空の彼方
ー 富士山 一合目
木漏れ日が降り注ぐ、比較的安定した山道が続いている。左右には幹の白い樺の木などが広がっていて、陽光を透かす緑が美しい。
腐葉土と苔のふかふかした感触がブーツ越しに伝わってくる。
「ススキ高原って富士山にあるの?」
「その道中にある」
ツクモが立ち止まる。
おもむろに剣先で左の木立の奥を指した。
「【基礎的なスキルは有効】だ。何故ならシンプルで《発動速度が速い》から。応用が利くしな。そこにいるクマにスラッシュを打ってみろ。攻撃してきたら出来るだけ躱せ」
「アモル、スキャン」
銀色の光を放つ美しいレイピアが、「みゃあ!」と猫の声で可愛く鳴いた。
すると、蒼い光が空気を伝播するように広がっていき、前方の空間をスキャンした。
クマの外線が浮き彫りになる。
destruction bear
ディストラクションベアー。破壊熊。
青い名前の下に緑のHPバーが表示される。
「カマキリじゃないの?」
「バグの種類は色々だよ。特に規則性は無いけど、縮尺を変えれば大体のものがモンスターになるからな。プログラムするのは手間がかかる」
ぐぉおおおおおお、と、クマが野太い咆哮を轟かせる。
ピリピリと震えた空気が波及してくる。リアルな存在感に、鳥肌が立った。
赤い光の矢印が、クマから俺達の方へスッと伸びる。
「気づかれた!」
「マニュアルの能力には強度がある。あからさまだとバレるんだ。今のはワザとだけど」
「強度?」
「常時発動しているパッシブスキルと、能動的に発動するアクティブスキルって事だ。今使ったのはアクティブスキル。猫のパッシブスキルは対象は感知出来ても、名前までは分からない。アクティブなら姿形、名前まで分かるが、敵にこちらの位置がバレやすい」
「なるほど」
クマが木々を薙ぎ倒しながら、ドガドガと走ってくる。近くに迫るに連れ、俺はその大きさに度肝を抜いた。
現実のクマは2メートル程の大きさだと聞いた事があるが、これは明らかに、その倍以上あった。
destruction bearは、牙を剥きだし、爛々と光る赤い瞳孔で俺を捉える。
ツクモが言う。
「イメージは、この世界で反映されやすい。想像力があって、のめり込める方が強くなれる」
急に、ツクモが俺の背を押して、クマの前に突き飛ばした。
クマは再びグォォオオと低い咆哮を上げながら、襲い掛かって来る。
恐ろしくて身体が硬直した。
その時、剣が震え、鈴を転がしたような可愛い声が聞こえてきた。
『イチ!』
ユメの声が、魂に直接響くようだ。不思議と勇気が湧いて来た。
俺は片手剣を握り直す。
クマが飛び込んでくるのに合わせて、俺は真横に飛び退いた。すれ違う空気が肌を撫でる。
クマの猛進を躱した。
いける。
MMORPGの数多くこなしてきた戦闘が頭の中で思い浮かぶ。
真っ直ぐ直進してくる敵は、横のステップで真横に躱すのがセオリー。
クマは方向転換して再び突撃してくる。少し引き付けてから、同じようにギリギリの所で真横に躱し、すれ違いざま、俺は回転するように剣を振り上げてスキルを発動させた。
「スラッシュ」
刀身が赤く光り、クマを斬り付ける。肉を切断するリアルな重みを感じる。
クマの体に縦に走る裂傷から、血を模した0と1の赤いコードが飛び散った。
緑色のHPバーは5分の1程度しか減らない。
クマは傷を意に介さず、方向転換すると、再び俺に襲い掛かる。
至近距離の攻撃に、俺は避けきれず、咄嗟に剣を掲げて、刀身の腹の部分でガードした。クマは二本足で立ち上がり、全体重をかけて俺を押す。凄まじいパワーで俺は弾かれた。
尻もちをついたところを、すかさずクマに覆い被さられ、内臓が押しつぶされるようなリアルな重みに俺は喘いだ。肩を噛みつかれ、視界の上部に表示されるHPバーがみるみる減少する。
俺がパニックに陥った時、一筋の青い光が閃いて、すっとクマの半身に直線が走った。それはじわっと広がり、一刀両断のダメージを受けて一気にディストラクションベアーのHPバーが減少する。勢いは留まることなく0になり、クマは、グオゥオオオ、と苦悶の咆哮を挙げながら、数字の羅列になって爆散した。01010101…という細かな数字は渦を巻いて凝縮され、青いキューブに変化した。
キューブを俺に投げて、ツクモが言った。
「ぼうっとしてるな立て。次だ」
山道を進み、同じ事を繰り返すと、クマの攻撃パターンが掴めてくる。前脚かぎ爪での攻撃、押し倒し、距離が離れていると突進をしてくる。上手く間合いを取り、回数を重ねると一人でもクマを倒せるようになった。
ツクモは先に進んで言う。
「敵の必殺技は、【赤い範囲】で表示される。その場所に攻撃が飛んでくる。ヒイラギとの戦闘でも見ただろう?この世界じゃ、どんなスキルも予測範囲が表示されるから、それを良く見るんだ」
「分かった」
「一秒二秒だから初見で反応するのは至難の業だけどな‥‥‥ちょうど良い。アモル」
ニン、と猫が鳴く。
赤い範囲が森全体に広がった後、蒼い波動が伝播して少し離れた場所にいるバグの輪郭を映し出した。木々と草むらの影に翅を畳んで隠れている巨大な蝶の外線が浮き彫りになる。
Perplexity butterfly
「Perplexityは惑乱という意味だ。攻撃力は高く無いが、状態異常系の技を打って来る。蝶は赤い床の範囲に鱗粉を降らせるから、挙動を確認しながら赤い床を避けて移動すれば良い。戦ってみろ」
「分かった」
巨大な蝶はカラスアゲハの様な、色鮮やかな翅を羽ばたかせて俺の頭上へ一直線に飛んでくる。
次々に地面に赤い床が発生し、俺は全力で木々の間を駆け抜けた。
攻撃をする隙が無い。だが、ゲームは謎解きのように、必ず正しい戦闘法が用意されている。
敵を倒すには、よく観察する事が重要だ。
蝶は空中を漂い鱗粉を振らせてくるが、ごくたまに、地面に止まる。
俺はその瞬間に合わせてダッシュした。右下から、左上へ、全身で剣を振り上げて、切り付ける。
「スラッシュ!」
赤い数字が飛び散り、蝶のHPバーが減る。
振り上げた剣を、再度左上から斜めに振り下ろす。
「スラッシュ!」
蝶のHPバーが三分の一減少する。攻撃を叩き込む前に、蝶は再び上空へ飛び立つ。
「クソッ」
その時、ユメの声が聞こえた。
『イチ!』
「ユメ?」
『翅を狙うのはどうでしょう』
そうか、部位破壊のようなものが存在するのか!
「ナイスアイデアだ」
『はい!』
「行くぞ!」
再び蝶が地面に止まった所に走り込む。
翅の根本を目掛けて、中段から剣を薙いだ。
ジャキン、と特殊な効果音と黄色い光のエフェクトが発生し、中心に、critical!の文字が浮かぶ。
二枚の翅が根本から折れる。
蝶のHPがガクリと減る。
あと三分の一。
俺が止めの一撃を刺す直前で、周囲一帯の地面が全て赤く点灯した。折られた二枚の翅が浮遊し、色鮮やかな模様が分離して粉末になり、辺りに降り注ぐ。
逃げ場が無い。
その時、ユメが機械的な音声で言った。
『スターラッシュ』
地面を蹴る前に、身体が前に突き飛ばされる。
速すぎて景色が見えない。
星の突撃。
スキル名のイメージを頼りに、俺は両手で握った剣を、前方に突き出した。
ザクッという効果音と、確かな手応え。
蝶のHPバーが三分の一から、減少し、0となって消滅する。
蝶は透けて、数字の羅列に変わり、爆発する。弾けたものが再度集まり、回転して凝縮され、青いキューブになった。
俺はそれを拾い上げ、アイテムに仕舞ってから、ツクモにたずねた。
「今の、新しいスキル?」
「スラッシュの次に覚える基本技。地面を蹴ったりしなくても、発動すれは直進に発射するから、応用が利きやすい。基礎スキルは重要となるから、覚えておけ」
「分かった」
「とはいえ、長所もあれば短所もある。発動したら止まらないから気を付けろ。相手の攻撃を見切ってから使え」
「はい」
やがて、半分地面に埋め立てられた、丸太で出来た階段が現れる。
俺たちは階段を登り続け、草木をかき分けて進んだ。ふいに景色が開けた。
視界いっぱいに広がる光景に、息を呑んで足を止めた。
温かい、幻想的な黄金色。穏やかな風と共に、すすきの穂が一斉に揺れる。さわさわ、という優しい音が耳をくすぐる。
「すげぇ綺麗」
ススキ高原には、人影は無い。
ススキ高原の中心にある、ぽつんと立った一本の大きな木の下に移動して、言った。
「早く来すぎたな。俺は一度現実に戻る。昼頃には戻るから、ここで待ってろ」
「え!!」
「何だよ」
「もしシロが来たらどうすれば良いの?俺、一度殺されてんだけど」
「俺の名前を出しておけ。そうしたら殺されはしないだろう。シロには貸しがあるし、俺からもお前の説明はしておいた」
ツクモはメニューを出して、何かを取り出す。
「何それ」
「悪魔の小瓶。俺は魔法も使えないし、マニュアルも機動性は無いから、アイテム頼りだ」
ツクモが小瓶の中身を飲み干すと、背中からバッとコウモリの羽が生えた。とてもリアルで薄皮の下に血が通っているのまで見える。
「キモっ」
「仕方ないだろ」
ツクモはそのまま遠くへ飛んでいった。
現実は空の上にあるのだろうか。
空の遥か彼方。
母さんや父さんは、心配しているかな。




