希望
大変お待たせしました
書き出しコロシアム作品の連載です
職掌で忙しく、大変遅くなりましたことお詫び申し上げます
身を寄せ隠している堆土の表面がわずかに揺れる。小鳥が飛び去って行く。空気は異様に重く鉛の様だ。いまや、敵が迫っているのだ。このまま頭を下げたままいれば、敵を見ることはない。だから落ち着ける。それはまやかしの安全でしかないけれど。
忌まわしく重々しい、敵の新兵器の音が近づいてくる。こんなところで、こんな形で初陣を迎えたくなかった。文官らは逃げおおせただろうか。考えてもどうにもならないことばかりだ。気が滅入る。
「邸下」
「うん。弩、前へ」
敵の方を見れば、どういう魔術を使っているのか馬や他の使役獣がつかない車とそれに乗った数多の兵隊が見える。手に手に『げべーる』やそれに類する武器を携帯している。なんと尖兵も立てずに悠然と、まるで安全な占領地を行くかのように近づいてくる。それが命とりだとも知らないで。
左右を見渡せば、すでに弩は配置についている。左方遠くの近衛騎士のハイネの手勢もおそらく用意ができているのだろう。ハイネと目があった。敵を見れば、思うように射程に完全にとらえた。何もかもを掌握できたように感じる。全能感とはこのことか。
体を投石器かのようにしならせつつ腕を振り上げる。そして、渾身の勢いで振り下ろす。
「はなてー!」
放たれた矢が狙いを違えず敵を捕らえた。敵が思う以上に混乱している。効果的な、一方的な戦い、その全能感。心地の良いそれ。ただ、それはすぐに打ち破られた。
敵も精鋭かすぐに体勢を立て直して、車両の上から果敢に撃ち返してきた。相手の方が兵数が多く、あっという間に敵の射撃があたりを埋めた。敵の武器は連射ができる。堆土をかすめて殺傷力の塊があたりを覆う。あっという間に制圧されて、投射力が大きくそがれた。横矢に置いたπολύςばかりが頼りだ。
なんとか視界を確保してみれば、道から降りた敵が『ぱんつぁーかんぷわーげん』と共に散開しながら、射撃と突撃を連携し自在に前進してくる。ぱっと伏せた敵兵が、腰に下げた短剣を『げべーる』の先に取り付けて立ち上がって駆けては射撃している。この発想には驚いた。
小さいころから投射の兵と白兵の兵がどうしても区分されるから、それをどのように連携させるか、ということを王族として最低限教育されてきた。例えば魔法と剣は両立できない。戦場で使うような大規模な魔法を使って気力を大きく使い果たした後では剣を執れないからだ。弩と剣や槍でも似たようなものだ。しかし、敵の武器は違う。それは聞くところによれば1400アルスに危害を与えるに十分な威力があり、今見るように短剣を取り付けて槍になる。弩と違って左右に突出するものが小さく、必要によっては槍衾すら形成できる。敵はすべての兵が戦闘のすべての局面に加入できる。さらに敵は多勢だ。このままでは押し切られて皆殺しにされてしまう。敵は獰猛な魔王の軍勢だ。πολύςの方を見れば、『ぱんつぁーかんぷわーげん』がそれを圧倒していた。
「邸下、そろそろ潮時かと」
「よし、撤退だ」
少し声が上ずったかもしれない。敵はいよいよ近づいて、甲高い声が聞き取れるほどだ。言葉が違うから何を言っているのかはわからない。
【ɛlɡeː ˈfɔɪ̯ɐˌʃʊt͡s】
【zɔlˈdaːtn̩ ˈfɔlɡn̩ ziː miːɐ̯ ˈfoːɐ̯vɛʁt͡s loːs loːs loːs!】
敵の射撃はますます熾烈となり、新に盛大な土ぼこりが上がる。それに包まれたらそれは死ぬ時だ。いまではない。私たちには使命がある。
その時、敵弾の一発が眼前の堆土を射抜いて手元に土ぼこりが上がる。身はいよいよすくむ。敵の甲高い声とその装具が立てる物音、ボルトをことごとく跳ね返しながら悪夢のような威力の炸裂弾を発射してくる『ぱんつぁーかんぷわーげん』の地響き。恐怖を感じさせないように努めて冷静に、でもやはり無意識に声を上ずらせながら、精一杯の声を絞り出す。
「撤退、ホウレン村まで下がる。」
そこからは惨めだった。敵に射すくめられて這いながら敵火を逃れられる位置まで退がってそこに繋いだ馬を何とか木から離そうとして、うまく手綱を解くことができず、学友で長く一緒にいたマドセン嬢が手伝ってくれてようやく解いた。そして、震える足を鐙にかけて馬に飛び乗ったその瞬間、敵の追手がやってきた。そして、その放った一発が、ようやく自分の馬に跨ったマドセン嬢の胸を後背から射抜いた。枕に石を投げつけたようなくぐもった音、それでいて胸を完全に破壊し前方に骨と肉を引き裂いたモノをまき散らした。もんどり打って転げ落ちた嬢の體からは、花瓶を沈めた時のようなごぼごぼといった濁った音とともに大量の血が地に流れ滲みる。完全に恐怖に染められて全身が鉄鎖に括られたかのようにこわばる。
「邸下!」
私の乗馬の尻に従卒の誰かが鞭を呉れて、その瞬間にいくつか飛来する敵弾に追い立てられて、馬は一目散に駆ける。近衛騎士が並走して誘導してくれる。敵は追ってこない。振り返れば、マドセン嬢の死体に何人かの敵が群がっていた。どうされてしまうのか。相手は悪逆非道の悪魔の手勢、、死してなおも辱めを与えることすらあるだろう。しかし引き返すこともできない。胸中のみで弔い、ひた逃げる。三日前にはまだこうなるとも思っていなかったのに。
走馬灯のようにその三日前を思い起こす。
その半月前には、皇国の使者殿下をお迎えして儀仗の剣きらめく王城の壮麗を誇った中庭は、敵国の親衛隊の砲爆撃にさらされつつ、死体の安置場となっている。中庭を見下ろす位置の、初代国王と共に戦ってこの王国の母となったという戦乙女の彫像は、いったいこの戦争をどう見ているのだろうか。
戦争は大きく変わりつつある。誇りある剣閃も、偉大な魔法も、それを支える呪いも、いまや次第に火砲や航空爆撃、げべーる射撃といった純然たる『鉄量』の前には蟷螂の斧のようになり、そして敵はそれを存分に駆使している。我々がその分野を軽視していた間に、向こうはそれを突き詰め、それを国家の血肉として生育してきた。勝ち目の見えない戦いが今続いている。
兄上様はどこで今戦をなさっておられるか。弟はどこにいってしまったのか。私にはなにもわからない。私は、無力だ。あまりにも無力だ。死体ばかりの中庭で、その整理を監督するのは気が滅入る。かといって血ばかりの施癒所もなおさら滅入る。そこから逃げてきて、ここにいる。
学友のマドセン嬢が宮殿の勝手からでてきて、呼びに来た。
「邸下。国王殿下がおよびでございます」
「いまからいく。」
ふわりと漂う花の香り。こんな時とて決して化粧一つ手を抜かず身を整える嬢の威厳。そして、それがこうも凄惨な状況にひとひらの花を添えて、心のの慰みとなろうか。見た目も華といえる。まさに女の模範といえっていい。私もそうなるといいのだが、この身は思うように成長しない。王族なのだからこの国の女の模範になるべきなのに、胸は全く育つ気配がない。何が悪いのだろうか。
気の迷いを振り払って、殿下のもとに行くために容装を点検する。襟を正して、鎧から灰を払い、剣装を整えて王城の建物にはいる。
昨日の爆撃で天井の落ちた大廊下。離れたところにある兵舎の区画はまだ燃えていて、ここに煙も灰も入ってくる。いつもなら使用人らが行き交うここも、いまは静かだ。音響の響くような造りが壊れたせいかもしれないけれど。
静かになってしまった王宮というのは、なんというか心許ないものだ。音響などを含めてその壮麗を保っていたといってもよいのに、破壊されて日が強くあたり音も静けさばかりになり、健在な建具が異様に輝いてむしろみすぼらしく見える。調度などは名の通りあたりと調和してはじめてその威厳となるのだということを改めて知らしめるようだ。ふと空を見上げてみれ敵の飛行斥候か、キラキラと輝く舊竜の紛い物のようなそれが悠々と遥か高くを通りすぎていく。空も大地も全く自在のものとなったと言いたげに睥睨しているそれを見ても、不思議と綺麗だというよくわからない感想を受ける。それでも王族としては決してそれを表に出せないと信じるがゆえに、歩調を変えずに視線を前に戻して廊下を通りすぎる。
謁見の間に着いても戦争のあとの生々しさは著く、国宝であったステンドグラスの神画が打ち砕け、燦然と陽光は差し込み厳かな空間といった本来のありようをも棄損されてある。まるで王国の名誉を取り除こうとするかのような仕打ちだ。
そんな謁見の間には国王殿下と老近衛騎士の2騎、いくらかの若い文官がそこにいた。
「殿下、ただいま到達いたしました。して、ご用命は」
「ルイーゼ、お前は今宵にここにいる文官らを引き連れて夏宮まで疎開するのだ。護衛に2騎つける。支度を整えよ。もう王都近くまで敵は迫ってきておる」
「殿下、私もここで最後まで戦う所存です、戦わせてください」
「ならぬ!ここで王族に連なるものが皆死ねば国が亡ぶ。国を支える未来ある若い文官と共に疎開し、この国の再興を果たすべく潜むべき役目がそなたにはある。それが、王族の務めなのだ。そなたにしかできぬ。だからそなたがやるのだ」
全く納得できることではないが、しかしどのような期待がかかっているかもわかった。夏宮なら港もあり、王族の私船もある。最悪の場合にはそれらを活用して亡命もできるだろうという見積もりなのだ。殿下の御心を受けて、心を押さえつけて、使命を以てお応えする。
「…謹んで拝命いたします、殿下」
「よろしい」
薄暮となった。手勢の従士をいくらかつれて搦手門のまえに立つ。昼間に疎開はできない。そんなことをすれば空を制した敵に襲撃されて瞬く間に鏖殺されてしまう。避難するための旅装の文官らとその付のもの。多少の手勢を連れた近衛騎士の2騎。合わせて100には満たない、ちいさなちいさな、それでも確かなこの国の希望となるべきがここに集った。マドセン嬢も騎士の家の出のものらしく、指揮杖を兼ねた紅の鞘の細剣を下げている。私の持つ剣は王族の持つ由緒の剣であるけれど、あまり見栄えのしない、300年の歴史で古ぼけた、本当に個性のないような剣だ。
「邸下、皆揃いました。それでは…」
「うむ、皆の者、行くぞ」
搦手門か今だけ開けられている。そこを極力物音を立てずにゆく。後ろを振り返れば、城の櫓に国王殿下以下近衛の将帥が我らを見送っている。心のうちで敬礼して足早にすすむ。振り返れば未練があるから。
この隊列はあまりにも悲惨だ。普段は王国の気にを示して輝く各種金目のものには光輝を発しないためのボロ布がまかれ、見送りはほとんどなく、明かりもわずかにしか持たない。しかし、心だけは、心だけは希望があった。
意識が今に戻る。追手を振り切って、ようやく落ち着いてきた。使命を思い出して、気を保つ。何とかして逃げきらねば。
【王都から約58ベルスタ】【夏宮まで約42ベルスタ】
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