第4章 1
ルネスで体験入店を重ねるごとに、マッハフーズの仕事は減っていった。午後七時から深夜十二時と、午前六時から昼の十二時というルネスの特殊な営業時間のせいで、俺の生活は昼夜が逆転しつつある。
ネットカフェではほとんど寝て過ごし、ネオンサインが輝く時間帯になって街に繰り出す夜行性の暮らし。体力的な疲れの他に、ホストは想像以上に精神を消耗する仕事だ。
「いらっしゃいませ、ルカ様」
「こんばんは。今日も寄らせてもらったわ。――あら、この間の新人さん?」
「いらっしゃいませ。こんばんは」
「ふふ。スーツがちょっと大きいみたい。矢坂さん、彼はまだお試し中なの?」
「そうなんですよー。今夜も俺のヘルプにつけてますんで、よろしゅう指導したってくださいね」
今夜も女王はたくさんのキャストに囲まれてVIPルームを独占している。ルネスのキャストが歌舞伎町の系列店から選び抜かれたホストたちで、このVIPルームを予約できるゲストも別格扱いのゲストであることを、シャンパンコールに圧倒されながら俺は肌で学んでいる。
「――何ですか、これ? すごく甘ったるい匂いがする」
「カルアミルク。コーヒーリキュールを牛乳で割るカクテルだよ。飲みやすいからヘルプ君も二十歳になったら試してみて」
ルネスのカウンターにはカクテル専門のバーテンがいる。厨房でフードやフルーツ盛りを作るシェフもいるし、接客するのはキャストだけで、それ以外にいろんなスタッフが働いている。地味な俺は、華々しいキャストよりスタッフと接している方が気が楽だ。
「アイスコーヒーみたい。女王様ってシャンパンだけじゃなく、こういうのも好きなんだ」
「違うよ。これはルカ様じゃなくてオーナーの」
「えっ?」
「意外だろ。オーナーは、ああ見えて甘党なんだよ。酒は何でも飲むけどカルアミルクが一番好きらしいよ」
ヤクザみたいな強面のくせに酒の好みは随分かわいい。今夜も女王と同伴出勤をしているオーナーへ、俺は緊張しながらカルアミルクを運んだ。
「よう、ぼうや。ちったあ店に慣れたか」
「あ、はあ、まあちょっとは」
オーナーと面と向かって言葉を交わすのは、とてもバツが悪かった。初対面の時の俺の状況が最低最悪だったから、オーナー本人は関係ないのに変に意識してしまう。
彼の素性はよく知らない。新宿はおろか東京じゅうに不動産を持っているとか、実は有力なヤクザの組長の息子だとか、本当かどうか分からない噂は耳にする。どちらにしても胡散臭そうだから、彼にはなるべく近寄らない方がいいだろう。
「おい、何だ今のは。矢坂、ヘルプに口の利き方を教えておけよ」
「アキラ先輩かんにんしたって、オーナーのことを怖いおじさんや思て緊張してんねや、なあ?」
「すいません」
「敬語は若いうちに慣れた方がいいね。ヘルプ君がヘマしたら、兄貴分の矢坂がクビになるしね」
「剣人! 縁起でもないこと言わんといて」
現ナンバー1の剣人や矢坂は好意的に接してくれるが、ナンバー2のアキラとその取り巻きたちは俺に白けた目を向けている。剣人派とアキラ派、ルネスのキャストには大きなグループが二つあると、マネージャーがこっそり教えてくれた。表面上は平和に見えても売上競争はとても熾烈らしい。新参者の俺にはあまりぴんとこない話だ。
キャストがゲストを酒と会話で楽しませている間、ヘルプはタンブラーの水滴を拭いたり灰皿を交換したり、テーブル周りの雑用をする。先輩たちの何気なく周囲に目を走らせる所作を、見よう見真似で覚えていく。もちろん酒の名前や注ぎ方も。
「ルカ様はロックはクラッシュアイスたっぷりがお好みや。リシャールのラベルが見えるようにボトル持って、はいゆっくり注いで、上手上手」
「新人さんは本当に矢坂さんの弟みたい。あなたも何か飲んで」
「ありがとうございます。いただきます」
俺がコーラを注文すると、女王はふふっと笑った。ホストクラブで遊び慣れた大人の彼女からすれば、十八歳の男はただの子供に見えるだろう。
ルネスのゲストは、一度担当についたキャストを次の来店の時も継続して指名する。店が設定した永久指名制というそのルールは、桁外れの金を落としてくれる女王にだけは適用されない。彼女は今まで誰も指名したことがないらしい。
指名無しのフリーで遊ぶ女王のテーブルは賑やかだ。キャストたちが女王を囲んで狙っているのは、彼女から初めての永久指名をもらうこと。永久指名をもらえたキャストは、彼女の売上を独占することになるから、一気に上位のナンバー持ちに昇格することも可能だと聞いた。