第30話 名前
その後は約束通り、精霊はナハトの質問に答えてくれた。契約についての事もより深く聞くことが出来、更に今回呼び出された騒動の原因―――精霊界の魔力が荒れた理由についても分かった。
その昔、精霊は自分と相性の良い人間の胎児に己の魔力を印として刻み込み、印を通じて魔力を人間界へ送っていたらしい。それは世界樹より効率的である為、当時は力のある精霊に課せられた義務のようなものであったそうだ。精霊とつながった人間は魔力にさらされるため、体内に魔力を得るようになる。そうして、魔術師は生まれていた―――という事だそうだ。つまりはナハトと精霊は魔力によって繋がり、お互いの魔力に対して否応なしに影響を受けるという事だ。
言われてみればその通りである。ナハトから流れ込んだ魔力が精霊を通じて流れたのだから、精霊に対して魔力を使えば精霊から魔力が逆流する。更に言うなら今のナハトは魔道具で全身に幕を張っているような状態であるわけで、そんな状態で精霊に魔力を流せばナハトから逆流した魔力が飛び出し、飛び出した魔力は精霊界の魔力とぶつかってはじき飛ぶ。あれだけ逆流だ何だと話していたが、精霊への魔力が自分に帰ってくることにはまったく考えが至らなかった。我ながら恐ろしい事をしたとナハトは思う。魔道具が壊れなくて本当に良かった。
契約についてが分かると、今度は別の疑問がわいてくる。それはナハトが行った”契約の儀”についてだ。契約の儀は魔法陣に魔力を流し、祝詞を唱えることによって精霊と契約するというものであった。そうナハトは説明したが、当の精霊たちには「なんだそれは」と言われてしまう。少なくとも精霊は関与していない事らしい。精霊が関与していないのであれば、ルイーゼの言っていた通り、契約の儀の前にも魔術は使えたのだろう。そうとは知らないため使えなかっただけだ。契約の儀には疑問が残ったが、その疑問を解決する事は恐らくできないため飲み込むしかない。
他にも契約でわかったことがある。契約は精霊の魔力を印として刻み込んだものだというのだ。だからつまり、ナハトの魔力はその精霊の魔力でもあるはずなのだ。違うものと意識していたから自分の魔力の中に精霊を感じることが出来なかったが、己の魔力の一部としてなら感じることが出来るのかもしれない。
だがそうするとまたもや疑問が残る。何故アッシュと似た魔力の気配を、契約した精霊からも感じるのかという事だ。自分の魔力の気配として最初から感じられればもっと早く分かったかもしれないのに、今気配を辿ってみても自分の魔力を感じることは出来ない。これも精霊たちに聞いてみてもよくわからない事だった。
ナハトと契約した精霊についても話を聞くことが出来た。ナハトと契約した精霊は、かなり力を持った精霊であったらしい。精霊にとって見た目や風貌は意識の範囲外らしく、外見的特徴などは聞くことが出来なかった。しかし、それを話す金色の目の精霊はどこか懐かしそうにも見え、同胞という概念しかない彼らにとって、その精霊は大切な人物であったのではないかと思い至った。
「そういえば、あなた方には名前はないのですか?」
あらかた話が終わり、移動の手段についても話が成された後、ふとナハトはそう問いかけた。今まで名乗られなかったしこちらから聞きもしなかったが、もし今回のように話をする際は名前がないと呼びにくい。精霊と言えば、皆が一様にこちらを向いてしまうからだ。
だが、精霊からの答えは簡潔だった。
「ない」
「ないって…」
「呼びたい時はどうしているのでしょうか?」
「呼べば来る」
それは確かに呼べば来るのだろうが―――。そう考えて、そう言えば鳥の姿を借りた精霊はわざわざ生き物の体を借りてしゃべっているという事を思い出した。
「ひょっとして…私たちに合わせて、口で話してくださってますか?」
「そうだ。おまえに直接語り掛けることは出来るが、同胞でなければ酷く消耗する」
「…なるほど」
直接本人に頭に語り掛けられるのであれば確かに名前など必要ないのだろう。とはいえ、ナハトたちはそうはいかない。いちいち金色の目の精霊、鳥の姿を借りた精霊と―――今はそう呼んでいるが、正直長すぎて呼びづらい。
「名前つければいいんじゃないかな?」
「また君はそう簡単な事のように…」
ヴァロがぽろっと言ったそれは、ナハトたちにとっては都合がいいが精霊たちにしてみればそんなことは無い。彼らに必要がないものを、下等と罵る人間が呼ぶためにつけるなどいい顔をするわけはない。
そう思っていたのに、考え込んだ金色の目の精霊は呟くように口を開いた。
「…いいだろう」
「……え」
「いいってさ」
本当にいいのかと見返すが、精霊たちからは感情が読み取れない。鳥の姿を借りた精霊も文句はないのかナハトを見返してくる。
(「これは私が名前を付ける流れなのか…?」)
居心地悪さから逃げるようにドラコを撫でれば、指に尻尾が絡みついて来て慰めてくれる。 精霊たちからどこか期待されるような目で見られて、ナハトは仕方なく名前を考えて口にした。
「では…あなたはビルケ、そちらはヴィントでいかがでしょう?」
鳥の体を借りた精霊がヴィントで、金色の目の精霊がビルケだ。ヴィントは風を意味し、ビルケは白樺を意味する。そう説明すると、彼らは特に反論もなく頷いた。気に入ったのかどうかはわからないが今後はそう呼ぶことにしよう。
「ではヴィント、ビルケ。これからよろしくお願いします」
そう言って手を差し出すと、戸惑いがちに手が伸びて来た。それを握って微笑めば、少しだけ精霊たちの雰囲気が柔らかくなった。
話が終わった後は睡眠をとり、早速得た移動手段で遠距離にある精霊の元へ行ってみることにした。
ビルケは姿を消し、いつも通りヴィントが一緒について来ている。移動したい旨を告げると、ヴィントが大きく鳥の声で鳴く。すると呼応するかのようにするすると地面から1本の蔦が伸びて直径2メートルほどの円を作った。その蔦の内側は、ダンジョンに入る時と同じように虹色に輝いて揺らめいている。
「行先はどのように決められるのでしょうか?」
「一度行った場所であれば、思い浮かべた場所へ行くことが出来る」
「では今回は…」
「我が決めよう。方向と距離を言え」
目を閉じて精霊の気配を探す。前日同様かなり離れているようでなんとなくでしか感じないが―――おそらく。
ナハトは目を開けて指を差した。
「あちらの方向、距離は…正直なところ自信がありませんが、前回よりもはるかに通るから感じるので、いっそのことこの方向の先にあるダン…世界樹の出入り口付近まで行ってみた方が良いかもしれません」
「いいだろう…」
ヴィントはそう呟くと、一度くるりと蔦の円が回転して止まった。それでもういいらしい。「行け」と言われ、頷く。
念のためヴァロと手をつなぎ、ドラコは襟の中に入れて円を潜った。次の瞬間―――踏み出した足は空を切った。足元に地面がなかったのだ。
「なっ…!」
「わああっ!?」
下には広大な海。まさか空中に放り出されると思っていなかったため一瞬でパニックになる。
だが、すぐに後を追って来たアッシュに背負われ、ヴァロは腰のあたりを咥えられて事なきを得た。ほっと息を吐いたのもつかの間、込み上げて来た吐き気に思わず口を押える。
「あ、アッシュ…。すぐに地面があるところへ下ろしてくれ…」
「ンー!」
アッシュはすぐさま近場の地面におろしてくれたが、ナハトもヴァロも、四つん這いなったまま動けなかった。ぐるぐると目が回り、どんな体勢をとっても吐き気がこみあげてくる。ドラコに至っては目を回して気を失ってしまっている。息はしているし無事なようではあるが可哀想なことをした。こんな風になるとは思ってもみなかったのだ。
「…何をしている?」
後を追ってきたヴィントがそう聞いてくる。だが、ナハトもヴァロも気持ちが悪すぎて動けない。口を開いたら酷い事になってしまいそうなのだ。だからと言って黙っていることも問題が起こりそうで出来ない。
仕方なくナハトは途切れ途切れに言葉を絞り出した。
「酔った…よう、です…」
「よう…?それはどういう状態だ?」
「見て…わからない?こういう、状態…」
仰向けに寝転がって肩で息をしながらヴァロが答えた。精霊は首を傾げたが、どうやら動けないという事は伝わったようだ。ナハトもヴァロに倣って横になる。確かに横になった方が幾らか楽だ。頭の横にドラコも横たえて空を見る。
「すみませんが…少しだけ、休ませてください…。収まったら、また…再開します、から…」
精霊は何も言わなかったがそれを了承と受け取って、ナハトは目を閉じた。
結局そのまま一眠りしてしまった。ダンジョン内で見張りも立てず2人で横になるなどあってはならない事である。ずっと寄り添って見張ってくれていたアッシュには礼しかない。
「…なんとか動けそう…だね」
起き上がり時計を見ると、6時間近く土の上で眠ってしまった事になる。まだ眠ったままのドラコを抱きかかえアッシュの背を借りて立ち上がれば、ヴァロものっそりと立ち上がった。
「ヴァロくんの具合はどうだい?」
「なんとか…大丈夫かな。それにしても何でこんなに気持ち悪いんだろうね」
「それは…おそらく酔ったのだろうとしか言いようがないな」
虹色の円を潜る瞬間、一瞬だが物凄い魔力を感じた。原理が分からないため何とも言えないが、信じられないような距離を一瞬で移動したのだ。考えてみればある程度の負荷がかかってもしょうがないのかもしれない。その体のほとんどが魔力である精霊と違って、ナハトらにはしっかりとした実体があるのだ。
「動けるか?」
バサバサと音を立ててヴィントが降りて来た。小言を言われるかとも思ったが、それがない事からしてもよほどナハト等の顔色は悪いのだろう。
だが動けるならばと促した精霊に頷いて、ナハトは目を閉じた。集中するとすぐにわかる。気配はここからそう遠くないところへあった。
「あちらだ。行ってみよう」
「わかった」
騎獣を出したヴァロにドラコを預け、ナハトもアッシュへ跨った。浮き上がった瞬間少々眩暈を感じたが何とか堪え、気配の元へ急ぐ。
また少しの距離を取って止まり、手を前にかざして魔力を探った。やはりナハト自身の魔力に似たものは感じず、アッシュに似た気配が強い。そしてそれは吹き飛ばされた影響か、前回よりも広範囲に広がっているようだった。
「勢いで来てしまったが、さてどうするか…」
「前は魔力で集めようとしたんだよね?」
「ああ。その結果弾かれたわけだから、ここで魔力を使う事はあまり得策ではない」
契約について話を聞き、その結果試してみようと思っていたことはことごとく危険と判断せざる負えなくなった。だから新しく何か方法を考えなくてはならないが―――。
「ヴィント、ここら一帯の大気を巻き込むように風を起こしたりできますか?」
「なんだと…?」
困惑したような声を上げる彼にナハトは説明した。大気に魔力は混ざっていて、それは弾かれれば飛び、移動もする。ならば風である程度集めることも出来るはずだ。そこへナハトが自分の内側から魔力を辿り、あちらの魔力へ干渉できないかと―――。
「いいだろう」
ヴィントはそう呟き、アッシュの頭の上に降りて羽をばたつかせた。あっという間に旋風が起きて細い竜巻のようなものが上空へ立ち上った。先ほどよりもずっと強く、魔力の気配がする。
「やれ」
ヴィントの声を合図に、ナハトは己の体の中へと意識を集中した。ナハトの魔力は精霊の魔力。何故アッシュの気配と似た魔力が感じるのかはわからないが、それならばナハトの内にも似たものは感じるはずだ。
轟轟と耳の奥に濁流のような音がする。そこに流れる魔力に集中していると、僅かに違和感を感じた。本能に従ってそれを追えば、指先に、爪にピリッとした感覚がして―――。
瞬間、カッと強い光を発してヴィントが起こしていた竜巻が掻き消えた。
「えっ…」
思わず出たヴァロの声が響く。風を起こしていたヴィント自身驚きに目を見開いていて、ナハトも訳が分からず呆然とした様子だ。
「あっ!まずい…!ナハト、一旦移動しよう!」
そう声をかけられてそちらを見れば、強い光が気になったのだろう。こちらへ駆けてくる一団が見えた。今ナハトたちははるか遠くのノジェスからここへきている。見つかるのはまずい。
頷いてすぐにその場を離れた。感じていた精霊の魔力は、もうそこには感じなくなってしまっていた。
ナハトたち人間が行っていた契約の儀は、元は自分の魔力の性質を正確に調べるためのものでした。
はるか昔から精霊は人間との契約を勝手に行っていましたが、人間側はそれを知りません。
魔力持ちには爪に色が付き、それによって判別できると分かるまでは、魔力持ちは自分の属性を知る術がなかったからです。
昔は儀式で確認する前に魔術を使う人もいましたが、慣れない操作で事故が多発した為、儀式を行わなければ魔術が使えないというように伝えられるようになりました。
それがいつしか契約の儀と名前を変えました。




