを浴びた。

 欲望だけを満たした後も、興味がなくて、男の名前は聞かなかった。



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