ヒイラギと虎
何だか冒険者って感じがして格好良いなぁ。俺もああいう風になりたいけど、レベル上げしないと、被ダメがデカすぎて直ぐ死にそうだ。
そういえば、この世界で死ぬとどうなるんだろう。
とりあえず、死なない様に気をつけよう。
俺が光に触れると、周囲が眩しく光って俺は反射的に目を閉じた。
目を開けると、新しい場所に立っていた。
綺麗な庭園だ。
噴水があって、そこから真っ直ぐ道なりに小川が流れている。花壇もある。
藤の華のアーチを潜りながら、俺はユメを横目に見て言った。
「ユメは取扱説明書って言うけど、全くマニュアルじゃないよな。俺の足引っ張るし、すぐ転ぶし」
ユメは急に立ち止まる。
少し垂れ目な黒目で、俺をじっと見て来た。
「な、何」
ユメは目をパチパチと瞬いて、言う。
「先ほどツクモに発生した【empty】(エンプティー)とは、どういう意味か、知っていますか?」
「空でしょ」
「正解です。ステータスについての説明をします。【empty】とは、ステータスを【speed】に振ると、確率で付くボーナスの現象です。ツクモはレベルが高く、スピードの値が大きいので【empty】が発動しました」
「なるほど」
「ステータスを振り分けましょう。GreenMantisによって、レベルが6上がってポイントが貯まっています」
俺は赤いピアスに触れてメニューを開く。
ユメが言う。
「イチは元々【speed】の値が高いです。バランスよく【attack】を上げるのが適切だと思われます」
「俺、ツクモみたいにスピード重視が良い」
「ツクモのステータスの振り分け方はリスクがあります。自分よりも高レベルの敵や、敵の攻撃が必中属性であった場合、攻撃をまともに食らってしまいます。デメリットの方が遥かに多いです」
「アタックに振っても攻撃を喰らう時は喰らうだろ」
「ステータスにはボーナスの数値がついています。【speed】に割り振ると、【hit rate】(命中率)が一緒に上昇します。【attack】だと【defence】(防御)が上昇します。この世界ではソロが基本となるので、自分で攻撃と防御が補えるステータス振り分けが重要となります」
「なるほど」
俺はユメに従って【attack】にポイントを振ってみる事にした。
attack 23
defence 18
speed 20
hit rate 12
luck 0
「よく出来ました」
ユメがコクリと頷く。
俺はユメに言った。
「チェンジ」
ユメの全身が010101‥とコードに包まれ、片手剣となり、俺の手の中に収まった。俺は剣を腰の鞘に収める。
可愛い女は苦手、なんて逆張りをする気はサラサラ無いが、トラブルを起こしても謝罪一つは無く、上から目線なのは頂けないな。
美しい庭園を横目に、俺は一人歩いた。
すると、後方からドドド、と音が聞こえ、風と一緒に何かがそこに停止した。
巨大な影が俺に降り掛かる。
美しい金茶の表皮と黒い縦の縞模様。
理解するのに数秒を要した。
トラだ。
俺は驚いて後ずさる。
トラの背の上に、男の影が聳えている。
俺は少し後ろに下がり、男と向き合った。
男は明るい茶色のコートを羽織っていた。下には鋼の装備が覗いている。
僅かに白髪の入り混じった、壮年の男だ。
目尻などに皺があり、若くない事が分かるが、静かな佇まいから漏れる重いエネルギーが感じられた。
強い眼光で俺を見下ろす。
男は少し掠れた低いバスの声で俺に話し掛けた。
「お前がイチか?」
「え、あ、はい」
「案内するから、乗れ」
「え?」
男は赤いキューブを取り出して、俺に見せた。
「ツクモに交渉を持ちかけられた。赤キューブを貰う代わりに、お前の面倒を見る事になった」
「え」
男は俺の腕を取って、ひょいと持ち上げる。
トラの背に乗せられた。
温かい。安定しているけれど、不安定な感じが、生物に乗っている感触がある。
トラに乗れるなんて有り得ない。ツクモはここが現実と言ったけれど、絶対異世界だ。
複雑な道、ダンジョンをあっという間に駆け抜ける。
男は淡々と言った。
「俺の名前は、ヒイラギだ。京都に用事があるから、お前にも付き合ってもらう」
「あの俺、街の宿に行けってツクモに言われましたけど」
「ツクモの予定が変わった。だから俺に使いの役割を寄越した」
「そうだったんですね‥京都って、この世界にあるんですか?」
「ある。今晩、とある宿で会議が行われる。俺はそれに参加しなければならない為、今日は、お前もその宿で過ごす事になる」
「え?あの、俺、お金とか持ってないんですけど‥」
「ツクモから貰ったレッドキューブから引いておくから問題無い」
「キューブ?」
「レッドキューブは日本円に換算すれば10万円だ」
「10万!?」
「それだけの価値がある。更にこの上の『金キューブ』の相場は100万円だ」
「100万円!?」
「それだけバグも強くなるがな」
不思議な異世界だ。
俺はたずねた。
「会議って、どんな事をするんですか?ヒイラギさんもデバッガーなんですか?」
「この世界に居るのは基本的にNPCとデバッガーのみだ。会議はさっき言った金キューブの討伐。金キューブは体力が多く、ソロでは倒せない為にデバッガー同士が協力する事になる。会議の参加は任意だ。お前も興味があれば来れば良い」
「あの……この世界って、異世界ですよね」
「現実だ」
ふいに、トラが崖から飛び降りた。
ジェッドコースターよりもリアルな浮遊感に肌が総毛立つ。唇を噛んで悲鳴を押し殺した。
森から河原へ、河原の端に白く光が浮遊しているのが見える。トラはその光に飛び込み、景色が変わった。