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第32話 (三人称視点)

 柚木森叶は幼い頃から母親の柚木森可憐(かれん)に十分愛を注いでもらっていたが、可憐は事故死し、柚木森可憐の姉の導がひきとることになった。


 導は不器用ながらも叶を育てたが、結婚した父親に感情を壊され、そこから叶は導と父親に愛されなくなった。父親は毎回変わり、叶も導もボロボロではあったし、お互いに愛し合うのはもう無理だと悟っていたが、叶は導の気持ちにたまたま共感できた為に、恨んだりはしなかった。


 そこからずっとどこか達観しているようなクールな雰囲気で周りから遠ざけられて、高校にあがった頃には新しい父と導のヒステリックかつ問題のある家族面談の様子を廊下にいた一部始終に見られ、尾びれのついた噂でからかうものや、より叶を遠ざける者が現れた。


 そんな時状況をマシに好転させたのが口枷業火だった。一年のクラスではかなり楽しかったと叶は認識している。三学期から二年の春にかけて、叶の下駄箱にいたずらが過ぎる仕掛けがされる様になり、そこから口枷の様子がおかしくなり、叶は多少の寂しさと諦めと苛つきを覚える。


 叶が最後の父親に不本意に犯された事を導が知ったのは、高校に入学してからの事だった。


 導は壊れた心が戻る事はなかったが、大切な何かは壊れていなかった。すぐに叶を病院へ連れて行き、その後最後の父親と絶縁し警察へ追い出して、叶にただただ罪悪感を感じ、必要な金銭や物を置く以外で、家にほぼ全く帰らない事が多くなった。この事は業火は知らなかったが、導が家にいる事が少ない事、導が実の母親でない事だけは伝えてあった。


 こんな状況になっても叶は誰も恨まなかった。叶は昔から状況を把握し、冷静になる事が多く、癖になっていた。決して自覚症状がない訳ではない。自分が運悪くそういう星の下に生まれ育った人間なのだと、どこか達観していた。


 だからクールに振る舞ってたのかもしれない。


 だからクールに思われていたのかもしれない。


 叶は言わなくていい事だと思っていた。もしバレたとしても、なるようになると、心のどこかでそう信じていた。


(でも全部駄目だった! 口枷君を……失望? 諦め? とにかく最悪にしてしまった!)


 叶は廊下をフラフラ倒れそうになりながら歩き、今回ばかりは冷静でいられなかった。


(そもそも、何で口枷君が怒るの。私の事なのに、何で? ていうか、どこまで見られたの? 何でもアリな戦士達の世界では、そんなプライバシーすら守られないの?)


────柚木森さん、ここでお別れにしよう。


(違う! 捨てられたんじゃないよ。ただ今は会うのを辞めようってだけで────)


 叶は下と唇を噛みながら練り歩く。


 歩いて歩いて歩いた先で、厨房フロアに辿り着く。


(ん……いい匂いがする……シチュー?)


「柚木森叶……さん?」


 と、黎明と修羅よりは小さいが、他よりは大きな身長のカチモリお団子の男。


「う」


「どうしました、酷い、顔ですね……。ここで異形に料理を振る舞っていたのですが、もしよければ、柚木森さんも、どうぞ……空いている席が、ありますから……」


 崩れ落ち泣き出す叶を、あわあわと汗をかきながら落ち着かせるひややか。


 落ち着いて、異形と並んで、ひややかから優しく「どうぞ」とほかほかの湯気を出すきのこや野菜の入ったクリームシチューを出されて、スプーンを持つ。


「ゆっくりで、いいですからね……」


 ひややかにそうなだめられると、叶は「いただきます」と、シチューをすくって一口食べた。


「…………っ」


 涙が止まらなかった。


 またすくっては食べ、飲み込み。すくっては食べを繰り返し、頭を片手でわしゃわしゃかき回した。


「泣きながらご飯を食べた事がある人は、生きているそうです……昔私の好きだったドラマの受け売り、ですが……」


「だとしたら、私は今日から初めて生きる事をします」


 泣きながら食べるご飯は、酷く美味しくつらく未来を想わせた。


「それもまた、人生ですね……」


「あの、鬱霧さん……」


「はい」


「私、彼氏がいるんですけど、その人も戦士なんですけど、束縛激しいし、メンヘラだし、自分勝手なんです。ついさっきずっと隠してた事がバレちゃって、しばらく距離置こう的な事言われちゃったんです」


「…………」


 一瞬ただのノロケかとひややかは思ったが、泣いてご飯を食べる子供を目の前にして、聞いてやらないなんて事はしなかった。


「でも、どうしようもなく好きなんです。ずっと一緒にいるなら、この人がいい、死ぬときもこの人とがいいってくらいに。だのに、私が少し、だいぶ間違えちゃったみたいで、それでもう、何も考えられなくて」


 ひややかは虚ろな瞳で、叶に助言した。


「こう考えるのはどうでしょう……彼氏の方が、明らかに悪いと。その上で、一度話し合うのは」


 叶はゆっくり首を横に振る。


「ならば、今はこのシチューを食べて、考えが纏まったら、会いに行けばいい」


 叶の頭をポン、と撫でたのはひややかではなく左隣の席のノッポの異形で、右隣の小さな異形は、叶の手を握っていた。


「このフロアは、一番暖かい。ご飯を食べる時は、そうであらなければならない、と、私は思うのです……」


 叶は辺りにうごめくたくさんの異形がご飯を囲んでいる事に気付き、なんだか家族団欒ってこんな感じなのかな、と綻ぶ。


 そして、シチューを飲み干した。


「────ぷはっ」


「いい食べっぷり」


「おかわり、してもいいですか」


「勿論。よそりますね」


「ありがとうございます。……二杯目が食べ終わったら、少し考えて、動き始めようと思います」


 ひややかは虚ろながら光を宿した瞳で、叶を見る。


「私も……このフロアにいたいですが、皆さんが食べ終わったら、片付けて、降りようと思います。こんな素敵なフロアで、戦いたくありませんから」


 と、叶のお椀にシチューをよそって、自分のもよそり席に着く。


「いただきます」 


「はい、いただきます」


 ひややかはこの時、油芽と禅歌以外の人間と初めて長く人と話せた。叶もまた、心を落ち着ける事ができた。人って、保たれていたものが急に保てなくなると、誰かの優しさに助けられる事で、前を向けるんだな、と、叶は暖かいシチューを食べた。

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