第43話 賛辞の言葉
ダンジョン内の雪と森が重なったそこの空の上で、ナハトはその魔道具の魔石部分に血を垂らした。魔石が一瞬光り、魔石の中にゆらゆらした靄のようなものが見える。
「それがその精霊さんの魔力よぉ」
ルイーゼの指す精霊さんとは、ナハトと契約した精霊の事だ。これ以上ナハトは近づけないため、ヴァロにその魔道具を渡す。渡されたヴァロはナハトの指示のもと、僅かに発光する薄靄の元へ近づいた。
あとは魔道具を起動させるだけである。ヴァロはあらかじめ預かっていたナハトの魔力を込めた魔石を魔道具に当て、魔力を流した。
瞬間―――魔道具の魔石部分が強く輝きだした。
「……!」
眩しいだけで、ヴァロには何の負担もない。しかし、周囲からはその光を中心に渦のようなものが見えていた。ヴィントもビルケも固唾をのんでそれを見つめている。
少し離れたところで見ていたナハトは、印があると言われた付近になんとも言えない違和感を得た。熱いような重いような。これが精霊に干渉している影響なら、恐らくうまくいっているのだろう。
すると空に漂っていた薄靄が、少しずつその量を減らしだした。代わりに魔道具の透明な筒部分に液体のようなものが流れ出す。濃い緑の透明なそれは、靄が量を減らすにつれて少しずつ増していく。
「まさか、あれが精霊の魔力なのか…?」
ナハトの呟きに返ってくるものはない。
そのまま靄が無くなるまで魔道具は動き続けると―――徐々に風が収まるように渦が消え、消え去った後には魔道具を持ったヴァロだけが残された。
魔道具の筒部分には、8割ほどまで液体が溜まり、ナハトの感じる魔力の気配はもうその筒部分からしかしない。
「やったぁ!成功ねぇ♪」
そう言ってルイーゼは声を上げた。
ナハトもヴァロも、うまく魔力を集められたようでほっと息を吐く。一番問題であった、ダンジョンの大気からナハトと契約した精霊の魔力のみを回収できた。精霊がほぼ魔力で出来ているのであれば、あとはここから精霊が形成されるのを待つまで。どうやって精霊が生まれるのかはわからないが、それはビルケやヴィントが知っているはずだ。
ルイーゼから筒を受け取ると、ナハトはそれを持ってビルケへ近づいた。だが、ビルケとヴィントは困惑した様子でナハトを見返してくる。
「…?どうしました?」
「…なぜ、戻らぬ?」
「え…?」
質問の意味が分からずナハトは首を傾げた。精霊はダンジョン内の大気に溶けた、魔力だけの存在になったからどうにかしろと言われ、言われた通りどうにかした。
だというのにその反応はどういう意味だろうか。
「どういう意味ですか?精霊の魔力を集めましたが…」
「そんな事はわかっている。確かにそれは、おまえと契約した精霊の魔力だ。だというのに、なぜ戻らぬかと聞いているのだ」
苛立った様子でヴィントに返され、気が付いた。魔力を集めさえすれば、精霊が元に戻るとヴィントたちは思っていたのだ。それが元に戻らず、困惑していると。
「それから魔力を出せ」
指を差され、ナハトは困惑しながらも言われた通り筒の蓋を開けた。
だが次の瞬間、魔力がそのまま大気中に流れ出る感覚がして慌てて蓋を戻す。幸いな事に流れ出る前に蓋が間に合ったようだが、これを開けたらすぐにまた魔力が大気と混ざってしまう。
「駄目です。これを開けたら、また魔力が流れ出てしまいます」
「ええい、どういう事だ。魔力が集まれば精霊は元に戻る。何故、これは元に戻らぬのだ」
苛立った様子のビルケに、ナハトたちは何も返すことが出来ない。ビルケたちが分からないことが、ナハトたちに分かるわけはないのだ。
するとその時、アッシュが頭をぐっとナハトの方へ向けた。ふんふんを鼻を引くつかせて、興味深そうに筒を覗き込む。
(「そういえば、アッシュは他の騎獣とは違うのだったな…」)
意思もあり自立行動も可能で、何よりビルケの声を聴く事も出来る。そんなアッシュが興味を示したのだから何かあるのかと、ナハトはその筒をアッシュの顔へ近づけた。
瞬間―――アッシュがその筒を噛み砕いた。
「え…」
「アッシュ!?」
バリンと音がして筒が砕け、アッシュは液体部分を飲み込んでしまった。慌ててアッシュの口に手を伸ばすが、口を開けさせた時にはもう飲み込んでしまった後で中には筒の残骸しか残っていない。
「おまえ…!なにを…!」
ごおっと風が巻き上がりヴィントの顔が怒りに染まる。風に煽られてふらつくが、ナハトにも何故アッシュがこんな事をしたのかわからない。
それは周囲で様子を見ていたヴァロもルイーゼも同じだった。ヴァロがナハトの前に出てヴィントを落ち着かせようとするが、当のヴィントは怒りでこちらの話が届いていないようだ。
「ヴィント!落ち着いてください!」
「黙れ!それの腹を切り裂いてやる!」
アッシュはもう飲み込んでしまってどうにもできないし、ヴィントは怒り狂って話を聞かない。何よりアッシュの腹を切り裂くなどとんでもない事だ。飛んできた風の刃を避けながら、どうやってこの場を納めようかと思案していると、少し離れた場所へいたビルケがヴィントの前へと現れた。
「矛を収めよ、風の王」
「緑の王!?何故だ!それが何をしたと思っている!」
驚愕した様子でヴィントは攻撃をやめたが、その目にはまだ強い怒りを感じる。
ビルケの方が怒り狂うと思っていたがそうではなかった事を意外に思いつつも、ナハトらは様子を見守った。ここはビルケに任せた方がいい。ビルケはヴィントの言葉に頷きつつも、空を滑るように移動してアッシュの顔を覗き込んだ。そしてすっと目を細める。
「これの中から、精霊の強い気配を感じる」
「なに…?」
「どれほどかかるかはわからぬが…時期に生まれるだろう」
「…生まれるとは、どういうことですか?」
ヴィントの怒りは収まったが、今度はビルケが良くわからない事を言いだした。それを問いかけると、ビルケは先ほどと同じ言葉を繰り返す。
「言葉通りだ。時期産まれる」
「…わかりました。とりあえず、上手くいったという事ですね?」
「ああ」
ビルケの返事にナハトは頷いて、それならば一度ここを出ようと口にした。
詳しく話を聞きたいが、それには申し訳ないがルイーゼが邪魔だ。彼女には世話になっているが、あまり大きな情報を与えたくはない。
だがやはりというか、ルイーゼは盛大に嫌がった。口を尖らせて全力で抵抗するつもりのようである。
「ええぇ?出たくなーい。まだ聞きたいことたくさんあるのにぃ」
「後日きちんと時間を作りますから」
「やーだぁ!あたし頑張ったんだからぁ働き分の報酬は欲しいわぁ」
そう言うルイーゼが引き下がることはまずない。仕方なくナハトはルイーゼが知らない1000年前の植物を2つ、ビルケから受け取ったことにしてルイーゼへ渡した。見た事のないそれにルイーゼが目を輝かせている内に急かしてダンジョンを出る。
予想通り、ダンジョンから出たルイーゼはそのまま自室へと籠った。受付にすぐまた入ることを告げ、ダンジョンのいつもビルケがいる場所へ戻ると、やっと落ち着いて息を吐いた。
しかしその頃には、アッシュの様子がおかしくなった。目を瞬かせて欠伸する様は、まるで眠いかのようだ。
「…アッシュ?」
「ニャァ…」
一言鳴いて、アッシュはナハトの横に丸くなった。アッシュと出会ってから、ナハトらは彼が眠るところを見たことは無い。様子がおかしい事を不安に思い触れると、アッシュはそのまま寝息を立てだした。驚いて思わずビルケを見る。
「これは、精霊の魔力を口にした影響ですか?」
「…そうだ」
アッシュは睡眠を必要としない。しかし、今はどう見ても眠っていて、撫でても反応しないし、規則的に胸が上下している。
「時期産まれる。そうすれば、これも目覚めるだろう」
「…正直なところよくわかりませんが…精霊もアッシュも、元通りになるという事ですか?」
ビルケは頷いた。あれほど怒り狂っていたヴィントも、今は大人しくビルケの傍らにいる。それならばあとは、精霊が生まれるのを待つだけだ。
「時期って…どのくらいで生まれるの?」
「知らぬ。時期は時期だ」
ヴァロの言葉に、ビルケは淡々と言葉を返す。どれほどかは分からないが、そう遠い未来の話ではないらしい。
すると、ビルケが袖口から何かを取り出した。それは一瞬でビルケの手の中から消え、代わりにアッシュの傍らにいるナハトの目の前に小さな花が咲いた。そしてその花の中には指輪が一つ転がっている。金の縁取りに緑の石。派手な飾りはない指輪だが、いったいなんだろうか。
「…それを着けておけ」
「これを?」
「そうだ」
言われるがまま拾い上げ指にはめると、大きかったそれは縮むように大きさを変えてナハトの指にはまった。他の指輪が肌を気付つけるための装飾品である為、この指輪だけ妙に目立つ。
「何かあれば、それが光る」
「ふむ…。アッシュに何か変化があれば、これが光って知らせてくれるという事ですか?」
「そうだ」
それは大変ありがたいが、結局この指輪が何なのかはわからずじまいだ。とはいえ何かあれば教えてくれるというのだから有難くもらっておくことにして、ナハトは眠るアッシュを撫でた。ドラコも大きな弟分が心配なのか、肩から膝へ降りてきてその様子を窺っている。 2匹が並ぶ姿が可愛らしくて思わず頬を緩めると、右手から視線を感じる。
「…?」
その視線はビルケだった。何かを言いたそうに見えるその顔に、ナハトは首を傾げて問いかけた。
「ビルケ、何かありましたか?」
「……いいや」
そう否定の言葉を口にするが、視線はこちらに向いたままだ。どうにも歯切れが悪い。少し離れた場所にいたヴァロも、不思議に思ったのかこちらへ来た。
それに、さらにビルケが顔を顰める。
「ヴィント?」
ヴィントにどういうことか聞こうとそちらを向くと、何故かヴィントまで微妙な顔をしだした。ここへ来てのビルケたちの行動は、アッシュの事もあってどうにも不安を煽る。いよいよどうするかと思っていると―――。
「おまえたちに、言いたいことがある」
そうビルケが呟いた。不穏な言い方に、ナハトとヴァロは眉をしかめる。
一番問題であった魔力を集めることは出来たし、ビルケの話ではこのまま時間が経てばナハトが契約した精霊は生まれるという。そうすればあとは契約の破棄を待つだけのはずだ。魔力の運用については何も決まっていないが、それも今みんなで考えているのだから概ね解決したと言っていい。
だというのにここに来て”言いたいこと”とは何であろうか。不安に思いながらも問いかける。
「…なんでしょう?」
少々警戒しながら出た声は、ナハトが自分で思っていたよりも固い声になった。それに若干ビルケは困ったような様子を見せたが、しばらくして口を開く。
「…おまえたちは魔力を集めた。方法を考え、実行した」
「はい…」
「あの女は騒がしいが、魔道具を作った」
「はい」
「その方法は、我らの考えにはなかったものだ」
何を言いたいのかいまいちわからないが、”考えにはなかった”と彼らは口にした。命令でただ”しろ”と言っていたビルケらだが、ひょっとしたら方法を彼らなりにも考えてみたのかもしれない。
「おまえたちは、働きに応えた」
「……?」
「良い、働きであった」
ヴィントに対して、ビルケはもともと口にする言葉が短い。言いたい事と言っていたが、口にしているそれは賛辞である。なんとも精霊らしくないその行動にヴァロが首を傾げるが、ナハトはなんとなくピンときた。
もしかして―――。
「ナハト、ヴァロ。…礼をいう…」
そう言って、ビルケとヴィントは視線を逸らした。
精霊たちとは、酷い出会い方をした。戦い、一方的に責められ、喧嘩のようなこともした。ヴァロが彼らにやり返したことも、脅したこともあり、出会った後も決して良好と言えるような関係ではなかった。
だけれど、ここに来なければ分からなかった事はたくさんある。ナハトはずっと自分の居場所を探し続けただろうし、当てのない旅に疲れてしまったかもしれない。無理をして魔獣の森へ向かい、命を落としていたかもしれない。だから、酷い出会い方をしても精霊と出会えたことはナハトにとって幸運だった。
そんな関係であったから、まさか礼を言われるとは思ってもみなかった。
ナハトとヴァロは思わず顔を見合わせる。まだ契約は残ったままであるし、ナハトと契約した精霊がいつ生まれるのかもわからない。だけど、こういう関係になれたのはとても嬉しいことだ。
ナハトとヴァロは笑うと、ビルケとヴィントに向かって口を開いた。
「どういたしまして」
その言葉に、表情の乏しいビルケたちが少しだけ笑ったような気がした。
3章の終わりは1,2章と違って、ここからちょっと流れが変わるので切るという感じなので、ラスト2話がなかなかうまくまとまりませんでした。
ちょっと加筆修正しましたが、流れはおおむね同じです。
ルイーゼは興味のまま突っ走ってしまうので、ナハトはあまり情報を与えたくありません。
でも手伝ってもらっているので無下には出来ず、今回は素材を渡して対価としました。
ルイーゼは実は一人でダンジョンに潜ったりしていますが、ビルケやヴィントどころか薄靄の精霊にすら会えないので、ナハトの機嫌を損ねると会わせてもらえないと思っています。
ナハトたちとルイーゼはどっちも相手の様子を見ながらな微妙な関係ですね。




