プロローグ
退屈だわ。
クラウディア・ラグリー伯爵令嬢は広げた扇の陰であくびを噛み殺した。
兄のパートナーとして参加した夜会だが、兄はさっさとクラウディアを放置して挨拶回りに行っている。
あちこち出歩かないように、会場内に必ずいるようにとくどいくらいに念押ししていったので、彼女は現在壁の花となっている。
「お兄様もいい加減婚約者を決めてくださらないかしら」
そうすればパートナー必須だからとパーティーやら舞踏会やらに兄のパートナーとして引っ張り出されることはなくなる。
すなわち、好きなだけ領地にこもっていられるのだ。
基本領地に引きこもっているクラウディアにも一応友人はいる。
今日は彼女は参加していないようだし、話し相手になるような親戚も見当たらない。
クラウディアに声をかけてくる相手もいない。
その結果、一人で壁の花となって退屈していた。
だが別に誰かと話したいわけでもない。
まあ、せっかくの機会だし。
暇潰しと情報収集を兼ねていろいろ観察しておくことにした。
といっても人間観察ではない。
あくまでも、ドレスや小物の類いの観察だ。
できれば料理も見たいし食べたいがそれは兄と一緒のほうがいいだろう。
不躾にならないように周囲を見回し、観察する。
あのご婦人の髪飾り、少し変わったデザインだけど、品があって素敵だわ。
あの男性のピンブローチはなかなか派手ね。宝石はルビーかしら。でも本人が白金の髪に明るい黄緑色の瞳と華やかだから、よく似合っているわ。
あら、あの男性の上着の刺繍、よく見たら細かいわ。傍目から見たら大振りな刺繍なのに、繊細で糸も細かく色を変えてあるのだわ。すごいわ。
あら、あのご令嬢のドレス……
クラウディアは自身のドレスに視線を落とす。
真紅のドレスは胸元と裾に金糸で刺繍が入っている。胸の谷間はちら見せ程度で短い袖のあるものだ。腰にかけてきゅっと細くなりスカートの部分はふんわりと広がっている。夜会に出る装いとしては慎ましいほうだ。
もう一度先程のご令嬢のほうに視線を戻す。
生地は全く同じものに見える。やはり胸元と裾に金糸で刺繍が入っているが、よく似たデザインの刺繍だ。向こうのほうがきらきらと光を反射しているのは宝石かビーズが使われているのだろう。やはり腰にかけてきゅっと細くなりスカートの部分はふんわりと広がっている。だが彼女のほうは胸元が大胆に開いていて袖もない。
よく似たドレスだ。
それだけで興味を失った。
彼女の身につけている首飾りも耳飾りも髪飾りも特段興味を引くものでもない。
また会場を見回して他の人の観察に戻る。
そうやって暇を潰しつつ情報収集をしていると、ようやく兄が戻ってきた。
「待たせたな、クラウディア」
ぱちんと扇を閉じて兄を軽くにらむ。
「待たせたな、ではありませんわ。こんなに長く放置するなんてパートナーとしては失格ですわ。妹が心配ではありませんの?」
「ふむ。誰かに声をかけられたか?」
「いいえ」
「誰かと踊ったりは?」
「誰にも声をかけられなかった以上、踊るはずもありません」
そう言うと兄は項垂れた。
「せめて、誰か気になるような相手は……?」
「興味がありません」
何故そんなに残念そうなのか。
そもそも声をかけられるはずがない。
「お兄様だって私の噂を知っているでしょう? 声をかけられるはずがありませんわ」
「実物を見て、おっ、と思う者もいるかもしれないだろうが」
「あり得ませんね。私のことよりお兄様の相手を探すほうが先ではありませんか?」
「言うな」
「婚約者の一人もいないお兄様に私のことを言う資格はありませんわよ?」
「可愛い妹に婚約者を見つけてやらねば、自分のことには手がつかない」
白々し過ぎる。
一度閉じた扇をまた開く。
「不肖の妹はお兄様の迷惑にならないように領地で大人しく過ごすことにしますわ。ですので私のことは気にせず是非ご婚約者を見つけてくださいまし」
「いや、それだと今までと変わらないだろう」
「ふふ、私はもう結婚は諦めていますの。目障りだと言うのでしたら領地の端っこのほうで隠居しますわ」
「殊勝な態度で言っているが、それはお前の望みだろうが。私はそんなことは許さないからな。領地にいるなら本邸にいろ」
「ふふ、承知しましたわ」
扇の陰で微笑っていたらにらまれた。
大方、この夜会であわよくばクラウディアを誰かに見初めさせたかったのだろう。
その目論見が外れるのは初めからわかっていたことのはずなのに。
兄も大概諦めが悪い。
クラウディアは扇を静かに閉じた。
「お兄様、私、お料理を少しいただきたいのですが」
「……わかった。その後、少し踊るからな」
「誰かを誘うおつもりなのでしたら私のことはお構いなく」
「お前とに決まっているだろうが」
「何故でしょう? 別に踊る必要はないと思いますけど」
「踊れば、おっ、と思う者も出てくるかもしれないだろう」
残念ながら、本当に残念ながら、クラウディアは実はダンスは得意だったりする。
それで誰かと踊る羽目になったら面倒だ。
「ないと思いますわ。諦めてくださいまし」
「お前が諦めろ。先にお前の希望通り少し食べさせてやるから」
わざとらしく溜め息をつくが、兄には通用しない。
そのままエスコートされて料理の並ぶテーブルのほうへ向かう。
その途中で兄がちらりと周囲に視線を走らせた。
誰かを探しているのかしら?
少なくとも牽制するような視線ではなかった。
「まだ仕事か。来ていたら踊らせてやろうと思ったんだが」
ぽつりと呟かれた言葉は音楽に紛れてクラウディアには届かなかった。
読んでいただき、ありがとうございました。