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RPGデバッガー  作者: 白雪ひめ
東海地方編
2/65

ツクモと猫

 だが、森の中は人の踏み固めた道が全く無いような場所だった。ユメはどんどん進んでいく。鬱蒼とした茂る草木を掻き分けて進むと、斜面になった。

 獣道で、足場も崩れそうだ。

 そう思った瞬間、ユメは足を滑らせた。 


「お、おい!」

「‥あ」


 ユメは目をパチパチさせながら、傾斜のある山道を、無抵抗で滑落していく。

 俺は手を引っ張ったが、持ち堪えられそうに無く、咄嗟にユメの腕を引っ張って、抱き抱えるように転がった。

 斜面には針葉樹林の木々が生えており、俺は木に身体を打ちつけながら、転がり落ちる。

 夢の中だから、と甘く見ていたが、普通にすごく痛い。

 木々の無い小道でやっと勢いが止まった。


「‥イチ?」


 ユメがほんの少し眉を寄せて俺を見る。


「‥大丈夫」


 俺が息をつき、腕に付いたリアルな切り傷を見ていると、前方で、パキパキッと枯れ枝を踏む小気味良い音が響き渡った。


 人間だと思った。


 俺達が音の方向を見ると、そこには巨大なカマキリが潜んでいた。


 俺たちを見つけると、カマキリは両腕の鎌を高く振り上げ、羽根を打ち開いてカッカッカ、と打ち鳴らした。上体を起こして体を大きく見せ、威嚇のポーズを取る。

 俺は虫は平気な方だ。

 だが、自身の背丈の三倍はある巨大なカマキリを、相手にした事は無い。

 緑の丸い目の中に黒い目玉がちょんと乗っている。ピンと伸びた長い触覚。鎌は外向きに開いていて、体を支える細い脚、長い節のある腹部、大きいからこそ、全てが目に飛び込んで来る。

 俺は気持ち悪くなって口を押さえた。

 だがその時、奇妙なものが、視界の端に映り込んだ。

 カマキリの頭上に、【GreenMantis】とある。

 その下に長い緑のバー。

 激しい既視感に襲われた。

 そう、昨夜MMORPGで俺が幾度となく見ていた、ヒットポイントのバーだ。

 カマキリはカサカサと近づいて、右腕の鎌を振り上げる。

 俺はのんびりとカマキリを見上げているユメの腕を引いて、走り出した。

 ちらりと振り返ると、カマキリは四つん這いになり、凄まじい勢いで迫って来る。

 その時、ユメが木の根に躓いて転んだ。


「ユメ!」


 俺はユメを庇うように覆い被さった。


ー 俺、死ぬのか


 鋭利な鎌が視界いっぱいになった時、俺達は突き飛ばされていた。

 転がったまま、呆然と顔を上げると、俺と同じ歳くらいの少年が代わりに鎌を受け‥‥否。

 ザッという音と同時に【empty】という単語が、少年の頭の上に浮かび上がる。

 巨大なカマは少年のすぐ横をすり抜け、地面に突き刺さった。

 少年は動いていない。

 カマキリは地面から腕を引き抜き、緑の眼球で少年を見据えた。

 俺がぼうっと少年を見ていると、腕を取られて立ち上がらされた。


「逃げろ」

「‥君は?」

「一人で倒せる」


 カマキリはカッカッカ、と音を立て、羽をブンと鳴らす。

 少年は腰を落としてレイピアを構え、静かに唱えた。


stab(スタッブ)


 レイピアの周りに数字のコードが回転し、剣先が蒼く光り輝いた。

 少年は地面を蹴り、現実では不可能な高さの跳躍を見せる。青い軌跡を描きながら、カマキリの頭部を貫いた。

 血液の代わりなのか、破壊された場所から赤い数字のコードが散らばる。

 すかさず、少年は宙で身体を反転させる。落下の重力に身を任せ、両手でカマキリの腹を突き刺した。カマキリは身体を反らす。少年は剣を引き抜き、カマキリから離れると、ターンして、獣のように深く前傾して体勢を落とした。両手でレイピアを構え、地面を滑るようにカマキリの身体の下に入り込み、回転してカマキリの脚を薙ぎ払う。カマキリは弾かれるように裏返った。


 カマキリは無様に仰向けに転がり、切断された短い脚をザワザワと動かし続けている。前脚の鎌だけでは体勢を戻せないようだった。


 少年は俺に言った。


「切れ」

「へ?」

「早く」

「ど、どうやって?剣なんて、持ってないよ」


 俺は両手を開いた。

 少年は目を丸くし、俺に言った。


「チェンジって唱えろ。コイツに向かって」


 少年の指の先には、ユメが居る。

 俺はユメに言った。


「チェンジ」


 ユメの周囲を0101‥という数字の羅列が周りだす。

 ユメが両手を組んで目を閉じると、赤い光がオーロラのように漂って、火花が散った。

 ユメの全身が光になり、剣の形状へ変化する。

 光が消えると、ユメは人間ではなく、片手剣になっていた。


「おぉ‥」


 少年は俺に指示した。


slashスラッシュと唱えて、カマキリに向かって剣を振れ」

「スラッシュ」


 俺は近づいてやみくもに剣を振り上げた。

 ズシュ、という音と共に、カマキリから赤いコードが吹き上がる。

 少年が言う。


「もう一度」

「スラッシュ」


 剣を振り下ろすと、更にコードが溢れ、カマキリは全身を0101を繰り返す数字になった。数字の羅列は渦を巻きながら凝縮し、やがて四角いキューブとなる。

 同時に、キュイーン、と電子音が連続で鳴った。

 もしや、と思って頭上を見ると、level upの文字が表示され、すぐに消えた。

 少年は半透明の青いキューブを拾い上げ、俺に投げて寄越した。

 キューブの中は不思議な液体で満たされていて、キューブの表面には小さく文字が書かれている。


 エラーコード401


「なにこれ?」

「取り除いたデバッグの情報だ。この世界では、プログラマーとの交渉材料、デバッガー同士では通貨の代わりにもなる」

「‥‥」


 言っている事がわからない。

 少年は続ける。


「このエラーコードは何のバグか知らせる記号みたいなものだ。見つけにくくて厄介なバグほどプログラマーには重宝される」


 俺が黙り込むと、少年は俺を睨んだ。


「返事くらいしろ」

「ごめん。教えてくれてありがとう。でも俺はここに来たばかりで、何も分からなくて。さっきまで家のリビングに居たんだけど、変な質問をされて、ここに飛ばされた。夢にしてはリアリティがあるなと思ってるけど」

「ここは現実‥」


 少年は言い淀んだ後、再び言った。


「ここは現実だ。夢じゃない」

「‥‥夢じゃなかったら、何なんだ?」


 今度は向こうが口を閉ざした。腕を組み、何かを考えるように、その場に胡座を掻いて座る。

 俺はその合間に、少年の風貌を観察した。

 顔は整っている。黒髪で俺より少し髪は長い。歳は俺と変わらないくらいだろう。体格は標準より少し細いくらいか。

 藍色のレザーのジャケットに、銀色の胸当てと、青いブーツに白いズボン。

 ゲームのキャラクターを現実にしたら、こんな感じかな。操作説明のチュートリアルのイベントだったりして。

 呑気な事を考えていると、少年は顔を上げて俺を睨みつけた。


「じろじろ見るな」

「ごめん」


 少年は顔を背けた。

 左耳に付けられた青いピアスが揺らいで光った。


「チェンジ」


 レイピアの周囲で010101‥というコードが回り、レイピアは変化して【猫】になった。

 灰色グレーの猫だ。かわいい。

 少年は立ち上がって言った。


「ここは高レベルのバグが出て来る。お前一人じゃとても帰れるとは思えない。俺も付き添うから大人しく俺の後について来い」

「ここはどこ?異世界?」

「現実だ。お前、装備も無いのか?」

「えーっと‥」

「メニューを開け」

「メニューってどこ?」


 ツクモは近づき、俺の耳たぶを引っ張った。

 ピコンと音がして、視界にゲームのような欄が現実の視界と重なるようにして表示される。


「ピアスに触れるとメニューが開く」

「ピアス?」


 耳を確認すると、確かに何かぶら下がっている。


「この世界に来ると、全員右耳にピアスが付けられる。ゲームのメニューボタンだと思っていれば良い」

「なるほど」

「キャラクターから、装備を開け」


 俺がメニューから、キャラクターを押すと、更に文字が表示される。


 ステータス、スキル、装備。

 装備を押す。

 

 メイン武器   刃こぼれしたソード

 サブ      なし

 防具 上    ぼろぼろのシャツ

 防具 下    ぼろぼろのズボン

 足       なし

 頭       なし

 アクセサリー  なし


 実際、俺は裸足で、服は薄汚い生成色のシャツとズボンだ。

 ツクモは青いピアスに触れて自身のメニューを出すと、目の前にぽんぽんと、銀の胸当て、肘当てのついた防具や、靴を出現させ、俺に言った。


「これを着ろ」

「え、いいの?」

「いい」

「ありがとう。どうしてこんなに親切にしてくれるんだ?」

「初心者が召喚されるのはこんな場所じゃない。異分子である以上、お前からは色々調べることがある。死なれたら困るんだよ」

「ふぅん」


 どれも軽くて着心地が良い。


「本当に貰って良かったの?」

「上位互換の装備があるから要らない。売ろうと思ってたから良い」

「ありがとう」

「付いてこい」


 普通に山を下っているかのようだった。ファンタジーとか異世界的なシンプルな造りではなく、現実の山そのものだ。腐葉土のしっとりとした匂いが鼻をつく。草木は鬱蒼と生えている。山道は相変わらず険しい。

 俺はたずねた。


「君の名前は?俺は‥」


 名前が思い出せないことに気がついた。


「この世界にいるお前は、現実のお前とは別人だ。マニュアルには何て呼ばれてる?」


 マニュアルって、ユメの事だよな。


「イチって呼ばれた」


 少年は短く答えた。


「俺はツクモだ」


 その時、前を歩いていた【猫】が立ち止まった。

 猫の身体から、青い光が大地を伝って波及する。

 猫は何かを知らせるように、しっぽを立たせて振り返る。

 ツクモも止まる。俺が進むのを静止するように、右腕を横に伸ばして俺を遮った。


「俺が良しと言うまで何も動くな、喋るな」


 しゃがんで身を隠し、息を潜める。

 草むらから勢いよく現れたのは、先程出食わしたカマキリの色違い、赤色のカマキリだった。

 赤いカマキリが近づき、目の前を横切ると、【Red Mantis】と表示された。

 レッドマンティスは、俺たちのいる山道と合流する道を往復した後、引き返して行った。

 ツクモが言った。


「あいつはグリーンマンティスの上位互換だ。お前は鎌が掠っただけでも即死だろうな」

「そんなに強いんだ‥ツクモは何レベルなの?」

「鎌が掠っても死なないよ」


 再び歩き出して、片手剣がブルブル震えているのに気がついた。


「ツクモ、なんか剣が震えてる」

「マニュアルは、changeチェンジと唱える事で武器と実体に入れ替えられる」


 俺は唱えてみた。


「チェンジ」


 片手剣が光り、コードに包まれる。やがて光は人型になり、ユメが現れた。

 無言で俺を見た後、なぜか手を繋いで来た。


「え、何?」

「私が案内をします」

「いや‥‥」


 今の状況は、全てユメのせいなのでは?

 ツクモはユメを見て言った。


「‥何だこの意味不明なマニュアルは。気持ち悪い」

「そんな言い方無いだろ」

「これは人じゃ無い、ただのAI、取扱説明書マニュアルだ。だから手を繋ぎたがるなんて非生産的な行動は取らないはずだ。お前はここに来る前、何を願った?」

「願う?」

「選択しただろ、白い空間で、自分のことを色々と」

「‥‥何だったかな」


 俺は思い出して言った。


「命を選んだ」


 ツクモが目を見開いた。


「命…それは本当か!?」


 そんなに驚く様なことだろうか。


「え、ああうん。でも、ほら、俺は異世界転生みたいなのを想像してたから、ユメは人間だし、人間って意味の方だったんだなぁって」


 ツクモが顎に親指を当てて、考える仕草をする。

 俺はたずねた。


「ツクモのマニュアルは猫なの?索敵能力みたいなものを持っているのか?」

「デバッガーにはマニュアルが必ず付いていて、特殊効果を持っている。アモルは【索敵】だ」

「へぇ。ユメは何なの?」


 ツクモがユメを見る。ユメは、俺を見た。

 ユメは、ゆっくりと首を傾げて言った。


「分かりません」


 ツクモが俺に言う。


「何かマニュアルの事で分かったら、俺に教えてくれ」

「分かった」


 山を降りた先に光が見えてきた。だがそれは陽光ではなく、ふわふわと浮かぶ丸い光の球だった。

 ツクモが振り返る。


「お前はゲームをやった事があるか?」

「ある。MMOもよくやるよ」


 光の球の先の景色はぼやけている。

 直ぐにピンと来た。


「ここから他の場所に繋がっているって事か」


 ツクモは頷いて、顎で光を示した。


「ここから先は自分で歩いていけ」


 俺は驚いて立ち止まった。

 付いて来てくれると思ったのに。

 不安が顔に出ていたのか、ツクモは表情を緩めて言った。


「俺は少し用事がある。終わればメッセージを飛ばして会いに行く。この先には敵のポップしない小道があって、真っ直ぐ行けば街がある。街に入って直ぐ右手に宿があるから、そこに居ろ」


 視界の左上に!の通知があり、触れると【フレンド申請・ツクモ】の文字が表示されて、俺は許可を選択する。


「ありがとう」


 俺がほっとして言うと、ツクモは付け足した。


「マンティスには「複眼」っていう特性がある。視覚は360度。つまり死角は無い。まずはしっかりと目を潰してから攻撃をすれば倒しやすい」

「そうなんだ」

「この世界は、現実世界じゃないけれど、ゲームでもない。ちゃんと戦法を立てれば、低レベルでも強いバグが倒せる。バグにはそれぞれ特性があるから、それを見極めることが大切だ」

「わかった」

「それから、宿に着いたらこれを使え」


 ツクモはガラス球のような透明な球を差し出した。


「何これ」

「メニュー、アイテム、使用、で使える。室内でしか使えないが、護身用のアイテムだ、この世界じゃ現実と同じで宿の中でも襲撃を受ける可能性はあるからな」

「え、バグに?」

「な訳ないだろう。人だよ。じゃあ、俺はもう行く」

「あ、うん。色々ありがとう」


 ツクモは再び道を引き返していった。

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