第37話 護衛任務(下)
舞踏会も終盤に差し掛かった頃、突然それをナハトは感じた。そこに急に現れたかのような複数の魔力、これは―――魔獣の魔力だ。
ほんの少し遅れてヴァロとリューディガーも気づき、そうすると王子の護衛たち
、舞踏会に参加していた騎士や魔術師も次々とそれを感じ取った。視線が一斉にそちらへ向く。大きく開け放たれたホールの窓の外、庭園が見える眺めのいいそこから、突然複数の魔獣が飛び込んできた。
それは6つ足の長い尻尾の魔獣で、名をウォルガラという。大きさはブロウくらいの大きさだが凶暴で動きが早く、ギルドでいうなら黄線の魔獣だ。何でこんなものがここにいる。
ホール内はすぐに悲鳴に包まれた。
「レオ!リューディガー!」
すぐにそうコルビアスが叫ぶ。行けということだろうが人選が悪い。行くならばナハトとヴァロだ。言われたリューディガーもそう思ったのだろう。コルビアスの声を無視して、そちらへ駆け寄った。
「アロ!」
ナハトが叫ぶとすぐさまヴァロが駆け寄ってきた。共に駆け出し、ウォルガラへ向かう。
逃げ惑う貴族の中には騎士や魔術師もいるが、ここは社交の場。武器の持ち込みは王族の護衛騎士と高位貴族の護衛騎士、ノジェス公爵の城につめている騎士しか持っていない。この人数を守るには、武器を持つ人間が足りない。
椅子や机を使って応戦する騎士の間を縫って、今まさにご婦人へ飛び掛からんとするウォルガラをヴァロが殴り飛ばした。吹っ飛んだそれをナハトが魔術で絡めとり、近くにいた他の護衛騎士と騎士が止めを刺した。
だが仕留められたのはその1匹だけで、後はホール内を暴れ回っている。それでも武器がないだけでさすが騎士。椅子の足や騎士の持つ剣の鞘などで応戦している。
(「だが長くは持つまい」)
武器ではないものへの魔術の付与は難しい。拳以外の武器ではない無機物は魔術の付与に耐えられるように出来ていないのだ。受け流したり投げ飛ばしたりでは倒せず、どんどんジリ貧になるのが目に見えている。魔術師も応戦しているが拘束に向いた魔術を使えるものがいないのかウォルガラは走り回るばかりだ。外にもいるのか、こちらへ駆けつけてくる騎士の数も少ない。
早く倒さなければ死人が出かねない事態だ。
(「腹をくくるしかないか…!」)
ナハトはウォルガラと応戦しているヴァロに叫んだ。
「私が一気に拘束する!君は私を守りつつ、漏れた奴に向かってくれ!」
「わかった!」
ナハトは左手のひらを裂いてそこらの床に魔力を撒いた。まだ魔力は十分あるが目眩しの回復薬を口にし、これで魔力の多さを誤魔化さないかと算段を立てる。
その時、ナハトの視界の端でクローベルグ公爵が折れた椅子の足で応戦しているのが見えた。武器もなく応戦しているその後ろで震えて泣くナナリアと子供たちが視界に入り、気づいた時には手のひらを床に叩きつけていた。
ドンっ!と床が震え、物凄い速さで蔦が伸びる。そしてそのまま蔦は公爵らを襲うウォルガラと、その近くにいた2匹を絡めとった。暴れるそれを魔力を流して押さえつける。
「頼む!」
すぐにヴァロが駆け出し強化した拳でウォルガラを貫いた。もう2匹も騎士と護衛騎士で倒し、それ以外は城の騎士たちで何とか倒したようだ。動いているのはあと1匹だが、その一匹も騎士に囲まれて攻撃を受けている。あとは時間の問題のようだが―――様子がおかしい。
見間違いでなければ残る一体のウォルガラは、体を貫かれるたびにその体積が増している気がする。いや、増している。
「攻撃をやめろ!」
思わずナハトは叫んだが、時すでに遅し。それは一気に体積を増やし、大型の魔獣へと姿を変えた。その体積はおよそ8倍。ぼこぼこと体の内側から膨らんでいくその魔獣を、ナハトとヴァロは呆然と見つめた。
「ラドローレだと!?」
離れたところにいた騎士が声を上げた。鎧の飾りからして、ノジェスの騎士団長だろうか。何にせよ今は情報が欲しい。たった一匹になったとはいえこれを放置はできない。
ロープでラドローレと呼ばれたそれを抑えにかかる騎士の間を縫ってナハトとヴァロは駆け寄った。それは何だと騎士団長に問いかける騎士の言葉に耳を傾ける。
「ラドローレは痛みを食べる魔獣だ。与えた痛みの分だけ大きくなる性質を持っている」
「そんな魔獣、聞いた事がありません」
「私も若い頃に一度見ただけだ。それより、この中で一番攻撃力の高い者を3人以上集めろ。ラドローレは大きくなる前に核を一気に砕くことで倒せるが、肉が厚く生半可な攻撃は吸収されるだけだ。そうならないよう立て続けに攻撃して一気に核を砕くしかない」
「承知しました」
「それと、先ほどウォルガラを拘束した魔術師を探せ。騎士の中にいないなら、護衛騎士の誰かであろう」
「はっ!」
早速指示を得た騎士たちが走り回る。それを見ながら、ナハトはどうするのが一番いいかと思案した。
倒し方がわからない敵に警戒したが、騎士団長は敵の正体も倒し方も知っている。外にいた騎士も集まってきているし、魔術師たちも集まってきている。これならばもう下手に目立たずサポートに回るなりすればよいのではないだろうか。そう思うが―――。
「ナハ…じゃない、レオ。俺たちはどうする?」
ヴァロはやる気だ。多くの怪我人が出ている以上、彼がこれを放置できるとは思えない。ナハトがやらずとも指示を出せば走って行って手伝いかねない勢いだが、貴族だらけのこんな場所で一人にするのは危ない。何より騎士たちが探している魔術師はナハトであるし、一度避難したはずのコルビアスはリューディガーを連れて戻ってきている。
(「これでは隠し通すのは無理か…」)
ナハトは小さくため息をついて、口を開いた。
「騎士団長らに手を貸そう」
「え…いいの?」
「仕方ない、腹はくくった。君に預けてある魔力の回復薬をくれ」
「あ、わかった」
ヴァロから2本の回復薬を受け取って、ナハトは騎士団長へと近づいた。そろそろロープを抑える騎士たちも限界なのだろう。かなり顔が苦しそうだ。
ナハトは少し声を張り上げて騎士団長へ声をかけた。
「お忙しいところ失礼します。魔術師をお探しと聞いて馳せ参じました」
「…あなたは護衛騎士か?」
「はい。コルビアス様の護衛騎士のレオと申します。私は植物の魔術の使い手です。こちらはアロ。どうぞお使いください」
「コルビアス様の…」
探していたのだからすぐに指示を出されると思っていた。
しかし実際は、騎士団長はコルビアスの名を口にしたかと思うと、渋い顔をしてナハトたちに主の元へ戻るよう言ってきた。
「そなたらの手はいらぬ。コルビアス様の元へ戻れ」
「…な!?」
今にもラドローレを押さえつけるロープは外れそうだ。だというのにナハトたちは要らないと言う。声を上げようとしたヴァロを抑え一礼すると、ナハトは言われた通りヴァロを連れて壁際にいるコルビアスの元へ向かった。
「な…レオ!何で…」
「戻れと言われたなら戻るしかあるまい。恐らく、コルビアス様の手を借りたくない理由があるのだろう。…この状況でそれを言えるとは驚きだがな…」
「そんな…!」
騎士団にも植物の魔術師はいるようだが、圧倒的に魔力が足りていない。手足ではなく全身を押さえつけなければ暴れてしまうのにそれをするだけの魔力は捻出できないようだ。魔術師たちが歯を食いしばって押さえつけているが、あれでは押さえ切ることは難しいだろう。
コルビアスの元へ戻ると、彼は眉を寄せてナハトらに説明を要求した。騎士団長に言われた事をそのまま口にすればコルビアスの顔が歪む。
そうしている間にラドローレを倒せればよかったが、固定できなかったせいか、攻撃が分散されてラドローレはまた暴れ出した。それを見て、彼は幼い顔を怒りに染めて口を開いた。
「この状況でそんな事を…!」
ラドローレの大きさはさらに増し、ロープではもう押さえ切れない。このままではあれが解き放たれるのも時間の問題だ。
その時、こちらへ歩いて来る一団があった。ニフィリム王子とその護衛騎士たちだ。魔獣が暴れて阿鼻叫喚といったこの場に似合わない笑みを浮かべている事からして碌でもない事を考えているのだろう。ナハトらはコルビアスを庇うよう正面に構えた。
彼はコルビアスの前まで来ると、大仰に両手を開いて声を張り上げた。
「出来損ないのお前に、私から活躍の機会を与えてやろう」
「ニフィリム様、何を…」
ニフィリムの護衛騎士が狼狽えたように声を上げるが、それを無視して彼は言う。
「先ほど騎士団長のやり方に異議を唱えていただろう?という事は、お前ならばあれを倒せるという事だ。だから、私から直々に命じてやる。お前たちだけで、あの化け物を倒せ」
何を言っているんだこの男はと、ナハトはニフィリムを見つめた。そんな馬鹿な命令があっていいわけはない。こちらはリューディガーを含めても3人しかいないのだ。
だが、コルビアスは恭しく礼をすると、ニフィリムに了承の意を返した。
「その命お受けいたします。ニフィリム様」
「……大層な口を。出来なかった時はおまえに責任をとってもらう」
「承知しました」
表情を変えずに礼をしたコルビアスに、腹を立ててニフィリムは行ってしまった。だが残されたこちらとしてはたまったものではない。
「どうするつもりですか…?」
やると返したはいいが、やるのはナハトたちだ。3人で、たった3人でコルビアスの見栄の為にやらなければならない。ナハトの視線にコルビアスは一瞬申し訳なさそうに視線を落としたが、すぐに顔を上げて口を開いた。
「これはチャンスなんだ…。僕には今まで機会すら与えられなかった。それが与えられたんだ。こなせれば、味方が増やせるかもしれない」
「しかしコルビアス様、これはあまりにも…」
シトレンもそう声を上げるが、コルビアスはやると決めたらしい。だがそんな話をしている間に、ニフィリムがとんでもない行動に出た。なんと魔獣を押さえていた騎士団にコルビアスが倒すから手を離せと命令をしたのだ。
さすがにその命令には騎士団も狼狽える。しかし王族の命令は絶対だ。一人、また一人と手を離し―――。
「くそっ!」
全員が手を離す前に、ナハトは慌てて右掌も切り裂き魔力を叩きつけた。床が割れて蔦が伸び、あっという間にラドローレを押さえつけた。
感嘆の声が上がるがこちらはそれどころではない。一人で押さえつけているのだ。ナハトの魔力量が多いと言ったって限度がある。暴れる魔獣を押さえつける為に、ものすごい勢いで体内の魔力が減っていくのが分かる。
(「…時間がない!」)
ナハトは呆気に取られているコルビアスとリューディガーを振り返り、問う。
「あれを倒したいなら、私の指示に従えますか?」
「ぶ…無礼な!」
すぐにシトレンが声を上げるが、それを睨みつけてナハトは続ける。
「話をしている時間がない!このままでは私の魔力もすぐに尽きる。従うのか従わないのか!?」
「…わかった」
「コルビアス様…!」
声を上げたシトレンを手で制して、コルビアスはナハトの横にかがんだ。支えてくれているヴァロに回復薬の蓋を開けてくれるよう言いながら、ナハトは作戦とは言えないそれを口にした。
「なっ…!?そんな事を…!」
「シトレン黙って。僕はそれでいい。…みんな、頼む」
そう言って、コルビアスは頭を下げる代わりに目を伏せた。
リューディガーの魔力特性は風だった。切り裂く事を目的として修練を積んだそれは、彼の剣技と合わさると素晴らしい攻撃力と突破力を持つ。更にラドローレは風と土の特性を持つ魔獣だったため、リューディガーはなんとなくだが核の位置に見当がついていた。
ナハトがラドローレを固定し、リューディガーが核までの肉を切り裂き、ヴァロが核を破壊する。これはただそれだけの、各々が最大火力を出すというだけのものだ。
一つ問題であったのは、コルビアスの護衛が全員ラドローレにかかりきりになるという事だった。大勢の人の目があるところでディネロを呼ぶことは出来ないし、だからと言ってコルビアスを一人にすることも出来ない。シトレンやフィスカにも多少の心得はあるようだが、そんなものは他の護衛騎士に比べれば一般人と変わりない程度の物だ。とても任せられるほどではない。
だがたった一つだけそれをクリアする方法があった。いや、正確には短時間ではそれしか思いつかなかっただけなのだが、最大の問題であるそれを解決したのは、ナハトの酷い案だった。
「準備はいいか?」
コルビアスとヴァロが頷いたのを見て、ナハトは魔獣を押さえつける左手を一瞬ヴァロの背中に当てた。そこにいるコルビアスと背負うヴァロを蔦でつないで、すぐに左手を床へと戻す。
ナハトの考えた案は、ヴァロがコルビアスを背負ったまま戦うという物だった。ナハトの近くにいてもコルビアスを守れるほど気は配れない。ならば、ヴァロかリューディガーと一緒にいるのが一番だが、彼らは前線で戦う為邪魔になる。ならば背負ってしまえばいいと言ったのだ。背負うのがリューディガーではなくヴァロになったのは、単純にヴァロがナハトを抱えて戦ったことがある為、その状態でも全力を出せるからである。しっかりとヴァロの肩に掴まったコルビアスは、緊張した面持ちで顔を上げた。
「…行くぞ」
小さな呟きと共にリューディガーは駆けだした。
ナハトはヴァロが置いて行った回復薬に手をかけ一気に中身を煽る。回復する魔力より消費する魔力の方が大きい。視界が明滅しだし、脂汗が頬を伝う。
(「回復薬はあと1本…」)
全てはリューディガーの手際次第だ。リューディガーの実力は恐らくヴァロより上という事しかわからないが、出来るかと言うナハトの問いに間髪入れず”出来る”と答えたのだ。信じるしかない。
ラドローレの正面に回り込んだリューディガーは、長く伸びた舌の攻撃を避けながら、その舌を両断し接近する。ナハトがおそらくで検討をつけていたラドローレの核の位置は、ブロウに似た姿からすっかり豚のように姿を変えた厚い肉たぶの奥、人でいう首のあたりだ。そこめがけて風をまとわせた剣を突き刺したリューディガーは、剣が刺さると同時に目を見開いて後ろへ大きく飛んだ。
瞬間、ラドローレの首元にあった毛が針のようにリューディガーを襲う。
「うわあああ!」
「退避ー!」
それは周囲で待機していた騎士たちにも降り注ぎ、まさに地獄絵図といった様だ。針が刺さった者たちが呻いている事からすると毒があるのかもしれない。ラドローレの事を知っているようだった騎士団長まで驚いている事からして、もしかしたらラドローレは変化の仕方に多様性があるのかもしれないと頭の端で思う。
リューディガーは自分に向かってきた針を全て叩き落すと、改めて風を剣にまとわせ飛び出した。そのまま大きく回り込み、また出現した首周りの毛に向かって横から剣を突き刺した。瞬間、周辺の肉がえぐり取られてはじけ飛ぶ。
だがそれではまだ足りない。周囲にいた騎士がざわめく中、リューディガーは立て続けに風をまとった剣で首周りを突き刺した。すさまじい速さで繰り返されるそれはラドローレの回復力を上回りどんどん肉がはじけ飛んで行く。
「構えろ!」
リューディガーが叫ぶ。
言われるまでもなく、ヴァロは手足を魔術で強化して構えていた。暴れて無暗に跳んでくる舌や針を叩き落し避けながら、その時を待つ。
「しっかり掴まっててください」
「わかった」
ナハトも死に物狂いで拘束を解こうとするラドローレを押さえるのに、必死に魔力を流し続けた。暴れる足にまで蔦を伸ばし、全身を拘束する。
回復薬の効果は時間が経つほど緩やかになるが、そのせいで効果が切れる前に完全に魔力の状態が逆転してしまった。ここでまた飲むのは危険だが、躊躇う時間すら惜しい。
(「飲むしかない」)
ナハトは最後の一本の回復薬に手を伸ばそうとして―――離せなかった。今一瞬でも手を離したら拘束が解ける。ナハトは後ろに控えているシトレンらに叫んだ。
「回復薬を…!」
「…っ!」
「早く!」
更に声を上げるとフィスカが駆け寄ってきて、回復薬を口に当ててくれた。それを流し込み、叫ぶ。
「走れ!」
誰と言われなくてもヴァロにはわかった。ナハトの声に走り出し、リューディガーの背後に回り込む。そのまま踏み込み大きく振りかぶると、リューディガーが最後に大きく剣を突き刺した。それが抜けた瞬間、剣の先にきらりと光る赤い石が一瞬見えた。
「はあああっ!」
その石めがけて、ヴァロは拳を振りぬいた。一瞬硬いものに当たる感触がして、それは弾け―――死に際の断末魔を上げることもなく、魔獣ラドローレはざらりと砂になった。
コルビアスはヴァロに背負われたまま、初めて見る魔獣に怯えつつも興奮しています。
彼にとってこれほど間近で戦いを見るのは初めてでした。さらに、誰かに背負われるという経験も初めてで、それが嬉しく、とても安心するものだと感じています。
リューディガーの本気も初めて見たので、あんなに強かったのかと驚きました。




