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主人公 ヴェネット・リー・ウィルキンス
第一王子 エドマンド・ブラック・スコット
第二王子 ヴィヴィス・ブラック・スコット
ヒロイン ハナ・ジェーン・フー
ヴェネット・リー・ウィルキンスは齢5歳の時に、ソリア国の第一王子の婚約者となった。もちろん彼女に拒否権はなく、その日よりひどく長い妃教育が始まった。長時間部屋にこもり、勉強やダンス、婚約者としてのマナーや立ち振る舞いなどせわしない毎日。そんな窮屈な毎日に幼いヴェネットが耐えられるわけもなく、毎日泣き喚き、レッスンを拒否し、何度も逃げ出そうとした。しかし、実際にそうしなかったのは実の母や父、そして婚約者であるエドマンドのおかげである。彼らは彼女の心が折れそうになる度に、彼女の話に辛抱強く耳を傾け、共感し、励まし、時には叱咤し、彼女が妃教育を完遂するためにあらゆる手助けをしてくれた。そして、その毎日のおかげで、最初こそはただの他人でなんの感情も抱かなかったエドマンドと距離を縮め、婚約者としての自覚や彼への信頼、愛情が目覚めてきた。
いい傾向であった。彼女は母や父に愛され、王妃や国王にも可愛がられ、エドマンドとの関係も良好。このまま、何事もなく自分は王妃になるのだろうと彼女自身も信じていた。
しかし、彼女の物語はある1人の存在により、崩れていく。
第二王子であるヴィヴィスの存在である。
彼はヴェネットとエドマンドが生まれた2年後にこの世に生を享けた。血こそ繋がってないが、ヴェネットはヴィヴィスのことを本当の弟のように可愛がった。幼いころより弟が妹が欲しいと熱望していた彼女にとっては血が繋がっている、いないなどは些細な問題に過ぎなかった。
結局ヴェネットに血の繋がった兄弟ができることはなく、そのことが拍車をかけたのか、彼女はより多くの愛情をヴィヴィスに注いだ。ヴェネット自身もその愛情が多少過剰であることは自覚していたが、幸せそうに笑うヴィヴィスを見るとそんなことはどうでもいいと思えた。
しかし、この愛が彼を狂わせたのか、いわゆる年頃という時期になるとかわいいと思っていた彼の行動が目に余るようになってくる。
一緒のベッドで寝たい、ずっとそばにいたいというのは良い方で、一緒にお風呂に入りたい、キスをしたい、体を触りたいといった要求までしてくるようになった。また時間の許す限り彼女のそばをついてまわり、ヴェネット自身のことや彼女の周囲の人間関係について根掘り葉掘り聞き、彼女の全てを把握したがった。しかし、そのようなことがあっても、ヴィヴィスは婚約者であるエドマンドの弟、そして第二王子ということもあり、邪険に扱うこともできず、当たり障りのないようにかわしてきたが、ヴェネットの限界は近づいてきていた。
それでも彼女はなんとか対処していた。自分さえ我慢すえばいいのだと。将来的にヴィヴィスは彼女の義弟になるため、あまり波風を立てたくはなかった。そのため、ヴェネットはヴィヴィスに対して強く出ることができずにいたが、あるときついに心が折れることとなる。
その日はヴィヴィスと学園の中庭で偶然会い、挨拶を済ませてすぐに彼にこう言われた。
『今日生理だよね。体調は大丈夫?』
ヴィヴィスの確信めいた顔を見開いた瞳で見つめる。ヒクリと口の端が動くのがわかった。気持ち悪いという感情となぜわかったのだという感情がヴェネットの心の中を支配する。女性ならまだしも、男性がなぜ?と思ったが、ヴィヴィスのこれまでの行いから、生理日くらい把握してもおかしくないかもしれないと考え直す。しかし、それとは裏腹に彼女の口は『どうして』と呟いてしまう。それはほぼ無意識だった。
『どうしてって、昨日のゴミに…なんでもないよ。』
その瞬間、ぞわりと背筋が凍る。まさか、ゴミを漁ったのだろうか。いや、漁ったのだろう。そしてその中で見たのだろう血に染まった何かを。くらりとめまいがした。どうして?なんのために?第二王子であるヴィヴィスがどうやって?ゴミを漁っているのはいつから?使用人は何をしていたの?と様々な疑問が頭に湧いては消えていったが、それより何より気持ち悪いが一番だった。ゴミを漁られ、知られたくもない部分まで無理やり暴かれる恐怖と気持ち悪さ。
その時、初めてはっきりとヴェネットはヴィヴィスに対して拒絶の感情を表した。気持ちが悪い、もう二度と私に関わらないでくれ、視界にも入れたくないと。彼ははっきりと傷ついた顔をした。その顔を見て、昔の泣き虫でヴェネットの後をついて回っていたヴィヴィスのことを思い出す。あんなに可愛くて大切な存在だったのに、今はもう嫌悪感しか覚えない。くるりと踵を返すと、呆然と立ち尽くしているヴィヴィスの元から離れる。ヴィヴィスの表情を見て、これで少しはヴィヴィスの言動もマシになるだろうと思ったが、残念ながらそれは間違いだった。
次にヴェネットがヴィヴィスに会った時、彼は驚くほど普通だった。むしろ、前よりもヴェネットへの執着が増しているようだった。ヴェネットは混乱した。明らかに拒絶の意思を示したのにと。しかし彼の言動を聞くにつれて、ヴェネットは理解した。ヴィヴィスはヴェネットのこの前の発言は、照れ隠しから来ているのだと誤った解釈をしているのだと。そこからは何を言ってもダメだった。どんな発言、行動をしようとも、全ては照れ隠しから来ており、ヴィヴィスとヴェネットはお互い愛し合っているという彼の頭の中にでっち上げられた方程式は崩れることはなかった。
もうヴェネットだけでは対処できなかった。そう判断してはじめて、彼女はエドマンドと王妃に相談をした。しかし、王妃はヴィヴィスが言った「ゴミ回収をしている使用人を手伝ったときに見てしまい、つい心配で言ってしまった」という言い訳を特に疑うこともなく信じ、ただヴィヴィス本人に口頭で注意するのみにとどまったのである。しかし、これは王妃が悪いわけではない。ヴィヴィス立ち回りのうまさ、そして外面の良さが関係していた。彼はその外面の良さから周囲の人から聖人と崇められており、ヴェネットが彼がゴミを漁っていたと言っても、ヴィヴィスがそんなことをするわけがないと無条件で信じてしまうのだ。王妃もそのことを知っており、聖人と言われているヴィヴィスがそのようなことをするわけがない、勘違いだろうと考えていたのだ。
また、証言者がヴェネット1人というのも彼女の話が軽くあしらわれてしまう理由の一つだった。ヴェネット以外にも彼の奇行を見たという人物がいればよかったのだが、いくら調べてもおらず、また彼がゴミを漁っていたという決定的な証拠も見つけることができなかった。
そしてさらにヴィヴィスとヴェネットの関係性も影響している。これまで家族同然で過ごしてきており、周りもそのことを知っている。そのため、多少踏み込んだ発言をしても、家族同然だし問題はないだろうと捉えられてしまうのである。しかも、ヴェネットの周囲の人々はヴィヴィスがヴェネットのことを姉としてとても慕っていると思っており、まだ姉離れができていないだけと考えているのだ。上記の発言についても、体調が悪そうだったから、家族同然のヴェネットだったら聞いてもいいと思ったからという言い訳で済まされてしまうのである。
ただ、エドマンドは彼女の話に耳を傾け、今後ヴィヴィスの言動に注意を払ってくれることを約束してくれた。それだけが彼女の心の支えだった。
そして運命の日が訪れる。
その日彼女はエドマンドと学園の中庭で楽しく話をしていた。彼の話はいつも面白く、疲弊していた彼女の心を癒してくれた。そこにヴィヴィスが通りがかる。内心では嫌悪を感じながらも、何事もないようにヴィヴィスを加えた3人で会話を続ける。しばらくし、ヴェネットはエドマンドに視線を送る。それにすぐ気づいたエドマンドは自分たち2人にはこれから用事があるからと会話を中断してくれた。できる限りヴィヴィスと会話を続けたくない彼女にとって、彼のこのような気遣いはありがたかった。そしてヴィヴィスに別れを告げ、先に歩き出した彼の背中を追うように歩き出した時、ボソリとヴィヴィスが言った。
『兄さんさえいなければ』
唸るような、絞り出すような小さな声だった。しかし、あまりにもはっきりとヴェネットの耳には届いた。その瞬間、ぶわりと脂汗が吹き出るのが自分でもわかった。そして、こう感じた。
ヴィヴィスは自分の兄を殺す気だ、と。
彼女以外であれば、彼のその一言でそこまで飛躍しないだろう。しかし、彼女は彼のその一言のなかに紛れもない殺意を感じ取った。そして彼女はすでに知っていた。ヴィヴィスがヴェネットに対して、あまりにも異常な執着、愛情を抱いているのを。それこそ愛のために誰かを殺すことを厭わないことも。
それが血のつながった兄であっても。
きっと彼は自分の兄を殺して、自分の婚約者になりかわろうとしていると、ヴェネットは本気で思った。いや、むしろそれは確信であった。それほど彼の声には感じたくない説得力が感じられたのである。
その日、彼女は頭を抱えた。
賢い彼なら、絶対にバレない方法で、エドマンドを殺すだろう。そして、その場合には必然的にヴィヴィスが次期国王となり、現在婚約者がいない彼は確実にヴェネットを婚約者として指名するだろう。そうなるともう彼女は彼から逃れられない。生理的に無理な人間の妻となり、そんな夫に一生尽くしていかなくなるのである。
しかし、そんなことは真っ平御免である。
どうにかして、彼から逃れる方法を考えなければならない。それもできる限り早くだ。
彼女は頭を捻った。どうすれば彼から逃げることができるのか。
彼から逃れるために彼女が取った行動は、自国の歴史について調べることだった。
この時代、結婚相手を自分で選べることはほぼなく、ほとんどが親が決めた相手と結婚しなければならない。そのため、彼女と同じような境遇の人がいるのではないかと考え、そこから何かヒントを得ようと思ったのだ。そしてその最中、歴代の裁判判例について調べているときについに発見した。
それが婚約破棄である。婚約破棄とだけ聞くと、破棄された途端、彼に婚約を結ばれるのではないかと思われるが違う。今回計画しているのは彼女側から婚約破棄を告げることではない。最低な悪女を装って、第一王子側つまりはエドマンドから婚約破棄を突きつけてもらうのである。彼女が調べた情報によると、昔、第一王子の婚約者であった女性が彼の近くにいる(その時は彼の使用人)が婚約者の座を奪おうとしているとありもしない妄想をし、その女性に対してひどい嫌がらせを行い、その結果、婚約破棄を告げられたのである。そして、彼女のあまりの傍若無人な振る舞いにより、貴族権利の剥奪、いわゆる平民落ちを処罰として告げられたのである。これを見た時に、これしかないと彼女は感じた。基本的に処罰は過去の判例を参考として決められるものである。もし、彼女が同様の事件を起こせば、同じような処罰がくだされると考えたのである。
この狭い貴族社会の中では、ヴィヴィスから離れることは難しく、そして貴族である限り彼はあらゆる手段を使ってでも彼女と自分のものにしようとするだろう。それならば、貴族の立場を捨て、平民になり、彼の手が届かないほど遠くまで逃げることで、彼との結婚を阻止しようと考えたのである。また、この時代では基本的には結婚は貴族同士、平民同士が当たり前であり、稀に貴族と平民の結婚を認められることもあったが、それも数少ない事例の一つである。さらに第二王子となると平民との結婚を認められる確率は他の貴族と比べかなり低くなる。
そこから彼女はすぐに行動を開始した。
まず、ヴィヴィスと積極的に話をし、彼に好意があるように思わせた。彼はとても喜び、疑う様子は微塵もなかった。これは彼にエドマンドを殺させないためである。彼に好意があるように思わせ、エドマンドを殺さずとも彼女と結婚できる可能性があることを示したかったためである。ヴェネットはヴィヴィスと会話するたびに、エドマンドの思ってもいない悪口を並べ立て、結婚するのがヴィヴィスだったら良かったのにと繰り返し吹き込んだ。ただ、内心は言うたびにゲロを吐きそうだった。
そして、その間に目星となる女性を探した。ヴェネットが嫌がらせを行う相手である。これは苦労することなく見つかった。当然である。エドマンドはこの国の第一王子であり、顔も頭よく、運動もでき、女性の扱いにも長けている。ヴェネットという婚約者がいるものの、第二妃、第三妃の座を狙う女性は大勢いた。そして、その中から選んだのが、ハナ・ジェーン・フーだった。彼女はエドマンド、ヴェネットも所属している学園の生徒会に最近会計として入ってきた。お金を扱う役職だけあり、生徒会長であるエドマンドと個人的なやり取りをすることも多く、ヴェネットが嫉妬する人物として適任であると考えたからだ。
彼女はやりたくもない陰湿な嫌がらせを開始する前にまず、ヴィヴィスに他国に留学することを勧めた。これは婚約破棄の場にヴィヴィスがいた場合、ヴェネットの処罰が決まる前に無理やりヴィヴィスとの婚約を決められてしまうと考えたためである。
彼は最初こそ、彼女と離れることをかなり嫌がりしぶったが、何度も繰り返し説得することでなんとか納得し、約半年間の留学を決めた。ちなみに留学を決めた決定打は一度使用したハンカチを彼に渡すことであった。(最初はできるだけ肌に近いものがいい、つまりは下着がいいとやんわりと言われたがあまりにも気持ち悪いのでハンカチ(使用していない)で譲歩した。)
そして、彼が留学から戻ってくる直前に、学園の卒業パーティーがおあつらえ向きに開催される。彼女とエドマンドも卒業の年であるため、もちろん参加する。多くの証言者が得られ、婚約破棄を告げられる場としては最適である。彼女はそこに標準を定めた。
そこからは心が痛む日々であった。したくもない嫌がらせの毎日である。何も悪くないハナに対し、罵声、嫌がらせを毎日行った。エドマンドは最初こそは誤解だと、何もないと釈明し、むしろヴェネットの心配すらしていたが、途中から完全にヴェネットの心配をすることもなくなり、会えば嫌悪の目を向けてきた。自業自得であったが、辛い日々であった。幼い頃に勝手に決められた婚約者とはいえ、彼に好意を抱いていたのは紛れもない事実である。ヴィヴィスのことがなければ、彼の妻となり幸せな毎日を過ごせていたかもしれない。しかし、それ以上にヴィヴィスの妻となることが恐ろしく、そして気色悪かった。そのため、今更計画を中止することなどできなかった。
ヴェネットは自分が婚約破棄された後、エドマンドの新しい婚約者については特に考えていなかったのだが、思いがけず、恋は始まる。吊り橋効果というものだろう。エドマンドとハナは最初は本当に何もなかったのだろう。もしかしたらハナには少し淡い期待もあったかもしれない。いやがらせを行なっている半年の間に彼らは恋仲に発展したようだった。悲しいような嬉しいような複雑な気持ちであった。
しかし、そんな彼女の心情とは裏腹に計画は驚くほどうまくいった。
そしてついに運命の日を迎える。パーティー会場に向かう馬車の中、彼女は不安を抱くとともに焦っていた。この卒業パーティーの1ヶ月後についにヴィヴィスが帰国するからである。1ヶ月と聞けば、多少時間にゆとりがあるように聞こえるが、実は違う。彼ならヴェネットに早く会いたいと言って、予定よりも早く帰国する可能性があるからだ。もちろんヴェネットもその可能性には早々に気がついていた。半年ではなく、1ヶ月や3ヶ月といった期間で戻ってくるのではないかと。そうなってしまえば彼女の計画は台無しである。
彼女はそうならないために、ヴィヴィスが他国へ旅立った後、毎日彼に書きたくもない愛の手紙を書き、送り続けた。距離が愛をより強くするやこの半年の留学を乗り越えさえすれば一生一緒にいられる、すぐに一緒になりたいけどそのためにはヴィヴィスがエドマンドよりも優れているという実績が必要だとか彼を隣国に止まらせるためにどんな嘘も厭わなかった。それでも毎日、今日帰ってくるのではないか、もしかしたらもう帰国している途中なのではないかと不安に駆られ、この半年間、彼女の心に安寧が訪れたことは1度もなかった。
しかし、それも今日で終わりである。彼女の狙い通りにエドマンドから婚約破棄を告げられたのである。
煌びやかに飾られたパーティー会場で、喜んで結婚破棄を受け入れたヴェネットに対して驚きを隠せずにいる周囲の人々を見渡しながら、ヴェネットはほっと胸を撫で下ろす。やっと報われると。しかし、まだ油断はできない。ヴィヴィスが帰国する可能性はまだ残っている。ここで彼に会ってしまえば今までの苦労が水の泡だ。できるだけ早くここを離れるための諸々の手続きを済ませなくてはならない。
驚きを隠せず、だらしなくぽかんと口を開けているエドマンドに向かってズンズンと歩いていく。まさか意気揚々と婚約破棄を受け入れられるとは思っていなかったのだろう。彼は何か言葉を発そうとしているものの、言葉が出ずにただパクパクと口を動かすだけだ。
「スコット殿下!婚約破棄の署名書はどちらにございますか?!」
「…あ、ああ、あっちだ。」
呆然とするエドマンドを横目に、机の上にご丁寧にペンと共に置かれた署名書に婚約破棄の署名を行う。エドマンドの署名はすでに書かれており、そのことを確認し、ヴェネットは手早く自分の名前を記入する。そして、その紙を持ちくるりとエドマンドの方へ振り返る。
「スコット殿下!私は婚約者としてあなたのそばにいられてとても幸せでしたわ!なのに、婚約者として不出来でごめんなさい。そして、あなた!これまでたくさんの意地悪をしてごめんなさい!でも、あなたを見て気づいたの。あなた方2人こそが真実の愛だと!許してとは言わないわ!でも、どうか幸せになって!」
「え、ええ…。」
がしりとエドマンドと同様に呆然としているハナの手を掴み、口早に思いの丈を告げる。全て本心から出た言葉である。ヴィヴィスから逃げるためとはいえ、エドマンドにもハナにもひどいことをしてしまった。特にハナに関しては、彼女の心に大きな傷を残したことだろう。だからそれ以上に彼女に幸せになって欲しかったし、エドマンドなら幸せにしてくれると確信していた。
「それでは、第一王子の手を煩わせるのは大変失礼ですので、私から国王陛下と王妃陛下にこちらを提出しておきますわ!よろしかったかしら!?」
「…あ、ああ」
いまだに言葉の出ないエドマンドを尻目に足早にパーティ会場を後にする。もう、第一王子の婚約者でもなんでもないのでマナーなど気にせず、はしたなく駆けていく。周囲の人々もあまりにも衝撃的だったからか、今だに唖然とし、だれも彼女を引き留めたり、咎めたりするものはいなかった。
「国王陛下!王妃陛下!
私、嫉妬により同じ学園に通う一般生徒をいじめ、その結果、第一王子より結婚破棄を告げられましたわ!全面的に私が悪く、結婚破棄を受け入れました!そしてこれが、婚約破棄の書類ですわ!」
卒業パーティーは国王のご好意により、ヴェネットが通っていた学園ではなく、王宮で行われる。そのため、すぐに国王と対面することができる。それも彼女の計算のうちだった。
扉を開ける時はノックをし、返事があってから入室するのがあたりまえのマナーであったが、気にしてなどいられない。一応ノックはしたが、返事を待たずに扉を勢いよく開ける。扉の前で警備を務めていた臣下は彼女が第一王子の婚約者(今は元婚約者であるが)であったため、判断が一瞬遅れてしまい彼女を引き止めることができなかった。
流石に国王の前では、作法を気にしたが、それでも口早に要求を伝え、書類を勢いよく彼らの眼前掲げる。
鳩が豆鉄砲を喰らったとはこのことだろう。国王、王妃は目をまんまると見開き、彼女が掲げた書類を見たままみじろぎひとつしない。彼らもヴェネットの悪評は耳にしており、今夜第一王子が婚約破棄を告げることも、国王と王妃の両方が了承していたとは思うが、まさか意気揚々と彼女自身が婚約破棄の書類を持って飛び込んでくるのは予想できていなかったに違いない。
「そ、そうか。で、では、そ、そなたが身勝手な嫉妬により、一般生徒を、い、いじめていたのは本当と言うことだな?」
「ええ!認めますわ!」
「そ、そうか。では、そなたの処罰を考えなければならぬ。処罰についてはこれから検討を、、」
「その必要はございませんわ!こちらをご覧なさって!」
国王の発言を遮るのはもちろん大変不敬であったが、そんなことを気にしていられないほど彼女は焦っており、またそのことを指摘できないほど国王と王妃、周囲の臣下は困惑していた。
ヴェネットがまたしても差し出した紙には、彼女と同じような境遇の元婚約者の処罰について記載されていた。基本的にどのような処罰になるのかは、すぐに決まるわけではない。国王を含めた貴族たちで会議を開き、過去の判例などと比べながらどのような処罰に値するのか検討し、決定する。そして、その決定には最低でも1週間はかかることを彼女は知っていた。そのため、先回りし過去の似たような判例を先に告げることで、よりはやく自分自身の処罰が決定すると考えたのである。
国王は少し落ち着きを取り戻したのか、しげしげと彼女の差し出した紙を落ち着いた様子で見つめる。
「、、、そなたに異論はないのか?」
「ございません。全て私が悪いのです。どうか、処罰を。」
ヴェネットは膝を床につき、すっと頭を下げる。上記で処罰を決めるには会議を開かないとならないとしたが、最終的には国王にしか処罰を決める権限はない。端的に言えばほかの貴族が無罪と言っても、国王が死刑といえば死刑なのだ。
彼女は国王の返事を待った。ここで国王がこの処罰で問題ないと認めれば、今すぐに彼女はこの貴族社会から逃げることができる。
たっぷりと長い間をとった。
「ヴェネット・リー・ウィルキンス。」
「はい。」
「今一度問おう。そなたが学園の一般生徒を嫉妬によりいじめたのは事実であるか?」
「はい。紛れもない事実でございます。」
「そうか…。では処罰を告げよう。ヴェネット・リー・ウィルキンス、そなたの貴族権利を剥奪する。」
決まりである。
「はい。国王陛下の仰せのままに。」
再度深く頭を下げると、また大慌てで部屋を出た。彼女を引き止めるものは誰もいなかった。
この日のために身を投げうって準備してきたため、スムーズにものごとは進んだ。むしろ怖いくらいだ。
すでに待機させてあった馬車に乗り込む。まだ、何も知らない従者に気分が悪くなったと嘘を吐き、できるだけ早く馬車を走らせるように伝える。まだ婚約破棄の事実を知らない彼らは特に驚く様子もなく、了解し、軽快に馬車を走らせる。そしてヴェネットは自室に着くなり、自分の持っている服の中で1番動きやすい服に着替える。そして、あらかじめ用意していた鞄をとる。鞄に詰めた物以外、全ての物はすでにお金に変えてしまっていた。
ヴェネットは鞄を抱えて、自室を飛び出し、廊下をかけていく。そして、すでに用意してあった馬車に乗り込んだ。
パーティが終わってから約2時間後のことだった。