1話/王立フェルベール士官学校 1
初めて書く小説です。
感想や批評等、お待ちしております。
よく、平穏安寧に日々過ごせる事に勝る幸福はないと語る輩がいる。
なるほど、一理あるかも知れない。
しかしそれは、あくまで現在自分が置かれている状況に満足している者が言う事であり、現状に不満、ないしは嫌悪の念を抱く者の気持ちを考えた上での発言なのか、と俺はいつも尋ねたくなってしまう。
だってそうだろう? 例えば自分が金持ちで何一つ生活に不自由がなければ、それは何も起こらない方が幸せに決まっているし、俺だってそんな状況に置かれていれば平穏を望むはずだ。
だけど、そんな状況に置かれていない奴だっている。今すぐにでも逃げ出したいと思ってしまうような、そんな酷い状況に置かれている奴だっていないわけじゃないんだ。
それを悟ったように、『俺は平穏安寧な日々を過ごしたいだけなんだがな』などと、偉そうに。
なら一度、こっちの身の上を体験してからそう言う事を言って欲しいものだな、と――、
「リリー! リリー!?」
「は?」
「は? ではありません! 高貴なるリヴェルクラン家の一人娘ともあろうものが、そんな言葉遣い……!」
目の前に座る老婆が、ガミガミとまくし立てる。その対象は当然俺であるが、ふむ、リリーね……。
相変わらずこの名前には慣れない。
「良いですかリリー、リヴェルクランは代々神聖な力を持つ巫女を排出してきた家。あなたもお婆さまやお姉様のような素晴らしい巫女に――」
このお説教もこれで何度目に聞いただろうか。飽き飽きしてくるレベルだ。
俺は正座を組んでいた両足を解いてあぐらを掻き、大きく口を開けてあくびをした。
「リリー!」
老婆の金切り声が耳をつんざく。
うっさいねぇ、相も変わらず……。
「わかってますわ叔母様。あまりにもお話が退屈なので少し俗っぽい仕草を」
「退屈! 私の話が退屈と申すのですかリリー!」
「そんなこと……」
他に何があるってんだよ、早く話終わらせろババア、と喉元まで出かかった言葉を無理矢理呑込み、俺は愛想笑いを浮かべた。にっこり。
老婆――叔母だけど――は以前憮然とした顔つきのまま、もう一度話を始める。だからもうそれは聞いたというのに……。
「リリー、あなたはリヴェルクラン家の娘。ですが今日からあなたは私たちの手を離れ、王都へと旅立ちます。王立フェルベール士官学校、非常に名高い教育機関であなたは五年間、様々な事を学ぶのですよ。そこでは巫女になるための――」
「叔母様、それはもう何度も聞いてますわ。ですが……、そろそろ出発の時間では?」
「あ、あらあら……。まだ色々話す事はあるのですけど、あなたが寮生活に慣れた頃に手紙にして送りますから」
来てもそのまま破り捨てようと俺は堅く心に誓った。
「リリー。リヴェルクランの名に恥じぬ振る舞いを忘れないように。良いですね」
「はいはい」
「はい、は一回!」
まるで小学生のような怒られ方をしつつ、俺ことリリー=リヴェルクランはようやく長い事続いたこの生活から抜け出した。
そう、これから先は自由が待ってるんだ。俺の、俺だけの、俺のためだけの自由がな。
自宅前に止まっていた馬車に乗り込んで、俺はついに王都へと出発した。
改めて紹介しておこう。俺の名前はリリー=リヴェルクラン。リリーという名は好きでないので、遊び仲間にはリーゼロッテと呼ばせている。リーゼロッテ=リヴェルクラン。我ながら悪くないと思う。
齢十六。肩口まで伸びる銀色の髪の毛と、紅い瞳が非常に美しい世紀の大美少女サマだ。肌は透き通るように白く、リヴェルクラン家の十八番である魔術だけでなく剣術にも突出した才能を見せる。
更に教養もあって趣味は絵画という出来すぎた――いや、神に愛された美少女と呼んでくれ。
所謂チートキャラとか言う奴か? まあ、こんな完璧な俺にも一つだけ難点があるのだが――、それはおいおいわかる事だろう。
さて、と。王都へ向かうこの間、正直非常に長い。だから少し、俺の身の上話をしよう。
平穏を嫌っていた頃の俺の話――、リリーではない頃の俺の話を。
◆
どす、と重い一撃が腹に加えられた。かはっ、と俺は喉から短く空気を出し、そのまま俺を殴った相手に向かって倒れ込む。
それを見越していたか、相手の肘鉄が俺の背中に落ちてきた。「ぎゃっ」と情けない悲鳴を上げ、俺は地面にダイブ。
見事に土まみれの愛すべき大地サマと熱いベーゼを交わした。
「へっ、ザマァねぇな」
「大口叩いて向かってきた割にはこれかよ」
「――君! ――くんっ!」
「うっせぇ女だな!」
男が短く吐き捨てて、その腕を振るった。
横たわった地面、顔を横に向けると俺と同年代の少女が、同じく同年代の男数人に羽交い締めにされている光景が視界に映る。暗い路地裏に連れ込まれ、男数人に襲われる少女。
ありがちな、だけど胸がむかむかする光景だ。
そして、少女の目の端に浮かぶ涙。それを見ただけで、俺の心の内には熱くたぎる思いが芽生える。
負けられない。こんな所で、負けてたまるか――。
「お前、ら……、離せよ! 篠本さんを、離せ――!」
ぐっ、と腕に力を入れて、俺は起ち上がる。それを驚いた瞳で見つめる男達。
そうだ。俺はまだまだ負けられないんだ。やってやろうじゃねえか、くそったれが!
わけもわからない事を叫びながら、俺はひたすらに男達へと向かっていった。
腹に一撃。痛い、無茶苦茶痛い。だけど――、構うもんか! そっちが一撃ならこっちは二撃だ。
正直な話、喧嘩なんざやったことない。生まれてこの方初めてと言っても良い。
だけど、俺にはやらなくちゃいけない理由がある。それがまさしく――、目の前で俺の助けを待っている少女な訳で。
「惚れた女一人守れないでたまるかあああああああ!」
大きく振りかぶって顔に一撃! 確かな感触。掌にねっとりと、生暖かい感触が広がった。
奴の鼻血か? とにかく、一人撃沈だ。地に沈んだゲスの腹に一撃蹴りを入れ、俺は左手で残る二人を挑発した。
「来いよ」
「テメェ舐めやがってぶっ殺す!」
「うおおおおおおっ!」
二人がかりでやってきた。当然俺は避ける技術なんて持ってないから、ただただ殴られるだけ。体の良い的だ。
だけど、それでも負けられない。篠本さんを汚そうとした奴らなんかに負けてたまるか。
視界が紅く染まる。脳が揺らされ膝がガクガクする。それでも俺は、奴らを殴るのを止めはしなかった。
渾身の一撃で一人を沈め、もう一人も、タックルが鳩尾に入ったのかどさりと倒れる。
「……勝った……?」
ああ、俺は勝った。勝利した。守った。惚れた女を守ったんだ。
「――君!」
「へ……ぶっ!」
「へ、へへへっ……」
がつん、と後頭部に今までよりも数倍重い一撃。
意識が飛ぶ寸前に見えたのは、最初に倒した奴が両手に持つ金属バットと、それから地面に垂れている、血……。
ああ、殴られて、俺は、頭部に酷いケガを……?
篠本さん、逃げて――、
それを最後に意識が飛んだ。
次に目が覚めたのは小さな部屋。生徒指導室か?
目の前の教師数人が、俺をぐるりと取り囲んで何かを喚いている。
「我が校の生徒にあるまじき失態だ」
「喧嘩など、なんて野蛮な」
「お前は何をしたかわかっているのか」
「光澤が助けに入らなかったら」
等々。正直何を言われているのかわからない。頭に手をやると、荒々しく包帯が巻かれているのだけはわかった。
でも生暖かいし、触った後の自分の手にはべっとりと温い液体がこびりついているのが見える。
つまり俺はあそこで倒れた後大した時間も掛けずにここに連れてこられたと? そういうわけか?
「光澤に礼を言っておけよ」
「しかし光澤は流石だな」
「我が校が誇る逸材ですから」
「それに比べてお前は」
……うるさいなぁ。頭が軋んで何が何だかもう訳がわからん。
結局、数時間後に俺はその拘束を解かれた。今は早く帰って寝たい。
頭痛くて何が何だかもう訳がわからなくて……、
「保健室に……寄ろう……」
ああ、学校で寝られる場所があるじゃないか。
そう思って俺は保健室へと足を向けたが、その途中にある教室から知った声が聞こえてくるのを聞いてその足を止めた。
この声は篠本さんか? 彼女は無事だったようだ。とはいえ結構暗い声で、誰かと会話している。
電話、だろうか。
「……でね? あいつがさ、惚れた女一人守れないでたまるか、とか酷い顔で叫んでさ。もう、気持ち悪いったら何のって」
……。一気に目の前が暗くなった気がした。
それは、俺の事だよな? うん、言わなくてもわかる。俺の事だろう。そう叫んだ記憶あるし。
「ほんと、あのまま殴られて倒れてればいいのにさ。馬鹿みたい」
これ以上篠本さんの声を聞きたくなくて、俺は転がるようにしてその場を去った。
今は寝よう。寝たら忘れられるはず。全てを、忘れて――。
ああ、悔しいなあ……。涙が頬を伝っているのがわかる。俺、結構頑張ったんだけど、こんなもんなのかね。
世知辛い世の中だ――、
「っと」
「ぐっ!」
「ちゃんと前を見て歩けよ」
どん、と何かにぶつかった感じがした。顔を上げれば、ああ、件の男子生徒、光澤聖人がいた。
名前通りの男で、もしこの現実が漫画とかだったら、確実に主人公に抜擢される人間だろう。
完璧超人。当然女子にもモテる。天は二物を与えないんじゃなかったのかと尋ねたくなるレベルの人材だ。
「あ、あの後助けてくれたんだって……? ありがとう……」
「ああ、うん。一応ね。でも今度からはああ言うのは控えてくれよ」
「へ?」
「あんなとこでゴタゴタに巻き込まれた女子を助けるために殴られるなんて、馬鹿らしいと思うだろ?」
「な――」
「俺は平穏安寧な日々を過ごしたいだけなんだ。同じクラスのよしみだから今回は助けたけど――」
最後まで光澤の台詞を聞くことなく、俺は拳を振りかぶって奴を殴った。
こいつがこんな奴だとは思わなかった。女子は守る物だ、なんてことは言わないけど、あそこで助けない奴がいたら、そいつは男でもなんでもない、ただの屑だ。
助けられる力があるのに助けないなんてどうかしてる。おかしい。俺はそんな力がないから、無理矢理に勇気を振り絞ってあそこまでやった。結局それは失敗だったけど……。
篠本さんの評価も散々だし、俺の平穏なんてものは崩れ去ったも同然だけど、それでも、その平穏を掛けるだけの価値があったと、俺は――。
「ってえな! ざけんじゃねぇよテメエ! 助けてやった恩を忘れやがったのか!?」
「っ!?」
「偉そうに言ってんじゃねえよカスが。俺には俺の考え方があんだよ!」
殴られた。痛い。頭もじんじんして、殴り返す気力も湧かない。
つまり、俺はただただ殴られるだけで……。あ、血が出てきた。またも視界が真っ赤に染まる。
これ死ぬんじゃないかなー、と何となく考えたところで、意識が飛んだ。
◆
次に目を覚ましたのがこの世界。俺はリヴェルクラン家の娘として新たに生を受けたらしい。
つっても向こう、光澤達がいた世界とは全く別の、魔法とかが存在するファンタジーな世界だ。
意識だけがリリーとして生を受けた赤ん坊に憑依したと見るか……、まあともかく、俺は十七年過ごした向こうの世界を離れ、こっちの世界へ飛んできたというわけだ。
初めの頃は驚きの連続、というかホームシックにかかって何度も家を抜け出したりしたが、この世界で過ごす年月が十年を超えた頃から、自分は元の世界とは違って全てを手に入れた美少女である事、同時にこの世界は平穏そのものである事がわかり始めてきた。
……あの時の記憶があるから、俺は平穏が嫌いだ。
だから俺は王都へ行って、世界を変える。
そう、目指すは世界の敵だ――。