第40話 悪夢再来
16時半過ぎ。改めてルイーゼを訪ねると、受付では同じ職員が先ほど戻ってきたと教えてくれた。階段を登り部屋の扉をノックすれば、初めて普通に扉が開いてルイーゼに出迎えられた。今日は下着姿でもない。
「あっ、2人ともいらっしゃぁい」
「…少々調子が狂いますね…」
思わず声が漏れたが、ルイーゼは気にすることなく椅子をすすめてくる。ナハトが買ってきた弁当に興味津々で、さすがに働いた後は腹が減っているようだ。渡すと喜んで受け取り、その場であけて食べ出した。
「労働の後のご飯は染み渡るわぁ」
「受付で聞きましたが、仕事をサボったんですか?」
「むぐっ、その話するぅ?別にあたしだってわざとサボったわけじゃないわぁ。お休みするって言ったのにぃ、休みすぎだし任せすぎだーって言われてぇ…。それでちょーっと腹が立ったから、お仕事のお知らせに来た職員を魔道具で縛っちゃったのぉ。それだけなのにぃ、すんごい怒られたのよぉ…」
「それは…」
「誰でも怒るんじゃ?」とはヴァロの言葉だ。思わず絶句したナハトに代わってそう呟いたヴァロを、ルイーゼはジト目で見つめる。
「むぅ。それもこれも、2人が当番変われないって言ったからこうなったのよぉ?」
「…こちらにも予定がありましたから、そう言われても困ります」
「精霊さんの事が1番じゃなかったのぉ?」
ルイーゼの言葉にナハトはため息をついた。言いたいことは分かるが、一番だからと言って必ずしも優先できるわけではない。今回の事はナハトたちだって無理やりであったしどうにもできない事だった。
しかし、興味がある事と好きな事優先のルイーゼは、本気でナハトたちや職員が悪いと思っているのだろうからたちが悪い。下手に機嫌を損ねても後々面倒なので、次は必ずルイーゼの当番を代わることを優先すると約束した。そもそも今回の一件のような事が何度も起こるとは思い難いが―――。
「それは当然だけどぉ、お陰でしばらくはダンジョン入ったり、素材集めに行けないのぉ!だから、代わりにナハトくんたち買うなり取るなりしてきてぇ?」
「それはかまいませんが…」
ルイーゼはそういうものを取りに行く事自体が好きなのだと思っていたが違うのだろうか。そう思って問いかけると、彼女は膨れながら「暫くはギルドからでちゃダメだってぇ」といかにも不服そうに呟いた。今回はギルド側も本気でお怒りという事らしい。
渡された紙には、ダンジョン内のものが4つと風の魔獣の魔石が1つ、それとコルピアの魔石と書いてあった。最初の4つとその次の魔石は分かるが、最後のコルピアの魔石とは何だろうか。
「コルピアの魔石というのは、コルピアの花から採取するのですか?」
コルピアは薄い桃色の大きな花で、魔力を通すと枯れて、その魔力の属性を持った種が取れるという特徴がある花だ。以前エルゼルの依頼について行った際に、彼女が採取していたあれである。そして本にもそれ以上の事は書かれていなかったはずだが、魔石とはどういう事なのだろう。
ナハトの問いに、ルイーゼはにんまりと笑って口を開いた。
「それはねぇ…最近発見された採取方法なんだけどねぇ、コルピアの花を根ごと持ち帰ってぇ、毎日毎日水の代わりに魔力を与えるの」
「魔力を…?ですが、コルピアは魔力を通すと枯れてしまうはずですが、どうするんですか?」
「それはねぇ、体液よぉ!」
「なるほど、血ですね」
またアホな事を言い出したルイーゼを無視して、ナハトは再度素材に目を通した。
ダンジョン内の素材に問題はなさそうだし、風の魔獣の魔石は、取りに行くのは難しいが買うのは金があれば容易い。コルピアの魔石も、血を与えて魔力を吸い上げさせれば魔石になるという事だろう。あと知りたいのは、どれだけの期間それを行えば魔石になるのかという事と、ナハトの魔力でいいのかという事だ。
ぎゃんぎゃん騒ぐルイーゼを無視してナハトは問いかけた。
「どれほどの期間で魔石になるのですか?それと、私の魔力でいいのですか?」
「ぶー」
「……」
「…1ヶ月くらいよぉ。あとナハトくんの魔力じゃなきゃダメなのぉ」
にっこりと笑いかけると、ルイーゼは不貞腐れながらもそう答えた。という事は、そもそもこの素材はナハトでなければ得られなかった素材だ。最初に体液と言っていたことから、どうせまた碌でもない事を考えていたに違いない。
ナハトは小さくため息をつくと、リストを覗き込んでいたドラコを撫でて立ち上がった。
「では、各素材は手に入れ次第持ってきます。コルピアの魔石はどうしても時間がかかりますが…かまいませんか?」
「大丈夫よぉ。それは、精霊さんへの魔道具の最後の核になるやつだからぁ。いっちばん最後でいいの」
「わかりました」
「よろしくぅ」とひらひら手を振るルイーゼに改めて「魔道具をお願いします」と口にして、ナハトたちはギルドを出た。
風の魔獣の魔石は冒険者ギルドで直接購入し、コルピアの魔石は花自体の採取が必要であったので、ついでに雷の魔力に染まったコルピアの種の採取依頼を受ける事にした。
コルピアの花の自生している場所は少々離れてはいたが、馬車とヴァロの足を使えば何とか1日で戻ってこれそうな距離にあった。2日後にはダンジョンへ入る為に使えるのは明日1日だけだが、作るのに1ヶ月もかかる魔石ならば少しでも早く採取したい。メインで走らせるヴァロには申し訳ないが。
「ナハトじゃ雪に埋まっちゃうししょうがないよ」
笑顔で全くフォローになっていないことを言うヴァロの頬を引っ張ってナハトはにっこりと笑った。
翌日は天候にも恵まれ、早朝に借家を出て隣町へ向かう馬車に相乗りさせてもらう。そのまま馬車上で朝食を終え、昼過ぎに山へ向かう道と町へ向かう道の分岐点で下ろしてもらった。そのままわずかに雪が除けられた山道を進み、雪が深くなってからはナハトはヴァロの肩に乗っての移動だ。山の中腹にある森の中の洞窟に、どれだけ寒くとも凍らない池があるらしい。その周辺が花の自生地との事だ。
「この辺…だよね?」
ギルドでもらった地図を覗き込んで首をひねる。雪が深いので目印になるものが隠れてしまうのだ。地図によれば洞窟はそれほど大きくなく、地下に潜るようにあるので外からは入り口が見えにくいらしい。その代わり入り口に大きめの岩が目印としてある―――とされている。
「見事に一面銀世界だな…」
「ギュー…」
先日ふった雪がまだほとんど溶けておらず、木以外はすべて真っ白だ。これでは視覚を頼りに探すのは難しいだろう。太陽の光を反射して眩しい。
「どうする?」
「無理は承知だが…ヴァロくん、耳で探せないかい?確かその池には、雪解け水が流れ込む滝があると言っていただろう?」
「あ、そう言えばそうだったね。うん、ちょっとやってみるよ」
そう言ったヴァロの邪魔をしないよう、ナハトは雪の上に降りた。両耳に手を当てて目を閉じ、周囲の音に耳を傾けるヴァロに倣って、ドラコもナハトも視線を巡らし耳をそばだてる。
そうして少しの時間が経ったとき、ヴァロの耳がピクリと動いた。
「うーん…多分、あっちの方から水が流れる音が聞こえる…気がする…」
「随分と自信がなさそうだな…なにかあるのかね?」
「風の音…?みたいな、ごーって音がしてよく聞こえないんだ。でもそっちから微妙に水の音がした気がして…」
耳と尻尾が下がるヴァロの背中を叩いて、ナハトは口を開く。
「それならば恐らく当たりだ」
「え、なんで?」
「水が流れ込んでいると言っただろう?という事は、風の通り道もあるという事だ。地下にある洞窟の中にあるのだから、風が通れば音がするだろう?」
「そっか!じゃあ急ごう!」
先ほどとは一転して元気に頷いて、ヴァロはまたナハトを肩に乗せて走り出した。
その場所は雪に埋もれていたが、ヴァロの耳が正確に場所を捕らえていた為すぐに見つかった。少し下り坂になった岩肌の道は、雪解け水が良く流れるせいだろう。つるつると滑ってとても危ない。
気をつけながら壁伝いにゆっくりと降りて行くと、徐々に花の甘い香りが強くなり、岩盤を縦に貫いたような天井が空いた場所へ出た。そこから壁を伝って雪解け水が筋のように流れ込み、その真下に池と言うには小さく深すぎる水たまりがあり、周辺に薄桃色の大きな花がたくさん咲いている。
そして―――魔力が満ち満ちている。
思わず顔を顰めたナハトに、ヴァロとドラコが問いかけてきた。
「ギュ?」
「ナハト、どうしたの?」
「…これはコルピアの花の特性なのかね…。…ここだな」
ナハトはほんの少し近づいて空に向かって手を伸ばした。ヴァロにもやってみるよう言い、困ったように呟いた。
「わかるかい?ここにこちらとあちらを隔てる、魔力の膜がある」
「膜って…え!?ユニコーンの時みたいな?」
「ああ」
驚いてヴァロも手を伸ばしてみるが、やはりヴァロには何も感じ取ることが出来ない。ヴァロも魔力を扱えるようになったが、ナハトとの違いはそういう事ではないという事なのだろう。
「…ごめん。やっぱり俺にはわからないみたいだ」
思わずヴァロがそう口にすると、ナハトは微笑んで項垂れたヴァロの頭を撫でる。その頬にまたドラコの尻尾がぺしりと当たった。
「ああ、しまった。どうにも微笑まないというのは難しいな…。とにかく、ヴァロくんが謝ることは無い。私が言いたかったのは、これがあるから私は中に入れないという事だ」
「あ…」
「採取を全て君に任せなければならないからな。まったく、採取一つできないとは面倒な体だ」
そう言ってナハトが苦笑いを浮かべると、ヴァロは申し訳なさそうに頭をかいて荷物を下ろした。その中から花を植え替えるための鉢植えとスコップ、それと採取した種を入れる袋を取り出して立ち上がった。
「ナハトはここにいて。あと、俺が何か手順間違えたら教えてね」
「ああ、わかった。頼んだよ」
ヴァロはナハトの言う膜を越えたが、それでも何も感じなかった。一旦それは頭の隅に追いやり、池の淵に咲いた花の一つの前にかがんで両手で花を挟み込むようにして構える。
「そのまま花全体を魔力で覆うつもりで魔力を流すんだ」
「わかった」
頷いて少しずつ魔力を流していく。するとすぐに花は枯れて、花の中心にあった種が大きさを増す。その種がある程度の大きさになったところで手を離すと、濃い紫色で艶のあるそれがころりと転がってきた。必要なのは3つだったため、もう2つ同じ作業で種にしていく。
それが終わると、次は花の採取だ。念のため2株花を移して持ち帰ることになっている。見た目で一番元気がありそうなものを選んで根ごと掘り返し、周辺の土と共に鉢植えに移した。
「これで大丈夫かな?」
「…ああ、問題ないだろう」
ナハトに見せに戻るとそう言って頷いてもらえた。うまく出来た事に安心し、荷物を取りにもう一度花の方へ戻った。
その時―――。
「ギュー!!!」
「!?」
ドラコの悲鳴にも似た声に、ヴァロは反射的に振り返った。その目に飛び込んできたのは真っ白い体躯に長い角。いつの間にあんなところへいたのか、決して広くない洞窟の中、ナハトの反対の場所から歩いて来るあれは、ユニコーンだ。
「っ!?ナハト!!!」
「ギュー!ギュー!!!」
ふらふらと歩きだしたナハトの頬をドラコが叩くが、以前のとき同様ナハトの目は虚ろで意識がはっきりしていないようだ。このまま進めばまた魔力で苦しむ羽目になり、なによりまたダンジョン内で魔物が大量発生してしまう。そうしたら、せっかく良好になってきた精霊との関係も振出しに戻ってしまうだろう。
ヴァロは慌てて荷物をかき集めると、こちらへ歩いてこようとするナハトの肩を押しとどめた。
「ナハト、しっかりして!俺のことわかる!?」
「…ヴァロくん、離してくれ…。行かないと…」
ヴァロの事を認識はしているが、ユニコーンに呼ばれているのか行かなければとしきりに口にする。このままではいつまたあの時の用に弾き飛ばされるか―――。
ヴァロは一度荷物を諦めることにして、防寒具の上から来ていたマントでナハトをぐるぐる巻きにした。そしてそのまま抱えて外へと飛び出した。
「…行かないと…」
「くそっ…!」
洞窟を出てもナハトはそう呟いた。どれだけ離れればナハトが正気に戻るかわからないが、今は少しでもユニコーンと距離を取らなければならない。ドラコにナハトの様子を見てくれるよう頼みながら、ヴァロは急いで来た道を戻った。
しかし―――結局、馬車を下りた場所へ戻ってもナハトが正気に戻ることは無かった。そのまま馬車で借家へ戻っても、どれだけ声をかけても、”行かなければ”と口にすることは無くなったが、ナハトは虚ろな瞳のまま空を見つめ続けるだけだった。
当然そんな状態のナハトを一人にも出来ず、だからと言って誰彼かまわず相談できるわけもなく、仕方なくヴァロはまた外から見えないようナハトを包んでダンジョンギルドへ向かった。
(「何かわかりそうなのは、ルイーゼさんしかいない…」)
当然ダンジョンギルドでは何を抱えているのかと変な目で見られるが、とにかくルイーゼに用があると言って無理やり通してもらった。相変わらずドラコがナハトに小さく声をかけているが、その瞳はドラコを視界に入れても動かない。
少々荒っぽく扉を叩くと驚いた顔のルイーゼが出て来た。そのまま押し入るように中に入って扉を閉める。
「ど、どうしたのぉ!?」
「ルイーゼさん、ナハトが…!あ、じゃなくて、まず盗聴防止の魔道具を…!」
「落ち着いてぇ?わかったから、とにかくこっちへどぉぞ」
部屋の中央へ通され、ルイーゼがそのまま魔道具を起動させる。勧められた椅子に躊躇いがちに座ると、正面の椅子にルイーゼも座ってゆっくりと口を開いた。
「それでぇ、どぉしたのぉ?その抱えてるの、もしかしてナハトくん?」
「は…はい…」
あえていつもより更にゆっくりと喋るルイーゼにつられて、少しだけヴァロも落ち着きを取り戻した。そうして大きく息を吐くと、ナハトを包んでいた布を少しだけ外した。虚ろな瞳で空を見つめるナハトを見て、ルイーゼが眉を寄せる。
「なにがあったのぉ?」
「ルイーゼさんに頼まれたコルピアの魔石の為に、花を採取しに行ったんです。そしたらそこにユニコーンが現れて…。前に一度、ナハトはユニコーンに会ったことがあるんですけど、その時は魔力が跳ね上がってとても苦しがって…。そうならないようにすぐに離れたんですけど、それからずっとこの状態で…元に戻らないんです」
「………ナハトくんて、女の子だったの?」
「………………………あ…」
どうにかしなければと慌てて、慌てすぎてそのままをルイーゼに話してしまった。
後悔するが時すでに遅し。ルイーゼはにやりと笑ってナハトの頬に手を伸ばす。
「そっかそっかぁ。だからあたしが下着でいてもああいう反応だったのねぇ。そっかぁ……同性なら、ちょーっと身体検査しても問題ないよねぇ?」
「大ありだ!!!」
「ああん!」
ルイーゼの手を払って部屋の隅へ逃げ、ナハトをしっかりと抱きかかえた。そのナハトの上でドラコが威嚇の声を上げる。
「こんな時に何を言ってるんですか!?俺はナハトが元に戻らないからどうにか出来ないかと思って…!」
「わかってるぅ、わかってるからぁ…。んもぅ、ちょっとした冗談でしょう?」
「……冗談に聞こえません」
「ガー!」
ドラコも怒って声を上げるが、ルイーゼは涼しい顔で席に戻るよう言ってくる。きちんと見てくれるならば話は聞きたいが、また何かしたらすぐに逃げられるように意識して、恐る恐る椅子に座りなおした。
「ちゃんと見るからぁ、ちょーっとだけ触ってもいい?」
「……変な事したら怒りますからね」
「んもぅ、わかってるわよぉ」
そう言って、ルイーゼはナハトの目に光を当てたり、口の中を覗いたり、脈をとったりと、まるで医者のようにナハトの反応を調べ出した。自分の指をナハトの手の中に置き、「握って」と言うがナハトは動かない。本当に無反応と言った様子だ。
そうして一通り調べ終えると、ルイーゼは口元に手を当ててぽつりと呟いた。
「魅了状態かなぁ…」
「魅了って…え!?」
「ユニコーンに会ったのよねぇ?ユニコーンはぁ、処女に魅了をかけて自分の周囲に侍らせてぇ、自分の魔力をその相手に与えるの。与えられた人は少しだけ魔力量が増える…って、実は何年か前に少しだけ話題になってねぇ。だけどぉ、検証できるほど会えるわけじゃないからぁすぐにその説は廃れたんだけどぉ…引き離すとこうなるのねぇ」
「そんな!?どうにかならないんですか?」
ヴァロの問いに、ルイーゼはひとしきり考え込むと―――徐に自分の指を切ってナハトに魔力を当てた。途端、パン!と高い音がして弾かれる。突然感じた衝撃に驚くが、ルイーゼは「やっぱりねぇ」と言ってはじかれた己の手を見る。
「今のはいったい…?」
「あのねぇ、ナハトくんは今ユニコーンの魔力に守られてる状態なのよぉ。ちょっと失礼してぇ…」
そう言ってルイーゼはごそごそとナハトに巻いたマントを緩ませ、防寒具のベルトに手をかけた。それを見て、またヴァロは慌てて部屋の隅へ逃げる。
ヴァロの過剰な反応にルイーゼは呆れたように息を吐く。
「過保護ねぇ…」
「だから何をしてるんですか!?」
「なにも変な事じゃないわよぉ。ちょっとナハトくんのベルト見てみてぇ?」
「え…」
ベルトに何がと視線を落とすと、ダンジョンの中にいる時のように魔力遮断の魔道具が動いていた。という事はつまり―――。
「その魔道具は、外からの魔力から内側を守るってものなんだけどぉ…ユニコーンの魔力が今ナハトくんの全身を覆ってる。だから変に反応して、外からの魔力を受け付けなくなっているみたいなのよねぇ」
「じゃ、じゃあ、ユニコーンの魔力が無くなれば元に戻るんですか?」
「多分そうだけどぉ…いつ戻るかはあたしにもわからないわぁ」
「そんな…」
それならばどうしたらいいのだろうとヴァロは途方に暮れた。今のナハトは、外からの刺激にまるで反応がない。だからといって置いておくことは出来ないし、こんな状態で連れまわすのも忍びない。ユニコーンから引き離せたのは良かったが、これでは本当に自分の対応が良かったのかと疑いたくなる。
「…明日にはダンジョンに入って素材採取って話してたのに…。薬とか、本当に何も出来ることはないんですか!?」
「うーん…」
その時、ヴァロはふと思いついた。
(「…精霊なら、なんとかできるんじゃ…」)
そう思った一番の理由は、精霊たちはルイーゼも知らない、ナハトもヴァロも知らないことをたくさん知っているからだ。聞いても教えてくれない事は多いが、今はダンジョン内の転移も協力してくれているし、何よりナハトに関しての事なら精霊たちだって無下にはしないはず―――。
少なくとも、ここで何もしないよりはマシなはずだ。
「………ルイーゼさん。今すぐダンジョンに入りたいんですけど、どうにか出来ますか?」
「今って…ええぇ!?今すぐ!?」
「はい。精霊たちならなんとか出来ると思って…」
「そ、そんな事しなくても明日になれば入れるでしょぅ?」
明日までは待ちたくない。何よりヴァロはこんな状態のナハトを見ていたくなかった。目は開いているのに反応はなく、食事も睡眠もとれるのかわからない状態など、まるで人形にでもなってしまったようでただただ怖かった。
「…今すぐ入りたいんです」
「うーん…荷物や必要物資はぁ?」
「明日入るつもりだったので、用意してあります」
「その状態のナハトくんを抱えてぇ?」
「だからルイーゼさんにお願いしてるんです」
「ええぇ!?あたしが誤魔化すのぉ!?」
ぷくりと膨れたルイーゼに、更にお願いしますと頭を下げた。だがルイーゼは首を縦に振らない。今は上に目をつけられているし、何より面倒くさいと思っているのが透けて見えている。
それならばと、ヴァロは口を開いた。
「俺が出来ることで、ルイーゼさんの働きの対価になることはありますか?」
「えー…。うーん…ヴァロくんには特になぁ…。あたしの知らない情報を持ってるとも思えないしぃ」
それでは困る。何か差し出せるものがないかと、ヴァロは必死に頭を巡らせ―――思いついた。
「ルイーゼさん、ユニコーンの素材に興味はないですか?」
ぴくりとルイーゼに反応があった。ユニコーンの素材は珍しく、高価で、そのほとんどが貴族との間でやりとりされるため、平民にそれが降りてくることは無い。降りて来たとしてもそれは大抵粗悪で、それでもまず出回ることは無いとイーリーは言っていた。ユニコーンが現れたのは確かであるし、それなら鬣の一本くらいなら落ちているかもしれない。
「……本当にぃ?ユニコーンの素材、用意できるのぉ?」
「…できます」
「多分」と心の中で付け加え、駄目だったら土下座でも何でもして謝ろうとヴァロは開き直ってルイーゼを見た。
ルイーゼはしばらく考えていたが、急に笑顔を浮かべると口を開いた。
「それじゃぁ、30分後に受付に集合ねぇ?ナハトくんは外から見えないように、もう少しうまく隠した方がいいわぁ」
「わ、わかりました」
ほっとして息を吐くと、急にぐっとルイーゼの顔が寄ってきた。慌てて後ろに下がるも距離を詰められ、真っすぐ視線を合わせてきて呟く。
「……ユニコーンの素材、嘘ついたら許さないからねぇ?」
「………はい」
「ギュー……」
駄目だったら殺されるかもしれないと思いながらも、ヴァロは急いで準備のために借家へ戻った。鞄を背負い、少し申し訳ないと思いながらもナハトをマントで完全に覆って、右腕と首の後ろを通して斜めに抱えた。
これで外から見れば、荷物を抱えているようにしか見えないはずだ。
「ナハト、ごめんね」
少し苦しいかもしれないが、それもダンジョンに入るまでだ。あまり揺らさないよう気をつけながら、ヴァロは肩にドラコを乗せてダンジョンギルドへと急いだ。
ナハトが女性であることは、ちゃんとルイーゼに口止めしています。
ルイーゼ自身が他の人にばらしても特に得られることは無いので、積極的にばらすことはありませんが…




