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ここで私は生きて行く  作者: 白野
第三章
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第36話 護衛任務(中)

 案内されたホールはそれはそれは豪華絢爛でとてつもない広さのホールだった。どこもかしこも美しい装飾で飾られ、綺麗に着飾った貴族たちが上座から下りてくる王族を静かに見上げている。ノジェスは雪に覆われた場所であるのに窓は開け放たれており、それにもかかわらず室内はとても暖かい。魔道具か何かのせいだと思うが、舞踏会の為にそんなことまでしているのかとナハトもヴァロも驚きを隠せなかった。仮面をつけていて本当に良かったと思う。いくつもの灯り用の魔石を連ねた飾りが天井から会場を照らし、ホール全体が星が降っているかのようにキラキラと輝いて見えた。

 王族の席は上座に並べられており、リステアードが一番奥、そちらを向いて右手前がニフィリム、左手前がコルビアスと言う配置だ。コルビアスの更に手前は楽団が配置されており、リステアードの奥にある席は王が不在の為、空席のままである。

 王族全員が席に着くと、フィスカが受け取った飲み物の毒を確認してコルビアスに渡し、リステアードの宣言の元舞踏会は開催された。


「ふぅ。この後は貴族たちから挨拶があるけど、あちらから来るまでは楽にしていていいよ」

「は、はい」


 コルビアスはそう言って、後ろに立つヴァロに笑いかけた。現在の配置はナハトがコルビアスの右手前、リューディガーが左手前に立ち、ヴァロがコルビアスの後ろだ。背の高いリューディガーの影に隠れるように、コルビアスはヴァロと談笑している。シトレンの厳しい顔が見えるが、他貴族からの挨拶がない今は数少ないコルビアスの自由時間なのだろう。黙って黙認している。

 ナハトは視線を感じて左を向いた。すると、高い位置からこちらを見下ろすリューディガーと目が合った。まだ貴族の挨拶はきそうにない。先ほども見られたこともあって、ナハトは出来るだけ口を動かさないよう小声で問いかけた。


「…なにか?」

「……」


 視線は寄こすのに返事はしない。それに小さく息を吐きながら、ナハトは再度問いかけた。


「何か言いたいことがあるようですが?」

「……お前が言いたいことがあるんじゃないのか?」


 初めて聞いたリューディガーの声は、低く淡々としていた。優等種ではないナハトではこの喧噪の中では少々聞き取りにくいが―――聞き取った言葉の前後の文脈から、コルビアスがニフィリムに跪いた際の事を言っているのだと思い至った。ナハトたちには守れと言っておきながらコルビアスが跪くことを良しとしたリューディガーらに腹を立てて睨みつけたからだ。

 だがその事についてはもう飲み込み済みだ。ナハトらは今回に限って護衛についている。普段であれば、リューディガーのみであれらに対応しなければならないのだ。ナハトらの憤りはあるが、それはナハトらが初めてあの現状を見たからであって、騒ぐのは事態をややこしくするだけだ。リューディガー一人で対処できなくなることの方が問題である。


「…なにもありません。一時の感情に任せて睨みつけた事を仰っているのでしたら、お許しください」


 ナハトの呟きに、少しだけリューディガーの目が開かれた。何かを言おうとしたのか、口の端が動いたが―――その時、こちらへ向かってくる貴族の姿が見えた。コルビアスへ挨拶に来たようだ。

 シトレンが背後でそれを知らせる。コルビアスが居住まいを正すと、初老の男性と夫人、それとコルビアスと同じ年頃の少女がやってきて、コルビアスの前で跪いた。


「お初にお目にかかります。コルビアス・ノネア・ビスティア様。わたくしはヘンリー・グレーシャスと申します。ご挨拶させていただくことをお許しください」


「グレーシャス…!?子爵ごときが…」とナハトの背後でごく小さな声が上がった。視線だけ向けるとシトレンが慌てて口を押えている。


(「…なるほど」)


 記憶では、貴族のくらいは男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵だったはず。年頃の娘を連れて来るのだから、コルビアスの婚約者候補として連れて来ているに違いない。

 事前の話では、確かにコルビアスは婚約者がいないと言っていた。第一王子は婚約済みで、第二王子も婚約者がいるが、コルビアスにはまだいない。虐げられていても王族である以上声がかかるとは聞いていたが―――子爵とはあまりに釣り合わなさすぎる。

 リューディガーのさらに奥へ視線を向けると、ニフィリムが笑みを深くしてこちらを見ていた。おそらく、彼の差し金だろう。

 コルビアスは一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐに笑顔で応えた。


「許します」

「ありがとうございます。改めまして、わたくしめはヘンリー・グレーシャスと申します。こちらは妻のロベニア、娘のリシュリーです。さぁ、リシュリー、ご挨拶を」

「はい、お父様」


 そう言って立ち上がり、一歩前へ出たリシュリー令嬢は、母親によく似たクリーム色の髪を二つに縛った可愛らしい外見をしていた。耳も尻尾も髪色に似て柔らかく丸まり、ふんわりとしたスカートの裾を少し持ち上げて、背筋を伸ばしたまま視線を下げる。

 それはナハトがナナリアから薬を受け取った時に見たそれで、やはり貴族の礼だったかと思うと同時に、それをナハトたちに対してやったナナリアと侯爵は貴族としてはあまりに気安い人物だったと思った。


「初めまして、コルビアス・ノネア・ビスティア様。わたくしはリシュリー・グレーシャスと申します。この度コルビアス様にご挨拶が出来た事、わたくし大変嬉しく思います」

「そのように緊張なさらないでください」

「コルビアス様。娘はコルビアス様にぜひお会いしたいと熱望しておりました。どうか、一時の夢をいただけませんでしょうか?」


 突然の申し出に、ナハトの背後でシトレンが気色ばんだのが分かった。娘からの申し出ではなく父親からの申し出とはマナー違反だ。断りにくいと分かっていてわざわざ子爵はそう口にしている。

 コルビアスは軽く目を伏せると、自分の右前にいるナハトへ視線を向けて来た。それを受けて頷く。


(「…さて、これも仕事だ」)


 あまり気は進まないが、やると決めたならやらねばならない。ナハトは仮面越しでもわかる程柔らかく微笑むと、令嬢の前に恭しく片膝をついた。リシュリーの右手をとって、問いかける。


「ではお嬢様、まずはわたくしめと踊ってくださいませんか?」

「は…はい」


 そのままリシュリーを伴って、ホールの中心へと移動した。

 突然現れた仮面の護衛騎士に、ダンスホール内が少々ざわつく。だが、ダンスが始まってしまえば、それはすぐに消えて行った。代わりに漏れるのはあれは誰だという呟きだ。それらをすべて無視して踊りながら、ナハトは始終リシュリーを小声で褒め続けた。ドレスがお似合いですね、ダンスがお上手です、可愛らしい、羽が生えたように軽いなど―――。

 顔を真っ赤にして照れるリシュリーは可愛らしいが、正直心が痛い。心にもないわけではないが、あえて勘違いさせるような言葉を言い続ける事には訳がある。そうするよう、事前に言われていたからだ。

 ダンスの練習中、繰り返しシトレンに言われたのは「令嬢をナハトに惚れさせろ」という事だった。もちろん何故そんな事をしなければならないと声を上げたが、聞けばある意味納得の理由があった。

 コルビアスにはまだ婚約者がいない。とはいえ、彼が聡明であることは平民が読む風聞に載るくらいなので、多くの貴族は皆知っている事だ。だが、彼は外見の問題から王に虐げられている。支援してくれる貴族はいるが表立っては出来ず、だからと言ってもう王族ではないと切り捨てるには急すぎると言われている。今回のように自分の派閥の人間とくっつけようと、ニフィリムやリステアードの息のかかった貴族が娘を連れてくることも数えきれず、そしてそれは舞踏会を重ねるごとに酷くなっているそうだ。

 コルビアスが公に出席した舞踏会は今回で3回目だが、前回もそれは酷いものだったらしい。原則として2回以上は婚約者としか踊らないのだが、それでも今回のグレーシャス子爵のように踊るよう強要してくる者も少なくはなかったそうだ。

 そこで、ナハトの登場である。どうやら、ナハトもヴァロも仮面をつけると怪しさが増してなかなかの美丈夫に見えるらしい。更に今回は対象が子供の令嬢。なので小柄なナハトはある意味親しみやすく見え、甘い言葉に対して照れもないし所作に関しては合格点をもらっている。だからナハトへ令嬢の目を向けさせ、混乱させることで、コルビアスへの視線を逸らせよう―――という事だ。


(「今回だけという約束で護衛についているからいいが、そうでなければ大変面倒な事になるところだ」)


 ダンスを終えたリシュリーにもう一度微笑みかけ、手を取ってコルビアスの元へ戻る。そうして恭しく彼女の手を離すと、うっとりとした表情で見つめ返された。本当に心が痛い。


「コルビアス様、いかがでしょうか?」


 コルビアスからのダンスを求めてグレーシャス子爵が問いかけて来る。これもマナー違反だ。

 だがグレーシャス子爵はシトレンらの睨みも気にせずぐいぐい前にくる。それにコルビアスはにこりと笑って口を開いた。


「リシュリー嬢はどうやらお疲れの様子。あちらに休憩できる場所があるので、一度そちらへ行かれてはいかがでしょうか?」

「な…!り、リシュリー、まだ疲れてなどいないだろう?」


 問われたリシュリーはぼうっとナハトを見上げてくる。それにナハトが微笑み返すと、彼女は真っ赤になった頬を覆って夫人の後ろへ隠れてしまった。


「お、お父様申し訳ありません。わたくし疲れてしまいました」

「な…!?」


 そこからはもうシトレンの独壇場だ。娘を説得しようとグレーシャス子爵が騒いでいる間に給仕係を呼び、休憩できる場所へ案内するよう申し付け、示し合わせたようにやってきたレウィナー伯爵夫妻に場所を譲るよう伝え、あっという間にグレーシャス一家をホールの端へ追い出してしまった。

 レウィナー伯爵夫妻の挨拶が終わると、今度は伯爵令嬢、そしてまた位の低い男爵令嬢に子爵令嬢と、ナハトは次々にダンスを踊っていった。上は12歳から下は7歳までの少女たちを次々と赤面させる様は相当な女たらし―――いや、幼女たらしに見えるだろう。


(「不名誉だ…」)


 挨拶も落ち着き、コルビアスに少し休憩するよう言われて壇上の影へ移動した。フィスカに貰った水を口にして、小さく息をつく。さすがに疲れた。これをシトレンがやっていたのかと思うと、爺とて侮れないと思う。

 マントの下からドラコが這い出し、労うように軽く頭を擦りつけてまた戻っていった。それに少しだけ元気をもらい、ナハトはまたコルビアスの元へ戻ろうと振り返った。するとそちらの方が、少し騒がしい。また貴族があいさつに来たと判断して、少々急ぎ足で配置場所へ戻り―――後悔した。


「お初にお目にかかります。コルビアス・ノネア・ビスティア様。わたくしはニグル・クローベルグと申します。ご挨拶させていただくことをお許しください」

「許します」


 コルビアスは驚いたように目を見開き、そう言葉を返した。

 彼の反応の理由は分からないが、ナハトとヴァロは明確に視線を合わせて冷や汗をかいた。ナナリアの父、ニグル・クローベルグは貴族で侯爵だという事は理解していたが、まさか挨拶に来るとは思っていなかった。シトレンの事前の話でも挨拶に来るのは関係を持ちたい貴族が大半であると言われていたし、その候補として挙げられていた貴族の中にクローベルグ侯爵家は入ってなかったのだ。

 

(「考えてみればナナリア嬢の年頃は7歳前後…。まったく関係が無いわけではなかったという事だな…」)


 そう気づくがもう遅い。来てしまったのだから気づかれないよう努力しなければ。ナハトは一切視線を揺らさず、今まで以上に護衛らしく侯爵とコルビアスのやり取りを見守った。


「ありがとうございます。改めまして、わたくしめはニグル・クローベルグと申します。こちらは妻のユリアンナ、娘のナナリアでございます」

「あなたがあの有名なクローベルグ侯爵でしたか。ご挨拶いただけるとは思っていなかったので、少々驚いてしまいました」


 はにかんだようにコルビアスが応える。続いて夫人の挨拶、ナナリアの挨拶を聞きながら、ナハトとヴァロは無駄に視線を侯爵らに向けないよう気を付けて辺りを警戒した。仮面もしているし、服装も全然違う。立ち姿も訓練したのだから、狼狽えなければ気付かれることは無いはずだ。

 だが、すぐにそれが意味のない事だと感じることが起きた。物凄いはっきりした視線を下から感じる。一度も視線を下げてはいないが、わざわざ見ずともわかる。この視線の主はナナリアだ。

 そして困ったことに、それにコルビアスが気付いてしまった。


「私の護衛に、何かありましたか?」


 問われて、ナナリアはびくりと肩を揺らす。


「い、いえ……。あの、コルビアス様。どうかこの方とお話させていただけませんでしょうか?」

「ナナリア…!」

「かまわない」


 焦って声を上げるクローベルグ侯爵夫妻に、コルビアスは笑顔で快諾した。ここでならと条件付きで言われ、そう言われては対応しないわけにもいかず、ナハトはナナリアの前に膝をついた。


「…あなた、ナハトよね?」

「わたくしはお嬢様とお言葉を交わせるような身分の者ではありません」

「ナハトでしょ?」

「……」


 どう答えたものか―――そう思っていると、ナナリアがこちらへ手を伸ばして来た。仮面を取ろうとしていると気づいて慌てて後ろへ体を引き、仕方なく頷いた。


「よく、お分かりになりましたね」

「わかるわ。だってナハトはもともと所作も言葉使いも平民らしくなかったもの」

「そうでしたか」


 バレてしまったならばしょうがない。ナハトは一度断りを入れて立ち上がると、コルビアスの前に膝をついて口を開いた。


「コルビアス様。少々アロをお借りして、侯爵様とお話しする許可をいただけないでしょうか?」

「ここで話せることですか?」

「はい」

「それなら許します」

「恐れ入ります」


 許しをもらってヴァロを呼ぶ。躊躇いがちにやってきたヴァロを伴って、ナハトとヴァロは侯爵の前で右足を軽く引き、右手を腹部の前で水平に、左手は相手に向けて軽く礼をした。男性貴族の挨拶だと教わったが、正直なところナハトもまだまだだしヴァロは及第点には程遠い。それでも覚えたそれを行い顔を上げると、クローベルグ侯爵も気づいたようだ。

 驚いた顔をして口に手を当てる


「君たちは…!」

「驚かしてしまい申し訳ありません。ですがどうか声を潜めていただけますと幸いです。少々事情があってこのような事になっておりますので…」

「あ、ああ…。こんなところで会うとは思わなかったな」

「お騒がせして申し訳ありません」


 そう謝罪を口にすると、侯爵はすぐ気にしなくていいと言ってくれた。そのまま夫人を紹介していただき、ナハトたちも声を顰めながら名乗る。

 その際に名乗ったのはもちろん偽名だ。侯爵は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに事情を察して頷いてくれた。有難い。


「まぁ、あなた方がナナリアを…。それは、ありがとうございました」

「いいえ、お気になさらないでください。それに、私たちの方こそお礼を申し上げさせていただきたく存じます」


 何のことかと首を傾げる侯爵に、ナハトはナナリアから貰った薬でヴァロが助かったこと。裁定の場であらぬ嫌疑をかけられた際に確認が行ったと思うが、その返答で助かったことについて丁寧に礼を口にした。


「そう畏まられるほどの事はしていない。知っているかと問い合わせがあったので、知っていると答えただけだ。だが、それで君たちが助かったのだったらよかった」

「ありがとうございます」

「ナ…あ、レオ、わたくしの薬役に立ったのね!嬉しかった?」


 見上げられて、ナハトはまた膝をついてナナリアにも礼を口にした。ヴァロも膝をついてナナリアに礼を述べると、彼女は嬉しそうに笑う。


「あなたが怪我したらレオが悲しむもの。治ってよかったわ。また回復薬贈るわね」

「勿体ないお言葉、ありがとうございます」




 その後はナナリアにねだられて、仕方なくナハトはナナリアともダンスを踊った。

 精神的には疲れ切っていたが、外からはそう見せないようにコルビアスの元まで戻る。すると、コルビアスが手招きをしてきた。屈むよう促されて膝立ちになると、彼は小さな声で問いかけて来た。


「ねぇ、クローベルグ侯爵のご息女とどういう関係なの?」

「…どうもこうも、迷子になった彼女を助けた事があるだけです。…既にご存じではないのですか?」


 ナハトの応えに、コルビアスはにっこり笑う。

 ディネロは裁定の場にいたのだ。ナナリアの薬を使うところも見ていたし、その後の流れも知っている。ならばこのような質問をせずともコルビアスは知っていたはずだ。

 どういうつもりで質問して来たのかと視線を向けると、彼は視線をナハトの後ろへ向けた。つられて振り向くと、こちらを見る貴族たちと目が合う。


「実はクローベルグ侯爵って有名人なんだ。そのご息女であるナナリア嬢もね…」

「……なるほど」


 ナナリアと親しげに話したことで、どうやらいらぬ視線を買ったらしい。それがコルビアスにとって吉と出ているのか凶と出ているのかはわからないが、クローベルグ侯爵とつながりが出来た事は、彼の中では満足のいくものだったようだ。

 一瞬だけ見えた子供らしい笑顔に心の中で舌打ちをしながら、ナハトはまた守りに立った。













偽名のくだりですが、本当は35話で入れるつもりだったのがうっかり抜けてしまいました。

今さらですが35話に修正を入れましたので、35話を読み直していただけますとつながりが良くなると思います。

それと護衛騎士は全員呼び捨てです。


今回の舞踏会は7歳からの参加である為、1曲はそれほど長くありません。とはいえ、立って踊ってを繰り返したナハトはヘロヘロです。

ヴァロは踊れないのでコルビアスの後ろで彼が暇な時に雑談をしています。冒険者として倒し魔獣の話がコルビアスは好きなようです。

シトレンはそれが気に入らなくてぎりぃとしています。

リューディガーは一人微動だにせずに護衛を続けています。

フィスカは飲み物をコルビアスに用意してそれ以外は側に控えています。

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