第15話 (恐山視点)
「やあ、ヒュータ。この姿で会うのは久しぶりじゃん」
俺の所有する天使ガブリエルは、オレンジのハネた美術作品みてーな髪型と、相変わらずのカラフルなボタン達で彩られたポロシャツと足の長さを引き立てる黒いフレアズボン。劇団みたいだ。
「あのさ、皆をこれ以上苦しめたくないから率直に言うけど──俺は今のガブリエルが嫌いだよ。軽蔑すらしている」
ガブリエルは今更動じなかった。
「良き理解者になんて事言うのかなぁ」
「……ガブリエル、何怒ってるの? 今回のはやりすぎだよ、知らなかった。そんなに力があるなんて」
「……教えてあげない」
「じゃあ、どうしたら解放してくれるんだ? どうしたら、ガブリエル、満足してくれるんだ?」
その言い方は、そのまま本当に知りたかっただけなのに、ガブリエルの怒りを買ってしまった。
「なんなんだ……? その言い草は? まるで俺がワガママを言っているみたいじゃあないか」
「…………」
「戦士にしてあげたのは誰? 僕だ」
別になりたくてなったわけじゃない。
「やり場のない怒りを発散させてあげたのは誰? 僕だ」
本当はあんな形で発散させたくなかった。
「人には言えない様な相談に乗ってあげたのは誰? 僕だ」
人に言えない事は、天使にだって言いたくなかった。
「こんなに施されて、こんなに側にいてやってるのに、感謝の一言も言えないんだ! そうだった! そうだったな! ヒュータは僕の事、大嫌いだもんな!!」
何も感じない。いつの日からか、ガブリエルに対して何も感じない。どうしようもなくどうでもいい。だって、何だかガブリエルからは不思議なくらいに何も感じないんだ。俺と同じで、無機質。俺と同じで、何がしたいのか、見えない。
「ガブリエル、俺はあんたにどうしてやったらいい。どうしてあげるのが一番なのか、教えてほしい」
「……誰も好きにならないで。誰も相手にしないで。けど、僕の外見が好きになれなくても、僕の魂だけは好きになってよ。僕の相手だけして。それだけ」
「ガブリエル、ごめん。それはできない」
「……!」
「俺は、確かにガブリエルのおかげで戦えてるし、ガブリエルに話した事もたくさんあるよ。けど、本当は誰にも話したくなかった事ばかりだし、正直事あるごとに閉じ込められるのも、うんざりなんだ」
「……。……分かった」
「ごめん、ガブリエル」
「謝らなくていい、このおままごともおしまいにしよう。ただ、約束してほしい事がある」
「?」
「この姿か、この姿か、この姿か、この姿」
ガブリエルは最初は柚月の姿に化けて、次は口枷、次は柚木森さん、そして最後に黄食に化けた。声はガブリエルだったが、見た目は黄食そのもの。何だ、やめろ、やめてくれ。何を考えている?
「……この姿だな」
やめろ。黄食の姿で胸を触るな。
「何を、するつもりだ」
「してよ」
「…………?」
「キスしてくれたら、終わりでいいよ。この世界も、僕達の関係も」
「俺のファーストキスは柚月だったぞ」
「いいんだ。それでも。ただ、してほしくて」
「それで本当にいいんだな」
「勿論、僕も今回はやり過ぎたかなって思ってたからさ」
「…………」
俺は間違っていた。でもそうするしかなかったんだから仕方なかった。黄食と初めてキスするなら本物の黄食が良かった。けど、俺の心のどこか1個死ぬくらいで、このクソつまらない世界から皆を救えるのなら、これくらい、どうだってよかった。
俺はガブリエルの元へ歩く。一歩、一歩、少し迷いながら。
少女漫画から何を学んだというのだろうか。ガブリエルというか、そもそも天使達には性別がない。だからかもしれないし、ガブリエルがこんな感じだからかもしれないけど、無機質は無機質を愛さない。ひょっとして俺は女の子にしか優しくしようと思えないのかな。もしガブリエルが女の子だったらもっと最善的な考えに至ったのかな。
そもそも人として、そういった性の曖昧な生き物達に対して考えた事が全くない。扱い方が分からない。多分クラスにいたら知らず知らずに地雷を踏んで、傷つけて、酷い気持ちにさせていたかもしれない。
ガブリエルは、ちゅってしたら喜んでくれるのかな。それで、満足してくれるのか? 本当に。
ガブリエルの前に立つ。
ガブリエルは、黄食かるてそのものの姿をして、目を瞑った。
黄食は、本物の黄食も、こんな感じに目を瞑るのかな。
でもこれが最後なら、ガブリエルとして見よう。
俺は優しくガブリエルの後頭部を撫でて、肩を掴む。
あれ……? ほっぺでもいいの? 口? やっぱり口か? でも、でも、でもさ、やっぱり黄食の姿をしているのに、こんないきなり、こんな形で、こんな事していいの?
すると黄食の姿をしたガブリエルは、俺の顔をがっちり掴んで、そのまま、口づけをした。
「…………!」
その時、中身が中身なだけに、どうでもよくなった。
「っ」
舌を入れられた。ちっとも気持ち良くなかった。
黄食ともし、もしこうなったら、こんなくだらない感情になるのかな。それは、嫌だな。
「あがっ……!」
俺は倒れる。何か、ヒリヒリした突き刺す感覚に襲われて。
「――――異形化って知ってる?」
「!?」
俺は痺れる舌を出して、目眩と吐き気に襲われながら聞いた。
「岩倉チェインの実の兄――――北倉カインが異形狩りに参戦いや、介入してから知ったんだけどさ」
「!」
北倉カイン……? 聞いた事がある。そうだ、黄食と空知火が言っていた漫画家だ……! 北倉カインが、岩倉チェインの兄……!? 何でガブリエルがそんな事を……。
「岩倉チェインは戦士を増やすヴィンテージアクセサリーを神から授かって。北倉カインは異形を増やす異形化を目的とする組織に捕まって。それからこの物語は狂いだした。四大天使のヴィンテージアクセサリーを所有する四人の物語だったはずが、いつの間にかは野良戦士が増えて、派閥ができて、それで、そのまま」
喋れない。喋りたくても舌が許さない。
「ヒュータ、異形になって、戦士達に狩られてよ」
そうか、これが終わりなのか。気づけば手が麻痺して動かなくなり、俺は目を瞑る。
「僕も異形になるからさ、そしたら、同じ世界で手を取り合ってルンバを踊るんだ」
ひょっとして、夏休み、俺抜きのデスゲームが始まっちゃうのかな。
「こんなに好きでいるのは、つらいよ……」
俺もガブリエルを見捨てたくて冷たくしているんじゃない。けど、ガブリエルのその破天荒さに、少々家族を思い出してしまうんだ。それを早く伝えられたら、良かった……? 最後まで聞いてくれた……?
◆◆◆◆◆
恐山ヒュータとして生を受けて俺はすくすく育った。両親からも外でも天使みたいに可愛がられたけれど、俺の家族は、おかしいって事に気づいた。
そういえば、父さんは母さんに当たりが強い。
母さんは父さんからモラハラを受けていた。
ロジカルハラスメントだったかもしれない。
祖父母も母さんが気に入らないみたいで、それだけじゃない。近所への当たりや街行く人間全てが気に入らないみたいらしい。
語るに値しないあいつらの人間性は、やがて母さんを病ませて、俺すらも怒りを抱える様になった。
────そこで間違ってしまったんだ。
うつ病の診断を受けた母さんはその日からいないものとなって、俺は母さんの面倒やを見たり家にいられる間は家事を手伝う様になった。
母さんは好きでも嫌いでもない。でも、少なくとも自分の家庭の人間異常に気づくまでは、好きだった。母さんは綺麗な服や面白い漫画を集めていて、俺にも与えてくれた。でも、それはただのモノで、者じゃなかった。母さんは形あるモノで愛情を注いでくれた。俺はそれでも、確かに母さんの愛を受け取った。
母さんは自分を語るのが好きじゃないみたいだったから、そもそも愚痴すら聞かないし、多分もしかしたら俺と居る時間が、俺にモノを与える時間が、共有が、救いだったのかもしれない。
父さんや祖父母は厄介だった。暴力ではなく言葉で相手を舐め回す様にグチグチと痛めつけ、母さんのうつ病が発覚してからは俺に当たる様になった。
父さんと祖父母は、まるで次の捌け口を探す様に、俺をターゲットにした。別に、母さんへの態度が綺麗さっぱり変わった訳じゃなかったんだけど。
中学は成長期で、自分の声が変わったり、体が異様に大きくなったり、毛が生えてきたり、まるでこれから俺があの父親という名の化物に成り代わっていくんじゃないのかって怖くて憎くて気色悪くてたまらなかった。そして最終的には祖父母の様な人間性として己を枯らしていくのが、恐ろしくて嫌だった。
俺は母さんへの今までの行いを家族全員に撒き散らした事があった。けれど失敗に終わった。祖父母はテレビへのグロテスクな発言に身を焦がし、父さんは、父さんはというと、テレビを消して、俺の目の前に立ってこういった。
「ヒュータ、今まで悪かった」
それは一見希望にも見えたのかもしれなかったが、そんな事この家族の世界にあるわけがなかった。
「父さんお前の事気づいてやれなかったよな……高校受験で悩んでいるんだろ。分かるよ。俺もそうだったから。大丈夫。高校の学費も防具代はちゃんと払うし、誰もお前を突き放さないよ」
その見当違いの答えに、解釈に、身の毛がよだつどころか、感心さえした。諦めさえした。俺が金の心配をしているとでも? 確かに、依存して払ってもらってる部分が殆どだ。けどそれはあくまで子供のうちの話であって、肝心な母さんへの謝罪は、一言も聞けていなかった。
俺は部屋に戻って、少女漫画で埋め尽くされた棚を見て、ベッドに倒れた。
あの頃の元気な母さんは戻っては来ない。
今思えば空元気だったのかもしれない。
それがその日の終わりだった。
薙刀を続けさせてもらって、大会では少しだけ喋る様になった母さんに交通の面倒を見てもらって、結局俺は面倒見てもらいっぱなしの怒りを携えた寄生虫。その頃は高校二年生で、柚木森叶という一人の少女に桜の花が舞う様な感情を抱く様になった。その時から既にカブリエルの束縛にあっており、俺は柚木森さんの靴に仕掛けをし、ガブリエルの命令通りの事をする毎日となった。
なんだ、なんだよ。俺は笑った。誰もいない桜の木の下で、笑った。
────これじゃあまるで、父さんと同じじゃあないか。




