第2話
保健室に着くまでのわずかな間、恐山君は私を無視し続けた。
「……ねぇ、あの怪物は何?」
「…………」
「その傘はどこで仕入れたの?」
「…………」
「皆はどこに行っちゃったの?」
「…………」
この調子で恐山君の後ろを歩いていた。
もともとクラスで恐山君とは接点がないし、私は隅っこ人間なので、まあこの扱いは妥当なのかもしれないけど、正直に言うと無視されるのはキツイ。
私が恐山君の情報で知っているのは、彼が薙刀部で一番の腕という事だ。その情報を利用して話を広げてみる方法もあるかもしれないが、この状況なら尚更無視されるだろうし、この状況じゃなくともシカトだろう。何より何でテメェの様な貧困層サンが俺の個人情報をご存知なんだと空気をピリつかせかねない。もういいや、黙っておこう。
保健室に着いて、中へ入るとやはり誰もいない。やっぱり地球は終わるのか、と虚ろになっていると、恐山君がベッドのカーテンが全て空いている事を確認し、またもや私を睨みつける。
「柚木森さん、ここなら誰も来ないから、座って」
「え、あ、うん」
一番奥を指差す恐山君に言われるがまま、ベッドまで行きポスンと端っこに座る。恐山君は傘を手離さなかった。そうか、薙刀風のビニール傘なんだ、これ。
「そういえばさ、柚木森さんの靴に毎日仕掛け入れてる人、教えてあげよっか?」
「え……知ってるの?」
頷く恐山君。だが……。
「いやでも……今はそれどころじゃなくない? 私はそんな事より口枷君達の方が気になるよ。この世界がどうなっちゃってんのか気になるよ、恐山君も、関係者……なんでしょう?」
恐山君はつまらなそうな顔をして、また見上げる様な瞳になる。ここに来るまで恐山君の様々な角度の『気に食わない』様な瞳を見てきた。時には上から目線で、時には対等で、時には下から。この視線には何か意味があるのだろうか。なんだか、嫌だなってよりは、ただひたすらに恐怖を覚える感覚がある。うつむく恐山君の表情は見えない。
「あの、恐山君、これだけ教えてほしい。この世界は、本物?」
それに対しては無視する事もなく、ただ真っ直ぐこちらを向いて、言葉足らずながらも、教えてくれた。
「ここは本物と似て非なる世界。裏世界」
「裏世界……」
「偽物と思えば偽物だし、本物と願えば呑まれてしまう、危うくも美しい、理想郷だった場所」
「……?」
恐山君が私と少し離れた同じベッドの隣に座る。私は少し怖くなる。
「戦わなくていいの……?」
「戦わなくていいの? って?」
「え、だってその武器とか、他の二人だって、そんな得体の知れない物を持ってそんな話をしていたでしょ。この裏世界とやらでは、貴方達がヒーローみたいなものなんでしょ?」
「そう。でも、口枷が柚木森さんを一人にはできないからって。だからいる」
「私の事は気にしないでいいから、世界を救って来てよ」
「じゃあ約束してほしい事がある」
「何をですか?」
恐山君が怖すぎてつい敬語になってしまう。
「この戦いが終わったら、二度と俺達に関わらないでほしい」
「…………分かった」
留めるのが下手なビニール傘の武器を持って立ち去り、律儀に扉を閉める恐山君を見送って、私はベッドに寝転がる。
「……圧倒的疎外感」
ふとそんな言葉を呟く。口枷君ならともかく、恐山君と皆鴨君は全くといっていい程、接点がない。この状況で考えるべき事にしてはズレているかもしれないが、腑に落ちない。
何であんな事をわざわざ言われなければならないのだろうか。何か誤解でも生まれてないといいのだが。口枷君がひょっとして何か言ったのだろうか……。
口枷君……。口枷君?
そういえば、口枷君とはどうして話せる関係になったんだっけ。……ああ、一年の頃この高校へ入学してきた時に、席が前後だったっけ。
あの時からちょくちょく話して、意外と話が合って、それでまた同じクラスで、ちょっとした問題が起きて、噂が広まって、それっきり朝くらいしか話さなくなった。
また、一年の時みたく話せる事ができるのだろうか。一年の時は口枷君と話すのがかなり楽しかった。彼の詳しい事は結局何も分からないが、共有した時間や会話は私にとっては糧だった。
そう、結局何も知らないだけで。
二年の事件を除いて、私はいつだって蚊帳の外だった。
高一の時だって無口とマイペースさが仇となり、即隅っこ属性。中学では私の知らない所で誰かが泣いて、笑って、苦しんで、綻んで。体育祭は勝手に変わっていた自分の出る種目が分からなくて、トイレ掃除や教室掃除の時はいつだってやりたくない事を押し付けられて、キリがない。
そうだ、気づいたけど私、自分から行動した事、全くないや。あったのは最初くらいのもので、一度否定されたら、やる気とか頑張る度が削られるんだ。簡単に傷つくし。それで何もかも諦めモードになって、皆を諦めてた。皆を私も否定していた。だってそうしないと、保てなかったから、怖かったから、悔しかったから。
見栄やプライドが陣取って、あるいは自分が傷つくのが怖いからって人間に怯えて、特定の距離でいたのは私で。だから周りから良くも悪くもクールに見えたのかもしれないし、悪かったんだろうし、口枷君に素直にSOSを出せなかった。
たった一人の話してくれる人に、深くまで潜るのは危険だと勝手に黄色信号を出していた。
だって、今の関係が崩れるの怖かったし。
また言い訳をしてしまう。そうだ、そうだよ、私本当はもっと皆と仲良くしたかったんだ。何より口枷君の事もっと知りたいんだ。どうしよう、思い立ったらすぐ行動してしまう私だ。さすがに今は危険過ぎる。もし口枷君達があの蛇を倒したら、口枷君と話せる時間ができたら、いや無理にでも作って、話をしよう。
そうしたら、きっとまた一年の時みたいに話せる?
絶対、話したい。話せたら、いいのになぁ。
────カラン……。
「?」
ふと床下から煌めく様な音がして、何か落ちた? とこんな何も無い所で気味悪いなあと起き上がる。何だ何だ。ホラーは得意じゃないんだが。だがこのままにしておくのも後味悪い。
少し怖かったが、勢い任せでベッドの下を覗き見る。
「これ、は……」
私はそれを手に取った。
ヴィンテージアクセサリーだ。しかもかなり高そうな代物。昔祖母がこういうのを一時集めていたから分かる。
そのアクセサリーはネックレスで、丸い額縁の中に天使が描かれている。その天使は絵画的な天使ではなく、簡略化された、愛らしい輪っかと羽を持った天使だった。
『────彼の事が知りたい?』
「っ!」
ネックレスから声がするのに驚き、顔を低めるが、落とさない方が良い気がして、恐る恐る答える。いきなり喋るなよ怖いから。
「ネックレス……さん? 彼って、口枷君の事?」
『そう、口枷業火。彼の記憶の世界へ、連れてってあげるよ』
「記憶の世界……待って。その前に貴方は安全なの? 私をたぶらかして、どうにかしようとしていない?」
『…………』
黙るなーー!!!!
『…………この裏世界に関わった以上、誰も安全じゃない。神が許さない。ねえ、私は安全じゃないかもしれないけれど、私は貴方をどうにかしようだなんて思っていない。強いていうなら、私が貴方にどうにかされたい』
「どういう事……?」
『とにかく時間がないの。あの三人をずっと戦わせておくのは嫌でしょう? 待ってるだけは嫌でしょう? 口枷業火が蛇に殺されるのは嫌でしょう? だから私を首に着けて。貴方のその白い首に』
「よく分からないけれど、よく分かったよ。私の性質をご存知みたいでさ。口枷君を他人の力を借りて知るのは不本意だけど、私が貴方に従えば、この一件は落ち着くんだね?」
『うふふ、そうだよ。落ち着くよ。貴方がちゃんと考えて行動できる人ならね』
「…………」
私は下を向きネックレスを首に着けた。襟足を少し払って、首につくように。
「ほら、着けたよ。この後は────」
ネックレスから強い煌めきが放ち、それらが私を包みこむ。そして即座に、保健室ではないどこかへと写される。ここは────何処?
『────うるさいな! 僕の事なんて分かりたくもない癖に!!』
と、少年の甲高い声が響く。
「ここは……家?」
私は辺りを見回したりネックレスを触るが、特にネックレスから反応はない。
『じゃあ誰があんたの面倒を見るの? あんたそんなんじゃ、一生一人だよ!』
母親らしき、しっかりしてそうな、私からしたら怖いくらいにはっきり言う強い声。少年は家から飛び出し、走っていった。
『また業火か。今度は何をしたんだ』
『図工の時間に友達の絵を破ったみたいで、それで先生からも親御さんからも連絡が来てね。業火のやつ、何も教えてくれないから、もう手に負えないよ』
業火……? あの子供が……?
あの子供が、口枷業火?
私は急いで家を飛び出し、走る少年を全速力で追った。あんなに怒鳴る業火君、初めて見た。子供だからってのもあるかもしれないけど、何だか様子がおかしかった。
私が口枷君の背中に追いつき、大雨の中泣き叫ぶ口枷君を見て何故かこちらまで悲しくなり、近くまで歩き肩を掴もうとする。けれど、景色が途端に変わる。場面が、変わる。
次は教室で、学級裁判なるものが開かれていた。
口枷君は教壇の前に立たされており、教師は不在で、他の生徒達が仕切っていた。
『それじゃあ、ゴミ枷が悪いと思う人ー』
気の強そうな男の子……私からしたら全員気の強そうなガキだが、彼が仕切ると、全員が手を上にあげる。気の弱そうな子ですら、それぞれすぐに上げた。
『おい、ゴミ枷、なんか異論あるかー?』
人の名前を文字ってゴミだとか、何なんだこのクソガキ。
『僕は悪くない……。僕は悪くないんだ!』
『まだ言うかよ、いい加減気づけよ、お前の居場所も、信じてる人も、一人もいねぇって事にな』
『そうだよ、早く雪ちゃんに謝って!』
『だから、僕は……僕は』
『被告人は自分の罪を認めない様ですので、被告人口枷業火は本日を持って俺達の下男でーす!』
は……何だこの状況。口枷君が何をやったかどうかは知らないけど、団体で一人に謝罪を要求するの、普通に恐喝だし、何でこんなに学級崩壊してるの?
『『謝ーれ! 謝ーれ! 謝ーれ!』』
お決まりのリズムと共に、口枷君は涙を堪えて、あるいは何かがぶつ切れて、教壇を被告人呼ばわりした男子に向けて蹴り飛ばした。それは命中し、一同静まる。
『きゃ、きゃああああ!』
『おい誰か先生呼んでこい!』
『やっぱり予備軍だー!!』
そして、口枷君はゴミ箱のフタを投げつけ、更に溜まったその中身を教室内にいる全員に当たる様にぶちまけた。取り押さえられるまいと机を投げる口枷君。
阿鼻叫喚の教室。揉み合いになる口枷君と男子生徒達。そしてまた──場面が切り替わる。今度は会議室の様な場所。
『口枷、何でこんな事した。雪下の件もまだ終わってないぞ』
優しくも不穏に問いかける男性教師。と、その前に座る口枷君。そしてその間を挟むのは両親。
『先生、どうして僕だけが悪いという前提で話が進められるのですか。どうして僕だけがこんな仕打ちなのですか』
それは駄目元の囁きだった。
『聞こえないぞ口枷! ……俺は悲しいぞ口枷。お前はどうして輪を乱すんだ! その場しのぎでも謝ればいいだろう!』
「っ! 卑屈な気持ちで謝るなんて、今の僕にできると思うの!?」
『業火! 謝りなさい! 謝ってくれればもうそれで構わないから!』
ついに母親が泣きながら怒る。
『先生、無理です。私にはもうどうしようもできません……』
父親は外を見る素振りをするが、窓はブラインドカーテンで塞がれている。
『分かった口枷、先生と謝りにいこう』
『────僕をまたあの教室に閉じ込めるのであれば、僕はついに誰かを殺めるでしょう』
『口枷!!』
そこでまた場面が切り替わる。
今度は、誰もいない……のは外野だけで、そこは遊園地で、いるのは頬を腫らした子供姿の口枷君と、もう二人の少年。
『口枷! 今日の異形はあの花みたいなやつだ。推測するに、あのシャワーの穴みたいな所から何かしら出てくる。後ろから三人で首かっさらうんだ、やれそうか?』
『うん……ヒュー君は?』
『できる』
『じゃあ決まりだね……』
あれって、怪物……?
────そうだよ。あれは異形と呼ばれている。彼らは、というか君も知っている三人組は、この頃から異形狩りをしていた戦士なんだ。
え、ネックレスさんに心読まれた。異形狩りっていうのか。こんな幼い頃から……? 何故?
私も知っているって……、ひょっとしてあの眼鏡は皆鴨君で、あの天使みたいな見た目の子は……恐山君!? 彼に何があったんだろう……。つまりこの時からあの三人は三人組だったのか。
三人の小人達はそれぞれポケットからヴィンテージのブローチの様な物を取り出し、胸に付けた。すると光を放ちそこから例の武器が出てき、三人はそれを受け取った。
『行こう!』
『押忍!』
『おすにん!』
口枷君を先頭に、三人はあのロックフラワーの様な怪物……異形に立ち向かう。しかし、花の異形のシャワーの様な穴からは何も出てこず、ぐるんと花が三人へと振り替えると音声を発した。
『来たぞ!』
『────ハッ、ピー、バスデイ……ユー』
品質の悪い音声はただそれを繰り返すだけで、特に何もしてこなかった。皆鴨君の予想は外れた。それだけなら良いのだが、口枷君はその音声を聞いた途端立ち止まり、包丁を下ろした。
『『!?』』
二人は困惑するも、飛びかかる。
恐山君はまだ持ちなれてない薙刀風のビニール傘を、凄まじい身体能力で飛びながら、異形の足場を崩し、皆鴨君は重そうに三角定規や分度器等の定規が挟まった盾を武器にして、異形の首、茎の部分を見事狩り取った。
そして、異形は首から落ちて、茎と鉢の部分は観覧車目掛けて倒れてしまう。
『おい口枷! 何で止まったんだよ!』
『でも、口枷が止まったら異形の動きも鈍くなっていたな』
『ごめん……それより早く中身を取ろう』
中身……?
────異形の首を切り落として、その頭の中には必ず人間の姿をした異形の元凶がいる。その元凶を引きずり出して、更にその元凶の首を切って管理人に提出するんだよ。それが彼らに課された使命であり、運命なの。
「何を、言って……」
口枷君が足を使って花のプラスチックの部分を無理矢理破壊し、そこから更に外側を引き剥がす。バキッ! バキッ! と、全てが剥がし終えると、中からコードの絡まった一人の男の子が出てくる。口枷君よりも幼く、それはまるで今より幼い口枷君に見えた。
『口枷、この子供お前か……?』
皆鴨君が少しひるみながら言う。
『そうみたい。多分、僕の過去が異形化しちゃったみたいだね』
『ロックフラワーの玩具、もう捨てちゃった?』
恐山君が優しい声で聞く。
『うん。壊れたから。両親が気味悪いって。でも、おじいちゃんがまた来年もくれるって言ってくれて、けど、おじいちゃんその前に死んじゃった』
『『…………』』
『僕がちゃんとしてなかったから、死んじゃった』
口枷君は幼い口枷君の顔まで来て座った。
『今回は僕にやらせてね。僕が、自分で自分を断罪すれば、今日から変われそうな気がするから』
恐山君は皆鴨君に抱きついた。そして二人は見ない様にぎゅっと目を瞑った。
「そんな……何で……何で子供がこんな事をさせられているの……」
そして、口枷君は万年包丁を大きく振りかぶった。何度も、何度も。
私は、私はせめて目を瞑ってはいけないと開いていた。見るものではなくても。
張り付けられる様にかっぴらいていた。
ついにその幼い口枷君の頭を持ち上げる少年の口枷君は、頭部をぎゅっと抱き締めて、目を腫らして微笑んでいた。血に濡れながらも、抱き締めていた。まるでこの世界にはまだ希望も絶望も光も闇も溢れているかの様に。それを大切にしようと決意するかの様に。
一体三人には、口枷君には、何があったの?
────もっと、もっと深く、潜りたい。