夕食とドレスとダンスの話
夕食の時間に少し遅れてしまい、慌てて食堂に向かった。
「遅れまして申し訳ありません」
「いや、ロバートから聞いている。慌てずに席に着きなさい」
見れば兄はすでに席に着いている。
クラウディアと同じように湯浴みをしてきたはずなのに。
ダンスで少し汗をかいたので湯浴みをしていたのだ。
クラウディアの疑問はお見通しなのか、顔に出ていたのか兄が呆れたように言う。
「男女では湯浴みの時間が違って当然だろう」
男性の湯浴みの場に居合わせることなどないからよくわからない。
「クラウディアもシルヴィアもまだ知らなくていいことよ」
母の朗らかな笑顔にシルヴィアと二人頷いておく。
「と、とにかく気にしないでいいから座りなさい、クラウディア。食事が始められない」
「あ、はい。申し訳ありません」
クラウディアが座ると料理が運ばれてくる。
食事が始まった。
「お姉様は先程までダンスをされていたのですよね?」
「ええ。お兄様とマルセルが相手をしてくれたわ。お針子たちが手直ししてくれたドレスの試着だったのよ」
「ああ、例の」
母の言葉が冷えた。
父もシルヴィアも微笑んでいるがどことなく冷気が漂っているようだ。
となると、本当に気にしていなかったのは兄だけのようだ。
兄が気まずそうな顔をしている。
「とても動きやすく直してくれましたの。それでいて裾の動きが優美で。うちのお針子たちは天才ですわ」
「まあ! それは見てみたいわね」
「これから私が刺繍を足しますので。見るならそれからにしてくださいませ」
「まあ、クラウディアが刺繍を足すの?」
「ええ。刺繍がイマイチでしたので」
「まあ、そうなのね」
母の笑顔は綺麗なのに何か企んでいるような気配がする。
「確かに刺繍の腕はあまりよくなさそうだったな。よれているところもあったし」
兄が先程のドレスを思い出すようにして言った。
「まあ」
母の声が普段通りなのに低く聞こえるというのはどういうことか。
「それではやはり誰かにお勧めするわけにはいかないわね」
嘆息ではなくいい笑顔だ。
それなのに寒気を感じる。
「それに腕がイマイチということは皆様に教えて差し上げないと。注文されたら恥を掻いてしまうもの。無駄な出費にもなるし」
……恐ろしい。
あの仕立て屋はもう終わりかもしれない。
父もシルヴィアも静かに微笑んでいる。
……母だけではなく父やシルヴィアも動くかもしれない。
そろりと兄に視線をやれば目が合う。
兄は余計なことは言うまいと口を閉ざしている。
それが正解なのだろう。
兄が小さく頷いたので、クラウディアも小さく頷き返した。
クラウディアは大人しく兄とともに口をつぐんでおく。
食堂は妙な静寂に包まれている。
指一本動かすのも憚られる。
母がワインの入ったグラスを手に取り、一口飲んだ。
途端に空気が緩んだ気がする。
クラウディアと兄はそっと安堵の息をついた。
今までの空気は気のせいだったのかと思うほどいつも通りにシルヴィアが言う。
「わたくしもお姉様のダンスを見たかったですわ」
「私のダンスなんて見て楽しいもの?」
場の緊張が解れ、クラウディアも普通に返すことができた。
「もちろんですわ! お姉様の踊る姿は優美でわたくしの憧れですのよ!」
「そ、そう」
シルヴィアの勢いに押される。
「ですので今度はわたくしもお誘いくださいませ」
「ええ」
「絶対ですよ。約束ですからね」
「わかったわ」
「クラウディア、私にも声をかけてちょうだい。踊っている姿が見たいわ」
母の言葉に頷く。
「わかりました」
そわっとした父が声を上げる。
「わ、私にも声をかけてほしい」
「ですがお父様はお仕事でいないことも多いですし」
「クラウディア……」
そんな縋るように見られても困る。
「それならいる時に声をかけてあげればいいわ」
母の助言に、それならばと頷く。
「忘れずに声をかけるように」
父が念を押す。
「わかりました」
父が満足そうに微笑う。
「クラウディア、俺にも忘れずに声をかけろ」
兄までそんなことを言う。
クラウディアは目を瞬かせる。
兄は先程ドレスを見たではないか。
その思いを察したのだろう、兄が言葉を重ねる。
「お前がどういうふうに刺繍をしたのか見てみたい」
そう言われれば断ることもできない。
あのドレスを着て兄とどこかの夜会に行く約束もしているのだ。
「わかりました。お兄様がいらっしゃいましたら声をおかけますね」
「それでいい」
兄も満足そうに笑う。
「楽しみですわ」
シルヴィアはふんわりと微笑った。
皆が楽しそうに微笑っているのを見てクラウディアも何だか楽しみになってきた。
「そうね」
だから同じように微笑ったのだった。
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