2発 狼獣人と【魔法】
「付いて来い」とレルスに言われ、
迷彩柄の背を追っあ少女は、
痛む足を気遣いながら付いていく。
森の中で絶体絶命の中助けてもらったとはいえ、やはり彼は男。少女は襲われるのではないかという不安を抱きながら、警戒して付いていく。
いざとなったら金的を蹴り上げてやる……と、男ならば誰しもが恐怖を抱くような決意を抱く。
だがレルスは襲うどころか、少女を気遣うように歩調を緩めて歩いている。
途端に自分が恩に仇なすような思いを抱いていることが恥ずかしくなっきて、少女は頬を染める。
しばらく歩いていると開けた場所に出てくる。
噂に聞いたことのある何処かの国の神樹のように大きな木々が折り重なって、一種のツリーハウスとなっている。一言で表すなら、神秘的な場所だった。
レルスは梯子が降ろされている場所まで歩くと、少女に向き直って問うてきた。
「登れるか?」
厄介な質問だった。膝にすり傷を、肘を打撲しているとはいえ、梯子を登れることは登れる。痛みを堪えられるかと問われればノーだ。
「そ、その……」
「…………」
しかし命の恩人にこれ以上気を遣わせるのは、あまりにも厚意に甘え過ぎだろう。
せめて自分の脚で登りたい。どうすればいいか……
「面倒だ」
悩む少女を見てレルスは、ため息を吐いて
少女を横にして抱き上げる。お姫様抱っこだった。
「ひゃ……!」
「口を閉じろ。舌を噛むぞ。目を瞑れ。宙が怖かったらな」
「ど、どういう……」
「こういうことだ」
レルスは思いっきり、
少女を上に向け投げた。
「……ぁぁああああ!?」
「ーー無事だな」
重力を無視した少女の上昇に、
驚異の跳躍で追いついたレルスは、
再度抱き上げて木製の柵で区切られたバルコニーへと着地する。
一切の振動も無くストンっと軽い音を立てただけだったのには驚いたが、そこもやはり彼の熟練の狩人としての技術なのだろうか。
「立てるだろう」
「あ、ぇと……はい」
「なら降りろ。付いて来い」
言葉の無遠慮さとは裏腹に、ゆっくりと丁寧に降ろされる。意外と紳士なのかもしれない。
案内されてに中に入る。
すると、ふわっ、と暖かい空気が少女の頬を優しく撫でる。
ガラス窓のない、まさに開けっぴろげなツリーハウスなのに、何故こんなに暖かいのだろう?
「ふむ……たしかこの棚だったはずだが……」
ガサゴソとフラスコやらビーカー等の実験器具が並んだ棚に腕を突っ込むレルスは、ようやく目当ての物を見つけたのか少女の下へと持ってくる。
街で市販されているサバイバルキット付属の治療キットだった。
「少し痛いが我慢しろ」
「は、はい……ぃいッッ!?」
打撲跡に液体が染みる。
ツンとした痛みが擦りむいた膝から鼻へかけて電光のように迸り、少女は少し涙目になる。
それに気付いてか否か、レルスらすぐにぐるぐると包帯を巻かれ、膝に簡単な止血を施された。
すると液体の染みる痛みは無くなり、ジンジンとした痛みしか感じなくなった。
「応急処置となるが、この程度の怪我であれば充分だろう」
「あ、ありがとう……ございます」
少女は巻かれた包帯と、肩から布で吊るされた腕をマジマジと見る。
お礼を言って、とあることに気づいた。
「休んでいくといい。明後日までには動ける体になるだろう」
「……あの」
「む」
セリフを途中で中断させられたにも関わらず、別段気にした風でもなく首を傾げる彼に、少女は男の頭を指差して問う。
「迷彩服、脱がないんですか?」
迷彩服というのは、見た目よりも重く、暑いと聞いたことがある。
風通しも悪く、何より熱を集めやすい。フードを被って頭を覆っているならば、普通に着るよりも数段暑く感じることだろう。
「そうだな……」
彼はそう言って被っていたフードに手を掛ける。フードの下から銀色の混じった灰色の髪。
厳ついというよりも、凛とした蒼く鋭い目。そして、何よりも目を引くのはーー
「狼の耳……!? まさか、狼獣人だったんですか!?」
「む……ぅむ……」
彼は困ったように唸る。自分の種族で驚かれるとは思っていなかったのだろう。
「す、すいません……獣人と出会うのは初めてでして……」
「ああ、わかった」
しかしそれはそれとして彼はショックだったのだろう。
感情と連動しているかのように、ショボンと耳が垂れ下がっている。
少女はフォローしようと慌てるが、それよりも彼の行動の方が早かった。
「夕餉の支度をしよう。生憎と此処には肉と果実しかないが、草が食べたいのなら今のうちに言え。人間が食べれる野草を採って来よう」
そう言われて、クゥ、と可愛らしく腹の虫が鳴った。誰のとは言うまでもない。少女は羞恥で頬を染めた。
時間が止まる。彼は気にした様子もなく、答えを待っているだけのようだが、少女は一人の乙女としての恥ずかしさに内心静かに葛藤する。
「お、お肉も野菜も……お願い、します……」
ーーー
レルスは夕餉の支度を黙々と進めていた。お世辞にも機能的とは言えない台所だ。
しかし定期的な片付けと調整で、便利に使えるように工夫が凝らされているようである。
そして卓に運ばれてきたのは、何某かの動物を燻製した肉と、浅葱色の液体がかかったトゲトゲした野草に、奇妙な色をした果実。
食べられないと言う程でもないが、街中の八百屋や肉屋の加工された売物を食べてきた少女にとっては野生的な食卓だった。
「あの……この野菜って……」
「トンラ草だ。街では薬草として重宝されている。刺が付いているが、蒸しているから口内は怪我をしないはずだ」
「この果実は……」
「クラボの実だ。檸檬と蜂蜜を塗してあるから、疲労回復に繋がる。だが酸いから気を付けろ。初見では吐き出してしまう輩もいる」
「じゃあ、この肉は……」
「さっきお前が狩った獲物だ」
ファムの怒涛の質問責めを、
レルスは淡々と答えていく。
その間もモグモグと口を動かしているのだから、狼獣人というのは器用な種族である。
「さっきの……?」
「ああ」
「たしか、カリペー、でしたよね?」
「その通りだ」
あの時は混乱していたせいか流していたが、カリペーなどと言った獣は聞いたことがない。
「知らないのか」
「……は、はい」
レルスは深いため息を吐いた。呆れられているのだろう。途端に自分の無知が恥ずかしくなってくる。
「鹿の上位種だと思えば良い。角があり、蹄があり、四本足。体の線は太いが足は早い。温厚な草食動物だが、暴走すると面倒だ」
「な、なるほど……で、でもそれだと鹿とは変わりないのでは……?」
角あり蹄あり四本足の獣なんて、そうそういるわけでもない。
「カリペーは鹿と違って、魔素を吸収している」
「魔素を、ですか……?」
この世界には古より『魔法』という、森羅万象に基づいた不思議な力が存在する。その魔法を動かすためには魔力が必要となり、その力の元素となるのが魔素という物質だ。
世の中には『魔法使い』という職業もあり、魔法の研究に勤しんでいる人がいるくらいには世界に浸透している概念だ。
「ということは、カリペーは魔法を使うということですか?」
その問いに、レルスは「違う」と頭を振る。
「説明が面倒だが……」も前振りを置いたレルスは、身振り手振りも交えながら説明する。
「魔素は魔法の源であると同時に、力の増強を成すことが出来る物質でもある。強化がその一例だろう」
「強化……強化魔法のことですか? それは、魔法ではないのですか?」
「違う」
彼はふむ、と一考して、再度問いに対する答えを述べる。
「魔素には、主に二つの効用がある」
彼は二本指を立てる。
中指を折って人差し指を立てた。
「一定範囲の世界の事象を書き換えて、炎だの風だのを無から作り出す『奇跡』。これが人間達が言う所の『魔法』というやつだ。
そしてもう一つ」
そう言ってレルスは中指も立てる。
「自身の力が増強した、という錯覚を自分自身に起こさせるための『暗示』。
これが人間達が言うところの『強化魔法』と違うところだ。カリペーはこちらを用いる」
「……それは、強化魔法なのでは?」
「違う。これは分類の話だ。分野の話ではない」
「神秘は専門ではないのだがな」と息を吐き、肉の助肩をくるりくるりと円を描くように回すレルスは説明を続ける。
「そも魔法が3種に分類されるのは知っているか?」
「はい。保存、詠唱、儀式ですよね。大学で習いました」
「そうか。ならば話が早い。お前の言う中での、強化魔法とはこれら3種には当てはまらない」
「……当て嵌まらないと、暗示と呼ばれるのですか?」
ファムの認識の中では、
強化魔法とは、使い方さえ覚えれば誰でも使える、汎用魔法の一種だ。
ファムは一度だけ、強化魔法を教えてもらって使ったことを思い出す。
魔法使いを目指す幼馴染に、魔法を見せてと問うと、ならばこの術はどうだ、と〈筋力強化〉と呼ばれる魔法をかけてもらった。
あの時の魔法の感覚は言えば、小石程度なら片手で砕けるようになるという、超自然的な力を持てる程の物だった。
「魔法とは一般的に、事前準備が必要なルーン魔法以外は、詩を詠っているだろう」
「はい……あ、そうか。確かにカリペーは……」
「そう。魔獣は言語を持たん。そしてルーンを刻めるような手も持たん。となれば、魔法は扱えない」
しかしカリペーの時は少し違う。
確かに暴れていた上に、パニックに陥っていたので能力の程を確認することは出来なかったが、魔法のような効果はないように見えた。
「それって、魔獣にとっては必要なんですかね?」
「本能からの抑止力、というやつだろう。互いにこれをわかっているから共食いをしないし、食う気にもならない。だから魔獣は群れを作る。カリペーは基本、単独行動が多い魔獣だかな」
なるほど。
ファムは一人納得した。
「ちなみに、回復魔法もこれに由来すると言われている、らしい」
「回復魔法も、ですか?」
「ああ」
「良くは知らんが」と前置きを置いて、レルスは言葉を区切る。わからない事である故に、頭の中で纏めているのだろう。
やがてレルスは頭の中の整理を終えたのか、燻製肉を一口齧って話を再開する。
「……魔力が脳内の何処かの部位に刺激を与え、体を無理矢理『超回復』させることによって起きる現象、らしい」
「つまり」とレルスは続ける。
「カリペーは自己強化を行う上に、傷ついた部位の自己回復もする。
暴走状態になったら止められん。逆を言えば、それ以上はないと言うことだがな。
止めるには魔力が尽きるのを隠れて待つか、あるいは体力を削って魔力を尽かせるか。
次の狩りからは、カリペーを大物の鹿と間違えて撃たないよう……いや一撃で狩るように気をつけることだ」
「は、はい。……あの、」
今までの説明と説教を聞いて、ファムは気になってたことを問う。
「最初は無愛想な方だと思いましたが、」
そう言われるのはわかっていた、とでも言うかのようにレルスは鼻を鳴らす。
しかしファムの切られた次の言葉は彼を驚かせた。
「とても、お優しい方なのですね」
「……む?」
彼は犬科の耳を立てて首を傾げる。
「……そうか?」
「レルスさんは、何というか、あまり他人に興味が無さそうな御方に見えたので」
「……ふむ」
彼は黙ってしまった。気を悪くさせてしまっただろうか? とファムは不安になったが、次の瞬間に彼は再び喋り始める。
「……他人には優しくしろ」
彼は耳元で囁くくらいの声量で呟いた。
「師匠の教え、だからな」
その後、もくもくと食べ終わり、一つ大きな綿袋に並んで座って一息ついた。