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ケダモノの狩人  作者: 光合セイ
第1章 北西のグレートゲーム
3/3

3発 帰宅

 少女がレルスのツリーハウスで療養して、

 なんと二日ほど過ぎた。過ぎてしまった。


 打撲と擦り傷だけの負傷だったのに、


 紳士な狼獣人の介護付きで、

 美味しい食事が出てくる物だから、

 そりゃあ年頃の女の子には帰る気も起きない。


 失礼な話ではあるが、初日は食べずらかったグロテスクな食事も、二日経った今では普通の食事同様に食べれるようになった。


 だが療養というには余りにも暇で、リハビリと称してレルスの日課に付き添う日々。

 そしてレルスの日課は、ファム狩人として成長する上で、学びを得るに最適の機会となると確信した。


 ここで言う『日課』というのは、『狩り』のことを指す。


 朝食も昼食も、保存していた燻製肉や兵糧丸のような保存食で簡単に済ませてしまうレルスなのだが、夕食には昼間に狩った獣の肉が必ず出てくるのが決まりとなっている。

 レルスとしては荷物持ちが出来たという感覚らしい。自分としても狩人としての練習と勉強が出来るため、研修を受けているような良い日々を送っていた。




「そろそろ帰ったらどうだ?」


 だから夕飯を食べているときの、彼の脈絡の無い言葉には心底驚かされた。


「え……えっ!? わ、私、何か気に触るようなことをしましたか!?」

「む……そういうことでは無い。寧ろ洗濯や掃除など、良くしてもらっている」

「じゃ、じゃあ何で、こんな急に?」

「お前にも両親がいるだろう」


 言葉が足りないことがわかったのか、彼は『両親』という言葉を付け足す。ああ、そういえば。


「……わ、忘れてました」

「…………お前は馬鹿か?」


 何故忘れる、と付け足し呆れる。


 ズンッと飾り気のない言葉の矛が、

 ファムの心に突き刺さし貫いた。


 実際親の存在を忘れるとか、そんなことあるだろうか? あるんです。寧ろ居心地が良すぎるのが悪いと思います。


「ずっと此処に留まっているわけにもいかんだろう」


 ため息混じりの彼の言葉に、

 うむむ……とファムは項垂れる。


「元々は狩りでした怪我の療養、だからな。

 必要以上の滞在は両親の心配に繋がる。

 これは控えるべきだ」

「……はぁい」


 先生のような口調で説教する。

 此処にいないでさっさと出て行け、

 と言わないのは、彼の優しさだろう。


 そう思うと嬉しくなる。

 かなり、いや本当にかなり居心地が良かったのだが、ここまでして貰っては致し方ない。


 重い腰を上げるとしよう。


「それじゃあ明日には帰ります」

「ああ。……何故、笑っている?」

「……へ?」


 少女は自分の頬が緩んでいることに気が付かなかった。

 彼からの指摘を受けた少女は、完熟した林檎のように朱く染まる。


「あ、い、いえ! 何でもありません!」

「そうか」

「そうです!」


 彼は首を傾げながらも納得する。


「途中まで送って行こう」

「え、そんな! 大丈夫ですよ!」

「俺も近々街に赴こうと思っていた」

「そうなんですか? ……えっと、それじゃあ、お言葉に甘えて」


 ほんの少し照れ臭い。

 男性に護られながら歩くというのは、

 何だかとても気分が気分がいい。


 これが良い状況ではないことを、

 己の怠惰を識る少女はよく知っている。


「それでは準備を始めよう。狩人の基本だから覚えておいて損はない。

 ここからだと歩いて数時間の距離と言ったところか。

 方角はお前に任せるとして、主武器に銃……を使うこともないか。ナイフでいいな。

 ああそれから、その棚から糸と杭と針金を出してくれ。あとは……」

「ちょ、ちょっと待ってください! そんなに一気に捲し立てられても覚えきれません!」

「覚える必要はない。感覚を掴むだけでいい」

「それでもです!」

「む……」


 狼獣人である彼からしてみれば容易なことなのだろうが、只の人間である少女には到底覚えきれない情報量だ。

 ここに来て人間と獣人の違いを見せつけられた。


「身支度も、ある程度整えた方がいいか?」

「大丈夫です。家に帰るだけですから」

「そうか」


 彼は何だかんだ世話焼きな青年だ。

 一人暮らしをしているのだから当然なのだろうが、家事全般は完璧である。

 しかも髪を結うのも上手ければ、梳くのも上手い。毛並みの手入れも自分でやっているからだろうか。


「ありがとうございました」

「何かの縁だ。別にいい」


 早く支度を整えろ、

 と催促するように手をひらひら振るレルス。


 その背は何故か、見るよりも広く大きいようにファムは感じた。



ーーー



「それでは行くとするか」

「はい!」


 荷物を背負い、いつも通りの迷彩服を纏った彼は言う。

 懐にはコンバットナイフを潜ませており、腰巾着の中には様々な道具が入っているらしい。


 どんな状況下でも対応できるようにするためだと聞かされているが、どんな状況を念頭に置いているのかがイマイチわからない。

 少女は彼から借りた外套を羽織って、彼の後ろを小鳥のようにポテポテと歩く。


 道は整備されておらず、歩いても歩いても、見えるのは鬱蒼とした木々だけ。

 狩人というのはこんなものだとわかっていながらも、同じような風景を繰り返し繰り返し見せられていると飽き飽きする。

 故に道中のちょっとした談笑に恋をしてしまう。


 この青年は自分から話そうとしない。

 話題を提供しようとしない。

 ずっと口を開かず無言のままなのだ。

 だから、こちらから話題を提供しなければならない。


「レルスさん」

「なんだ?」

「どうして狩りをしようと思ったんですか?」

「ふむ……」


 顎に手を当て一考。


「何故、聞く?」

「だって、気になるじゃないですか」


 人間至上主義の代から時は流れ、時代は亜人の受け入れられる世の中になった。

 しかし彼は人目を憚って森の中に棲みつき、知りもしない誰かを助ける狩人と言う職で生計を立てている。


 何故なのか。

 異種族の少女は疑問に思う。


「生きるためだ」

「生きるため、ですか?」

「ああ」


 時々彼は難しいことを言う。

 遠回しに言うこともある。少女は首を捻ってその意味を考える。


「俺は物心付いた時には、側には誰もいなかった」

「え?」

「恐らく亜人の迫害中に、人間の手で殺されたのだろう。よくある話だ」

「……」


 近代世界史最大の汚点『亜人迫害』。

 大陸人口の7割を占めるようになった人類種が、その傲慢さを発揮した暗黒時代。

 元は亜人を人類種最大の敵とする説『禍亜論』を発端としたとされるが、その真偽は不明となっている。


 何にせよ、人類が引き起こした負の連鎖である。

 獣人から人類に向けた憤怒や怨念が、今もなお続く対立構造の温床となっている。


「俺は狼獣人だ。親も狼獣人だ、多分な。

 人間の亜種……亜人とはいえ獣の一種だ」


 声のトーンを落とす。


「人と見た目が掛け離れた獣人が、主権を認められていない時代で狩られるのは当然のことだ」

「…………」

「かつて狩られるくらいならば、狩る側へと回ってやろうと思ったこともある。

 それが危険極まりない道であったとしても、世界からは到底容認されないような事なのだとしても」


 彼は振り向いて、少女の視線と交差させる。


「何をしても生き延びてやる、と」


 その群青の瞳に、

 決意の籠もった黒い炎が宿る。

 メラメラと、大きく逞しく。


「だが師匠に遭った」


 空気が変わった。


 レルスの声の強かさが消え、さながら昔を思い出すような柔らかな声音へと変化する。

 清涼な川の水が、瞳の中の黒い炎を鎮火したような、急激な変貌ぶりにファムは目を剥いた。


「あの赤い髪の女との邂逅は、

 獣へと堕ちかけた俺を根底から変えた。

 そして俺の生は、本来の形を取り戻した」


 その炎はなんだか、

 尊いものだと少女は想う。


「狩人として動くようになってから十数年経ち、いつしか獣人が受け入れられるようになる時代になっていた。差別は未だ続いているが」

「それは……」


 少女が目に見えて気落ちする。

 その様子を見た彼は、ポンと少女の頭に大きな手を置いた。


「お前が気に病む必要はない。この件に関しては、悪い奴はいないのだから」

「でも、人間のせいで、貴方は両親を……」

「俺の両親は、あくまで蒸発だ。殺されたと確定したわけでもなし、もし殺されていたとしても、俺は肉親というものに対して愛着があるわけではない。会ったことがないからな」


 そう言うレルスの声は、ひとつ程音が下がっていたような気がした。

 ファムはレルスのことを少しわかったような気がした。多分この人は、必要以上に自分を隠してしまうのだろう。


「殺した人間も、消えた親も、その時代に生きていたのならば、殺される覚悟はあったはずだ。互いにな。

 今の時代を生きている俺が、その覚悟に反するような真似はしたくはない。だから遠からず、近からずだ。これは、俺の狩人としての矜持だ」


 少女は上目遣いで彼のフードの中を覗き込む。この目の色は如何なる感情だろうか。少女には感じ取ることが出来なかった。



ーーー



 少女の生まれ育った街は、自然豊かな農村ではあるが、ある程度整備も施され綺麗な街であった。


 王都からは離れた辺境の街でありながら、肉や野菜といった食糧と獲れる物資も多く、重宝されている街である。


「着いた……」


 少し離れた場所から見えるのは、町全体を覆っている石の外壁だ。

 建造されてから100年は経っているはずなのに、ヒビのひとつもないほど手入れがされている石壁を見上げ、少女は安堵の息を吐く。


 そんな少女に彼は言う。


「俺はここまでだ」

「え、せめて中まで……」

「ここはロンド……獣嫌いの貴族の持つ街だ。狼獣人が入るわけにもいかないだろう。俺の行くべき所は他にある」

「…………確かに、そう、ですね」


 守るように共にいてくれていた人がいなくなると、途端に寂しくなってくる。

 そして、そんな彼に、悲しそうな表情をさせてしまっていることを不甲斐なく思う。


 少女は目を伏せた。


「……わかりました」

「わかってくれたか」

「はい。ありがとうございました」


 深く腰を折って一礼。助けてもらった恩を返せてはいないけれど、彼がダメだと言うのならば仕方あるまい。


「そういえばレルスさん」

「なんだ」

「わたし、きちんと自己紹介してませんでした」

「……そうか?」

「そうですよ。名前はお教えしましたが、家名はまだ教えられてませんでした」

「そうか」


 ふむ、レルスは頷いた。

 家名を持たないレルスにとって、名前だけ知っておけば家名は必要ない物だと言う認識があった。


 だが家名を持つ人間と関わった以上、自分の価値観に従っておいそれと無視したら失礼にあたる。



「名前はファム。家名は()()()


 ファム・ロンドと申します」


 と、スカートの裾を持ち上げ、屈膝礼(カーテシー)の要領で礼をした。



 貴族、ロンド家。

 嘘か真か関係なく、狼獣人である彼に名乗るのは、失礼極まりない一族の名。


 嫌われただろうか。

 失望されただろうか。


 そんな一抹の不安が、ファムの脳裏を駆け巡る。


「ならば俺も、改めて名乗ろう」


 だがレルスの群青色の目は、一切の戸惑いを見せることなく静かに頷いた。

 フードを少し上にあげ、尖った鼻と灰色の顔を露わにして、毛深い灰色の右手を差し出した。


「……俺はレルス。家名はない。ただのレルスだ」


 2日前と同じだ。

 前と変わらぬ台詞を、

 前と変わらぬ調子で言う。

 2日間だけの付き合いなのに、その無愛想な表情がどうにも彼らしいと少女は思う。



 ふふっ、と笑ったファムは、

 差し出された手を握り返する。

 力強くも優しい、大きく暖かい狼の手。


 2日間しか付き合いがないのに、

 この大きく毛深いレルスの手に、

 ファムは不思議と心地良さを感じた。


 しかし良い時間というのは、そう長く続かない。


 レルスは握った手を放し、

 踵を返してロンドの街に背を向ける。



「さらばだ。ファム・ロンド。

 お前の人生に幸あることを、

 俺は森の中から願っている」



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