おにぎりと温泉
「inn」と突き出し看板のある、小さな宿に入った。ドアを開けると、カランカラン、と音が鳴った。カウンターにフリルの付いた赤いエプロン姿の若い女給がいる。にこやかに挨拶をしてくる。
「いらっしゃいませ」
カウンターの所に料金表の紙が出ていた。
ソロ 一泊 5キューブ
ダブル 一泊 7キューブ
ツクモがメニューを弄り、青いキューブを10個出現させて、机の上に置いた。
「ソロ、二部屋」
「ありがとうございます。お風呂は階段の横にあります。何か分からない事がありましたら、お気軽におたずね下さいませ」
お風呂があるのか。
女給はバーコードリーダーのような物でピッと中身を確認してからキューブを受け取る。
「ごめん、ありがとう」
「トイチの出世払いな。今日から数える」
「…」
俺は女給の居る受付の横にある、もう一つの受付が気になった。
俺が見ると、女性のNPCがニコリと朗らかに笑みを返して来た。
「…隣の受付は何?」
「換金所だ」
「換金所?」
ツクモが女給からカードキーを受け取り、俺に一本を放る。
それから、隣の換金所へ移動した。
ツクモは女性に赤いキューブを10個出して渡した。
「赤キューブ十個。100,000円でよろしいですか?」
「ああ」
女性がツクモのピアスに触れる。
ポーン、と音がした。
女性が言う。
「送金が完了しました」
ツクモが振り向く。
「これで現実に金が振り込まれた」
「えっ」
「俺のレベルで頑張れば日給5万円。美味い仕事だろ」
「…」
色々と想像がつかない。
ツクモはメニューを弄ってアイテムを表示させ、投げて来た。
最初、それが何か分からず、二度見した。
黒い見慣れた三角形2つ。透明なケース。
パックに入った2個入りのおにぎりだった。たくわんが上に付いている。
急に空腹感が襲ってきた。
ツクモが言った。
「セーブとロードの能力について、何かわかったら教えてくれ。俺はまだやる事があって外出するから風呂は好きに使え」
「ありがとう」
「それから、俺がやった護身用のアイテムを使っておけ」
「分かった」
ツクモが踵を返して宿を出て行った。
受付の横に階段があり、俺は二階に上る。木製の階段はギシギシと軋んだ。
俺はドアを開け、与えられた部屋に入った。
部屋も同じように木の造りになっていた。ベッドがあり、窓から差し込む月光に反射した埃がキラキラと浮遊して美しい。
アイテム欄から、ツクモに貰った【護身用アイテム】【security ball】を【使用】をタップする。
すると、目の前に赤字のフォントで英語がズラリと表示された。メニュー画面などとは違い、パソコンにソフトをインストールする時の様に、数字と英語の羅列が繰り返し出現し、システム的なローディングが入っているのが分かる。
メタ的なアイテム?
ツクモはこんなもの、どこで手に入れたんだろう。プログラマーから貰ったものなのだろうか。
とりあえずこれで、またロードを繰り返さなくても済みそうだ。
その安心感は計り知れない。
俺がベッドに腰を下ろすと、疲れがどっと襲ってくる。異世界とは思えない程にリアルな疲労感だった。
急にお風呂に入りたくなった。
「チェンジ」
俺は武器をユメに変換させた。
ユメは俺の隣に座り、その肩口の長さの黒髪をさっと揺らして、俺を見た。
「どうしましたか?」
「ユメ、話は聞いてたか?」
「はい。ここに泊まるのですね」
「そう。俺、一階のお風呂に入ってくるから。なんて言うか、ユメもゆっくりしてて」
AIが休息なんて必要とは思えないが、武器化していると窮屈なのではないかと勝手に思ってしまう。
ユメはコクリと頷く。
「分かりました」
俺は一階に降りて、受付の横に掛けられた暖簾をくぐる。
スライド式のドアがあり、開くと、白い大理石の床に、衣服を置く籠が置いてある。
アイテムの欄を弄って、所持アイテムの実物を消去することも出来るが、俺は敢えて脱いだ服をそのままにしておいた。
ガラスの扉をスライドさせると、檜の小さな露天風呂があった。
「‥‥すご」
早速、お湯に浸かってみる。
表面張力を保っていたお湯が、ザーと流れて、床にある小さな排水溝の蓋へ流れていった。
ここはもう現実かもしれない。
俺は目を閉じて、首までお湯に浸かった。
その時、ガラガラ、と扉が開いて、誰か入ってきた。
ユメだ。
俺は驚いて浴槽に沈んだ。
完全に裸で、全てが露わになっている。
白くて、すらっとしている。華奢だけど、全身が優しい丸みを帯びている。触れたら柔らかそうな、女性の身体つきだ。胸も案外大きい。
俺は視線を逸らした。
ユメは何事も無いように、スタスタ歩いてきて、檜の浴槽に脚をつけ、入った。
俺の隣に浸かる。
「‥‥」
肩が少しだけ触れ合う。
これはAIだ。AI、AI。
artificial intelligence、人工知能。
「‥‥俺入浴するって言わなかったっけ」
「一人で待っていても退屈だったので、私もお風呂を体験することにしました。《AIは、機械学習と言って、さまざまな教師データを取り込む事で経験を積み、成長します》」
「その割に山を滑落したり、転んだり、ポンコツだけどな」
俺はさりげなく視線を横に向けた。
ユメが、両手を胸の前で交差させた。
「‥‥」
「‥‥」
「そんなにジロジロ見ないで下さい」
「スタスタ入ってきたじゃん」
「イチを見たら、少し‥不可解な気持ちになりました。これが恥ずかしい気持ちだと、私は理解しました」
ユメは普段無表情だけれど、今は僅かに唇が弾き結ばれて、頬が赤みを差している気がした。
ユメは俺を伺うように見て、くるりと背中を向けた。
「見ないで下さい」
小さな背骨の浮き出た、しなやかな背中。
俺はツンと突いてみた。
「ひゃっ!!」
バシャン、とお湯が跳ねて、ユメが立ち上がり、桃色の双丘が水面スレスレで露わになる。
ユメは機械とは思えない人間的な表情で、赤面しながら言った。
「このままでは困りました!私はどうしたら良いですか?」
「どうしたら良いと思うの?」
ユメは鼻までお湯にちゃぽんと浸かってから、小さな声で言った。
「‥‥出て行って欲しいです」
「了解しました」
俺は理不尽と複雑な衝動を感じながら、風呂を出た。
ベッドに寝転がり、メニューを開いて、先程ツクモに貰ったアイテムを表示させる。
パックは本当にプラスチックで出来ていて、パキパキ音がする。
おにぎりには内容量と、有名な医薬品会社や、証券会社、運送会社‥等々、優良株の会社のロゴが書いてあり、驚いた。
どういうことだ?
この世界のバグ取り要因のようだが、もしかして、この世界の完成に向けて投資しているスポンサーみたいな?
その時、扉が開いた。
髪が濡れて、体温が上がって、色白のユメは顔が真っ赤になっている。
「お風呂、譲ってくれて、ありがとうございました」
「いいけど、これからは気を付けろよ」
「はい」
ユメがコクリと頷き、隣に腰かけてくる。
俺はおにぎりのパッケージを開け、取り出して食べた。
白米のもちっとした感触。
鮭の塩みが効いている。
俺が夢中で頬張っていると、ユメがじっとおにぎりを見ている事に気が付いた。
俺は少し迷ったが、半分割って、ユメに差し出した。
「食べていいよ」
ユメは首をふるふると振る。
「私は食欲なんて、ありません」
「嘘つけ、じゃあ何でそんなじっと凝視してくるんだよ」
「‥‥私はAIですし、エネルギー消費だって‥むぐっ」
俺はユメの口におにぎりを突っ込んでみた。
ユメは目を丸くし、無言で食べた。
俺はユメと分け合いながら、おにぎりを食べた。
指やケースに付いた米粒も舐めとった。おにぎりってこんなに美味しかったっけ。
「美味いね」
ユメはおにぎりを見て、コクリと頷いた。
「うまいです」
俺のせいでユメの口が悪くなったら責任重大だ。
「美味しいね」
ユメは目を細めて頷いた。
「はい。美味しいです」
硬いベッドと枕が新鮮だった。勝手に布団にユメが入って来た。
「おい」
「私はAIですよ」
「…」
見慣れない木の天井。
隣にはユメがいて、温もりを感じる。
俺はこの日の事を忘れないだろうと思った。