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「…ひっく」
しゃっくりを一つし、ヴェネットは泣き腫らした目を袖でこする。目は充血しており、真っ赤に腫れ上がっている。
魔王と対峙し、これまでにない恐怖を味わったヴェネットだったが、ひと通り涙を流しきり、また恐怖の対象であった魔王たちも眼の前からいなくなったことで、今は驚くほど落ち着いていた。
(しっかりなさい、ヴェネット!
本来の目的であるここに住まわせてもらえる許可をいただけたのよ!ここで、ぼーっと座っているだけではいけないわ!次にすべきなのは、、、。)
ヴェネットは自分自身に喝をいれ、ゆっくりと立ちあがり、あたりを見渡す。
(やはり、ここは玉座のようね。)
でたらめに広い室内に、これまたでたらめに大きく、以前は煌びであったと考えられる装飾がほどこされた椅子がこれみよがしに設置してある。この部屋の1番高い場所に設置してある椅子は誰が見ても、あきらかに王のための場所であると理解できるだろう。
そして、玉座とこの部屋の扉を繋ぐように絨毯が伸びている。絨毯は基本的には赤色であることが多いのだが、ここにあるものはすべて相当年季が入っているため、この絨毯の元の色が赤色なのかそれ以外なのかさえもわからないほど変色している。また、最初に見た時には気が付かなかったが、老朽化のためだろう、バラバラになった鎧や剣、盾などが床に散り散りになっている。
そして、本来置いてあるはずのない机や椅子が煩雑に置かれている。
「やっぱり、ここでは睡眠も取ることもままらないわ。ほかの部屋を探さないとだめね」
ヴェネットはぽつり呟く。
当たり前だが、部屋にはそれぞれ役割がある。玉座は王が臣下に指示を出す場であり、生活する場ではない。生活を送る上で必要なベッドやトイレ、バスルームなどはもちろんない。彼女が玉座に連れてこられた時に、机に寝かされていたのもそのせいだろう。
ヴェネットはくるりと踵を返し、扉の方へ向かう。
(魔王と私たち人間はあまりにも違っていたけれど、魔王城の作りは私たち人間とほぼ一緒だわ。そうなれば、生活していくための部屋もあるはずだわ。)
ヴェネットは扉に手をかけ、ぐっと力をこめる。扉はこれまで見た中で最も大きく、迫力があった。誰がこの城を作ったのだろうと、疑問が浮かんだが、取り敢えず部屋探しを優先することとした。
「わっ」
扉は思ったよりも軽く、彼女1人の力でも扉を開けることは可能だった。
ヴェネットは扉を開けてすぐ、小さな悲鳴をあげた。扉を開けた先、彼女の目の前に人物画が壁にかけられており、一瞬本物の人間がいるかと錯覚したからだ。
(女性?いや、男性かしら。)
絵画も随分と年季が入っているためか、描かれている人物が女性か男性かさえ判断するのは難しい。
かろうじて男性であると判断できたのは、口元のあたりに髭らしきものが見えたからだ。そのほかの部分は薄汚れており、また城内が薄暗いこともあり、顔や表情、服装など何も判別がつかなった。この絵の人物も謎なのだが、ヴェネットが1番疑問に感じたのは "なぜ魔王城に人間の人物画が飾っているのか?" と言うことだった。
(……今、このことについて考えていても時間が勿体無いわ。まずはこの城の中を把握しないと。)
ヴェネットはしばらく絵画の前で立ちどまり、絵に描かれている人物やなぜ魔王城に人間の絵が飾ってあるのかなどの疑問と対峙していたが、はたと気がつき、城の捜索を開始した。
人物画から左右にだだっ広い廊下が続き、この城が相当広いことが伺える。左右どちらを優先するか少し迷ったが、とりあえず右方向から探索することとした。
廊下には大きな窓が一定間隔で設置されており、窓と窓の間には棚のようなものが設置されている。その棚の上には壺や花瓶、像などが置かれている。しかし、残念ながらそれらのものも年季が入っており、一部がかけていたり、ひび割れていたり、原型を留めず粉々になっていたりしていた。そして、広い窓があるのも関わらず、外が薄暗く日が入ってこないことから、より不気味さを醸し出している。
(…やっぱり、王宮と内部の作りは変わらないわ。)
ヴェネットは城内を事細かに観察しながら、スタスタと廊下を進んでいく。
「…扉だわ…」
進んだ先にやっと扉を見つけた。廊下の窓に向かい合っている。もちろん年季が入っているが、埃などは見受けられないのが不思議だった。
ヴェネットは扉を開けるためにドアノブに手を伸ばしたが、はたと気が付いて自分の行動を静止する。
(今更だけど、魔王陛下の許可も取らず、城内を探索して良かったのかしら……。)
そう考えた瞬間、ぶわりと先ほどの恐怖が蘇る。
体が動かず、呼吸すら奪われ、抗うこともできずに死を覚悟する。
さっきのようなことになるのでは……?
汗が額を伝う。心臓が加速し、体中暴れ回り、呼吸が荒くなる。
しかし、ヴェネットはそんな、自分の体の拒否反応を無視して、豪快に扉を開けた。
(だめよ!ヴェネット!
今後いつまでかは分からないけど、暮らしていくのよ!寝床の確保は今1番の優先事項だし、それに魔王を恐れていては何もできないわ!)
ヴェネットはそう思ったともに、自分がどのような行動を取ろうとも、魔王に殺意さえ向けなければ殺されることはないだろうと考えていた。
実際、ヴェネットが殺されそうになった時も、魔王は彼女を殺すつもりなどはなく、ただ彼女の質問に答えただけのつもりだったのだろう。…実演付きで。魔王にとってはあれは脅しでもなんでもないのだろう。ただ自分の庭に小さな犬でも迷い込んだ、それだけなのだろう。自分たちの生活に害をなすのであれば、殺すのみと。
「おっ、と…」
勢いをつけ過ぎたためか、少しふらついた。相変わらず、古臭いのに埃が舞う様子はない。その代わりに、入った部屋は何やら懐かしい匂いがした。そして、その匂いの正体はすぐに判明した。
「書斎?」
見える範囲、本で埋め尽くされており、学園生活中に何度も通っていた王宮図書館と同じ匂いがする。
扉と向かい合うように窓が1つ設置してあり、その前に机と椅子が置かれている。机の上には何冊かの本が置いてあり、先ほどまで誰が調べ物をしていたように見える。椅子も机から誰かが引いたように斜めになっている。
そして、その机と椅子を圧迫するように、本棚が部屋を圧迫している。
ヴェネットは窓へ向けて歩みを進める。古い本の匂いが鼻をくすぐる。
机に到達し、ふと左横を見るとまだ空間がある。天井まである本棚が重なるようにして部屋を埋めている。右側は本棚1つしか置くスペースがないようだ。
「…小さな図書館みたい…」
ぽつり呟き、書斎と言うよりは、図書館のようだとヴェネットは感じた。埃でざらついていない机を撫でながら、なんとなく安心した気持ちになる。魔界という不気味な場所で "人" を感じられるからだろう。
「よし!
とりあえず次の部屋ね」
この部屋にまだいたい気持ちはあったが、城内の探索と生活スペースの確保が第一優先!と切り替える。
(…ただ、また今度この部屋はよく調べたほうがいいわね…)
そう考えながら、部屋を出て、入室時とは打って変わってゆっくりと扉を閉めた。