馬車の中
馬車が走り出してすぐに謝らなければならないことがあったのを思い出した。
「あの、実は謝らなければならないことがあるのですが……」
「何だろうか?」
「実は昨日、母とお茶会に行ったのですが、そこで今日、アーネスト様とヴィヴィアンと出かけることを母が話してしまい、皆さまにアーネスト様とのことを誤解されてしまいました。申し訳ありません」
「ああ、なんだそんなことか。それくらいなら問題ない」
アーネストが笑って言う。
「ですが、御迷惑でしょう?」
「いや、出掛けた先で目撃されないということはないからどのみち噂は流れる。それなら多少早く流れても比較的正確なほうがいい」
「ですが、誤解されて……」
「大丈夫よ、クラウディア。その程度、何でもないわ。ね、そうでしょう、お兄様?」
「ああ。元よりその程度の噂は想定内だ。気にすることはないよ」
どうやら色々抜けていたのはクラウディアだけのようだ。
やはり普段きちんと社交界で生きている者と領地で自由に生きている者の能力の差だろうか?
「でもまさかクラウディア嬢がそこまで気にするとは。もしや迷惑だったかい?」
「いえ、私のほうはいいのです。今さら評判を気にしても仕方ありませんし、結婚はどうでもいいので。ですが、アーネスト様は違いますよね? 次の婚約に差し障りがあったら申し訳ないので」
「いや、問題ない。それくらいで退く家とはもともと縁がなかったということだ。うちはどこかの家と関係を結ばなくてはならないほど困ってはいないからね」
さすがモーガン侯爵家だ。
そういえばヴィヴィアンにもまだ婚約者がいない。
家同士の絆が必要であれば幼い頃に婚約者が決まっていてもおかしくない。
だからこそ、アーネストも今頃婚約が解消になっても気にしていないのだろう。
モーガン侯爵家と縁を結びたい家はたくさんある。
「本当に気にしなくていいのよ、クラウディア。噂の相手が謎の美女になるかクラウディアになるかの違いよ」
「謎の美女?」
クラウディアはきょとんとする。
そんな相手がいるのだろうか?
ヴィヴィアンは当然妹と認識されているし、クラウディアはそこまで美人ではない。ごくごく一般的な容姿だ。
はて?
だが他に誰かが一緒とは聞いていない。
「混在している間は私が二股をかけているとでも言われそうだが」
「そんなこと、一緒に出掛けたのがクラウディアだと知れればすぐに駆逐されます。だから今日一緒に出掛けるとお茶会で伝わったのはいいことなのよ?」
「え? 謎の美女って私のことを言ったの?」
「そうよ。あら自覚はないのかしら?」
それは友達の欲目だろう。
「私はごく一般的な容姿よ。美人じゃないわ」
「そうかな? 私も美人だと思うが。ラグリー家は容姿の整った兄妹だと有名だよ」
「それは兄と妹の話だと思います。私はほとんど社交界に出ないので。私のことを知らない方も多いのです。アーネスト様が二股疑惑をかけられるのも私が知られていないせいですね。本当に御迷惑をおかけします」
クラウディア自身は社交界で知られていなくても何の支障もないのだが、それがアーネストの不名誉に繋がるとは思ってもみなかった。
「そんなのは一瞬よ。一緒に出掛けていた美女は誰だ? そういえばクラウディアが一緒に出掛けると先日お茶会で話していたわ、となれば、ああ、あれはラグリー家のクラウディアかとなるだけのことだもの。二股でも何でもなかったとすぐに納得されて不名誉は消えるわ。そもそも兄は今婚約者がいないのだから女性と出掛けていても問題ないのよ? 新しい婚約者を探すために候補者と出掛けているのかとしか思われないわ。わたくしも一緒にいるもの」
そういうもの、だろうか?
「それにクラウディアとわたくしの関係を知っている者がいれば、妹たちの買い物に付き合っているとしか見られないわ」
ヴィヴィアンが畳みかけるように言葉を重ねる。
「そういうことだ、クラウディア嬢。気にしなくていい」
そこまで言われればクラウディアも退くしかない。
あまり気にしていてはかえって気を遣わせることになる。
「……わかりました」
「うん。そういえば、」
微笑ましいことを思い出したという顔で微笑ってアーネストが言う。
それとなく話題転換を図ったのだろう。
クラウディアのために。
「先日クラウディア嬢の御父君の伯爵から丁寧な手紙をいただいたよ」
あれだけやめてほしいと言ったのに父は本当に手紙を出したのだ。
恥ずかしい。
「うちの父が申し訳ありません。過保護で困ります」
「いや、素敵な御父君じゃないか。それにロバートからもくれぐれもよろしく頼む、と言われたよ」
兄まで……。
思わずクラウディアは額に手を当てる。
「きっと二人とも私のことをまだ小さな子供だと思っているのですわ」
そうでなければ納得できない。
いや、その評価も正直嬉しくはないが。
「まあ、可愛い娘や妹はどうしても心配になってしまうものだよ」
アーネストは肯定も否定もしなかった。
「まあ。ではアーネスト様もヴィヴィアンのことは心配ですか?」
「そうだね。無用の心配だとはわかっていてもやはり心配はしてしまうよ」
「そうなんですね」
それならそういうことにしておこう。
そのほうがクラウディアの心にも優しい。
「ふふ、ロバート様は本当にクラウディアを可愛がっておいでですもの」
ヴィヴィアンは楽しそうだ。
「それには同意しにくいのだけど?」
「そんなこと言ったらロバートが泣くよ?」
アーネストが苦笑気味に言う。
「兄は私には意地悪なんですわ。嫌われているとはさすがに思いませんけど」
「構いたいだけだろうね」
笑みを含んだ声だ。
周りから見たらそう見えるのだろうか。
まあ、別に仲が悪いわけではないから構わないのだが。
「クラウディアはいつも領地にこもっていて会えないでしょう?きっと気を引きたいのよ」
「そうかしら? 私なんかの気を引いてどうするの?」
「クラウディアはすぐに何かに熱中して周りがいくら話しかけても聞こえないでしょう? せっかく久しぶりに会えたのにそれでは寂しいでしょう。だから構ってほしいのよ」
……思い当たる節しかない。
そうか兄ももう少しクラウディアと話したいのか。
「だからもう少しロバート様とお話したらどう?」
「……善処するわ」
そうとしか言えなかった。
どうしたってクラウディアは自分の興味を優先してしまう。
甘えているのはわかっているけど、生き方は変えられない。
「ロバートに頼ってやるといいよ。喜ぶから」
「お兄様にはいつも頼りっぱなしですわ」
少し眉を下げて言うとアーネストは微笑んだ。
「あとでロバートに知らせてやろう」
口の中で呟かれた言葉はクラウディアには届かない。
「何か、おっしゃいましたか?」
小さく首を傾げて訊くとアーネストは軽く首を振った。
「どんどん甘えたらいい。可愛い妹に頼られるのは嬉しいものだから」
なるほど。ヴィヴィアンはそれがわかっているから時々甘えているのだろう。
今日の昼食の件のように。
だが同意するのも躊躇われる。
クラウディアのはヴィヴィアンのそれのような可愛いものではない。
「いつもありがとうございます、って折々で言ったらいいのよ」
「……いつもと違う行動を取ると体調を心配されるのよ」
「それは……ええ、貴女の普段の行いのせい?」
疑問系なのがせめてもの救いか。
ヴィヴィアンの気遣いは嬉しいが、クラウディアだってそうなのだろうとわかっている。
あまり認めたくはないが。
「妹を心配するのは兄の役目だ。好きなだけ心配させておけばいいよ」
まさかの発言はアーネストだ。
同じ兄という立場でしかわからないこともあるのかもしれない。
「はい」
だからクラウディアはただ頷いておいた。
読んでいただき、ありがとうございました。




