第29話 協力
夕食を終え、先にヴァロが火の番についた。その頃には手足の痺れもだいぶ取れて動くのにはほとんど問題無くなっていたが、ヴァロは頑なに先の火の番を譲らなかった。とにかく休むようにとしか言わない彼に、礼を言ってテントに入って横になる。
念のためテントの入り口は開けたままだ。入り口にはアッシュがいるが、彼は睡眠が必要ないため横になって周囲を警戒している。
ドラコにおやすみのキスをしてナハトも目を閉じた。だが、考えるのはどうやったら精霊を形にできるかということばかり。一度の失敗でへこたれた訳ではないが、また今回のようなことになるとあまりに効率が悪いし危険である。
(「せめて、精霊がもう少し協力的であれば…」)
こちらから疑問を投げかけても簡潔にしか答えてもらえず、下手したらその簡潔な答えももらえない。嫌な顔を向けられ、だが何とかしろとは言われるのだ。ナハト自身の行いの清算だとは分かっているが、それでも辛くない訳ではない。
ふぅと息を吐きながら寝返りをうつ。ドラコの寝息に耳を傾けて、少しでも休もうと頭を空っぽにしようと努めた。
だがその時、突然頭にあの声が聞こえてきた。
「…っ!」
ばさりと掛け布団がわりにしていた布を跳ね飛ばして起き上がる。何かの間違いかと思うが、はっきりと頭に響く声が言う。
『来い』
アッシュがこちらを振り向いた。また、彼にも聞こえているらしい。
「ギュー…?」
「ナハト?」
急に起きたナハトを不審に思い、ドラコも起きてヴァロもやってきた。深く息を吐き出して口を開く。
「…お呼びがかかった」
「え?」
「…あの、精霊だよ」
頭をとんとんと指で叩けば、それで伝わったようだ。ヴァロが眉を顰めて視線を合わせてくる。
「なんて言ってるの?」
「…来いと…。ただ、それだけ…」
「来いって…」
なんとなくの感覚だが、呼んでいる先は以前行った木が塊のようになっていたあの場所だろう。そしておそらくこの声はナハトが行くまで続く。
行かなければならないが、あの底冷えのする視線を思い出すと心の底から恐ろしい思いがした。あの時は話を聞きたいという思いが強かったから他はあまり気にならなかった。だけど冷静になった今は、あの眼が恐ろしい。それに―――。
ちらりとこちらを伺うヴァロを見る。行ってあちらが攻撃を仕掛けてきたら、またヴァロがどうにかしようと暴れるだろう。ドラコにもアッシュにも危険が及ぶ。一緒にいるということを受け入れても、それを考えると怖くて仕方がなかった。
「…ナハト」
ヴァロがナハトの肩に手を置いた。ドラコも肩まで上がってきて、頬に頭を当ててくる。
「俺たちはいつも一緒だよ。心配なら、ナハトが俺たちを守って。俺たちはナハトを守るから」
「ギュー!」
「ああ…そうだったね」
どんとヴァロの背に足を乗せて、アッシュも顔を出してきた。鳴いてべろりと顔を舐められる。
「…危ないかもしれないが、一緒に来てくれるかい?」
「もちろんだよ!」
「ギュー!」
「ニャァ!」
元気よく返事が返ってきて、ナハトは微笑んで「ありがとう」と呟いた。
すぐにテントを片付けて荷物をまとめた。その間にも声は来いと言い続け、ナハトもアッシュも少々げんなりしながら呼ばれた場所へ向かう。
幸い件の場所はそれほど遠くなく、騎獣を飛ばせば2時間ほどで着くはずだ。少しの緊張感を保ったまま飛び続け、人間界の時間でいう深夜に目的の場所へ辿り着いた。
最初に入った時同様、木の塊のような場所の下部にある入り口をくぐって中に入る。ヴァロを先頭にナハト、その後ろにアッシュだ。中にはあの長い髪に金の目の精霊がいた。その傍らには鳥の体を借りた精霊の姿もある。彼らは一様に厳しい顔をしていて、その表情に体が緊張する。
「…お待たせしました。私に何の御用でしょうか?」
そう問いかけると、精霊は一言口にした。
「遅い」
「…すみません。これでも急いで来たのですが…」
「全てが遅い。お前に命じてから、どれだけの時が経ったと思っている。余計な事ばかりしおって…おまえの行いで再び聖霊界が荒れた…!」
言われている意味が分からず、思わず眉を顰めた。再び精霊界が荒れたとはどういう事だろうか。
「…どういう意味でしょうか?」
そのまま問いかけると、精霊はかっと目を見開いて手を振った。瞬間、薙ぎ払うように蔦が伸びて来る。物凄い速度で伸びたそれをヴァロが真っ向から受け止めてへし折り、ナハトを背に口を開く。
「いきなり何するんだ!」
「黙れ!関係がないものはここにはいらぬ!」
叫んで、金色の目の精霊がまた手を上げた。それに、悪寒のようなものが背筋に走る。精霊にとってナハトは必要な人間だが、ヴァロは違う。ざわりと立った鳥肌のまま、ナハトは咄嗟にヴァロの背に抱き着いた。
途端、精霊の手がぴたりと止まる。
「彼に何かしたら、許さない…」
「罪人が何を…!」
「私はあなた方に呼ばれて来た!呼んだ以上、何らかの話があるのでしょう?ならばあなた方も答える努力はしていただきたい!」
「……」
ナハトの言葉に、金色の目の精霊の背後がゆらりと歪む。そしてまた蔦が伸びて攻撃を仕掛けてきたが、それもまたヴァロが腕を振って叩き折った。お互いの間に緊張感が走る。
だがすぐに、一陣の風と共に金色の目の精霊の姿が掻き消えた。残ったのは鳥の姿を借りた精霊だけ―――。
その精霊も顔を歪め、大きく息を吐いて口を開いた。
「誰も彼も勝手よの。おまえたちは物を知らず、アレは気が短い」
「それは…むぐっ」
すぐに反発しようとしたヴァロの口をドラコが抑えた。気が短いのは鳥の姿を借りた精霊も一緒であるし、ナハトたちがものを知らないのはどうしようもない事だ。人間界と精霊界の違いを精霊たちは埋めようとしないのだから。どちらかだけが歩み寄っても限界はある。
ナハトはヴァロの背から離れると精霊に問いかけた。
「詳しく話していただけるのでしょうか?」
それには答えず、精霊は口を開いた。
「おまえのせいで、精霊界の魔力が荒れた」
「…質問を変えます。荒れたというのは、どういう状態なのでしょうか?どんな問題が出たのでしょうか?」
精霊は溜息をついて答えた。
「おまえの行いで精霊界の魔力が荒れた。大気中の魔力が震え、広がり、過去を知る者たちは大いに恐怖した」
それを聞いてナハトは、精霊の魔力を集められないかと試したことが原因ではないかと思った。あれを試した直後からこの精霊は姿を消していたし、ナハトに返ってきた反動も、しばらく体が使い物にならないほど大きなものだった。何よりここでやった事で、周囲に影響が出そうな行動などあれ以外に思いつかない。
「それは、私が精霊の魔力を集めようとした、あの行動の事ですか?」
「そうだ」
ならばそう言ってくれればすぐにそれと分かったかもしれないのに、本当に融通が利かない。小さく息を吐いてそう思うが、それを精霊に言ったとしてもまた反感を買うだけだ。ならば今後はあのような事を起こさないよう、こちらが気を付けるしかないのだが―――ナハトにも、あれがなぜ起きたのか皆目見当がつかない。
だがその時、ふと、一つの考えが頭をよぎった。荒唐無稽かもしれないが、どうしても”それ”が今回の事に関係している気がしてならない。
ナハトは再び精霊に向かって問いかけた。
「精霊と人間との契約について、詳しく教えてください」
「…何度も、面倒な…」
「面倒ならば、一度ですむよう説明してください。そうすれば何度も聞きませんし、今回のような事態も避けられたかもしれないのですよ?」
「我らのせいだというのか…!」
ごおっと強風が吹き荒れる。それを何とか堪えながら、ナハトは再び叫んだ。
「このような時間が無駄だといっているんです!少しは…!」
協力しろと、本当に言ってもいいのだろうか。喉がきゅっとしまって声が出なかった。ナハトが起こしてしまった事を、精霊が協力的ではないからといってそんな風に言ってもいいものだろうか。
そう思っていると、同じように風を堪えていたヴァロが拳を地面に叩きつけた。驚いたのか風が止まり、それを見計らってヴァロが顔を上げた。
「いい加減にしろよ!説明もない、協力もしないで、一方的にナハトにばかり負担を強いて…!文句ばかり言って恥ずかしくないのか!」
「我らを侮辱するというのか?卑しい外の下等生物風情が…!」
「俺たちを下等って言うなら、高等らしい余裕を見せたらどうなんだよ!」
「やめろヴァロくん!」
ナハトは今にもつかみかかりそうなヴァロを抑えようとそう口にしたが、ヴァロはっそんなナハトの背中に手を回して続ける。
「ナハトは必死にやってる。どうにかしようとしてる!その足を引っ張ってるのはあんたたちだ!違うなら、質問に答えるくらいしろよ!」
ヴァロの言葉に精霊は大きく鳥の声で鳴いた。羽をばたつかせ、ごうごうと風が舞い上がる。
風から身を守る為、ナハトはまた自分たちを覆う壁を作った。だが壁の外から、叩きつけるように強風が壁を薙いでいく。壁の強度を落とさないよう堪えていると、羽を振り乱しながら精霊が叫んだ。
「ああ、面倒だ!何故我らが人に言葉を尽くさなければならない…!我らはおまえたちと違う高等な存在だ。我らの世界の安寧の為人間界は存在し、人は存在していたのだ!世界樹も人との契約も、精霊界の魔力を整えるための物。だというのにおまえが魔力などに浸かるからこんな事になったのだ!」
「世界樹と同じ…?」
そう言われてナハトは愕然とした。世界樹とは精霊界の魔力を整える為、両方の世界をまたぐ巨木、外でダンジョンの入り口とされているあれの事だ。精霊界の魔力を人間界へ送り、そうして精霊界は大量の魔力が流れた時も崩壊を免れた。その世界樹と同じといわれ、ナハトは震える。
その顔に気をよくしたのか、精霊は声高に続けた。
「そうだ!おまえたち人間は、精霊界の魔力を送りだすためだけの物。胎児の頃より我らが触れ、それによりおまえたちは魔力を得たのだ!魔力という恩恵を与えてやったと言うのにおまえは…!」
「ならば…!」
精霊の声を遮ってナハトは声を上げた。
「ならば契約とは、精霊が胎児に触れた事を指すのですか?ならばどうやって破棄せよというのですか?それにそれで魔力を得たなら私は…」
「契約の破棄は精霊にしかできぬ。だから探せと言っただろう!だというのにおまえは…反省の色も見せず、己の魔力の心配だと…?恥知らずめが…!」
精霊がまた大きく鳴いて突風を起こした。風に煽られて蔦の壁が軋む。だが、その壁の軋みよりも大きく軋んだ音がしてナハトが顔を上げると、同時にヴァロが壁から飛び出した。止める間もなく風の中へ向かい、精霊に向かって吠えた。
「――――――!!!」
円球状の壁に反響して耳鳴りがする。咄嗟に耳を覆ったとはいえ驚くほどの声量だ。アッシュもドラコも目を回し、精霊に至ってはそれを真正面から食らって地面に落ちた。鳥の体は脳が揺れたのか制御を失い、ぴくぴくと痙攣している。
「お…まえ…!」
その精霊を前にして、ヴァロは空に向かって叫んだ。
「金色の目の精霊出て来い!いるんだろ!?」
ヴァロの声に、少しして精霊は姿を現した。顔を顰めて、ふわりと空中から下りて来る。
その精霊に真正面から相対してヴァロは睨みつけた。精霊たちの言い草に腹の底がぐらぐら煮え立つような腹立たしさを感じ、体が熱くなるほど強い怒りを拳に握りこんだ。
ヴァロのそんな様子とは正反対に、精霊は冷たい目で見下ろす。
「…我らに手を出したな。おまえは…」
「うるさい」
精霊の声を遮ってヴァロは呟いた。小さいが殺気がこもった重い声に、ナハトは驚いて見つめるしかできない。
「全部、おまえらの自業自得じゃないか」
「…なんだと?」
「ナハトは確かに魔力に触れたのかもしれない。だけど魔力が流れるようにしたのはおまえらで、ここと外を繋げたのも、結界を張ったのも!全部おまえらがやったことじゃないか!!」
「…っ!」
精霊が手を上げた。
瞬間、大量の蔦がヴァロを襲う。それらを避け、叩き折りながらヴァロは続ける。
「何がナハトの罪だ!これは全部おまえらの自業自得で、自分たちのやったことの責任をとってないのはおまえらだ!」
「黙れ!!!」
精霊も怒り、ヴァロは先ほどとは比べ物にならない量の植物の攻撃を受けた。スピードで翻弄するも長くはもたず巻き取られ、精霊の前に引きずり出される。
「ぐっ…」
「我らを侮辱した事許さぬ…!八つ裂きにしてくれる」
「やめろ…!」
反響してか、ナハトの声は思っていたよりも大きく響いた。怒りで顔を歪ませた精霊はナハトの声を無視し、手を振り上げる。その手に向かって、ナハトは魔術を使った。巻き付いた蔦はすぐに枯れてなくなるが、こちらへ意識を向けさせることが出来れば十分だ。
「彼に危害を加えるなら、今すぐ精霊界を壊す」
「おまえ…!」
「…言ってもわからないだろうが、この魔道具が今私の体に精霊界の魔力を取り込むのを防いでいる。これを止めればすぐに私の体は魔力を吸収し、この世界に逆流するだろう」
「おまえ…おまえぇえええ!」
「だから!」
激高する精霊に、ナハトは静かに声をかけた。誰が何をしたなど、今はいい。それよりも必要な事がある。そしてそれは、結局のところナハトがやらなければならないことなのだ。
「だから、頼むから、私に協力してくれないか?」
「…ナハト…」
「ヴァロくんも、私の為に怒ってくれてありがとう。だけど、今は協力の方が大切だ。どちらが悪いなどはどうでもいい。危険を取り除く事の方が先だろう?」
少しずつ、精霊に近づきながら言う。寄り添うように歩くアッシュに手を乗せ、ナハトは続けた。
「私自身が爆弾だという自覚はある。だから、契約を破棄する事は必ず成し遂げなければならないと思っている。だけど、あなた方が外の事を知らないように、私たちはここの事を知らない。移動にも行動にも制限がある。だから、どうか協力してくれないだろうか?」
「…何故、我が愚かな人などと協力せねばならないのだ…」
まだそんな事を言うのか。ナハトは小さく息を吐くと、再度口を開いた。
「その愚かな人である私が協力を拒んだら、困るのはあなた達ではないのですか?何度も私を殺せたのに殺さなかった。という事は殺せない理由がある。2度と私がここへ来ず、死んだ場合困るのはあなた方だけです」
「なんたる卑劣な…」
「卑劣とはおかしなことを言う。こちらが申し出た協力を罵ったうえで捨てたのはどちらですか?」
「……」
睨み合いが続き、先に折れたのは精霊の方だった。その瞬間を見計らって、もう一度問いかける。
「協力していただけませんか?」
ナハトの問いにたっぷり時間をかけて、精霊は答えた。
「……いいだろう」
するするとヴァロを拘束していた蔦も解け、やっとナハトは肩の力を抜いた。
地面に降りたヴァロを確認するが、拘束されただけのようで深い傷はない。どこか落ち込んだ様子のヴァロにナハトは薄く笑うと、地面の上でもがいていた鳥の姿を借りた精霊を抱き上げた。まだ落ち着かないのか目を覚ましてはいるが足元がおぼつかないようでされるままである。
「それで、我に何を求める?」
問われて、ナハトは精霊を振り返った。求めることはいくつかあるが、一番は移動手段の確保だ。今なら聞いてくれるだろうかと、ナハトはそれを口にした。
「私たちはここでの活動に時間の制約があります。その為遠方への移動が出来ないのですが、あなた方の力でそれを可能にすることは出来ますか?」
金色の目の精霊も鳥の姿を借りた精霊も、どちらも瞬時に人を移動したり本人が移動するのを見た。あれがナハトたちも使えるならば、それほど長距離ではなくとも少しでも距離を稼げるのであれば、契約した精霊の元へたどり着くという第一条件を簡単にクリアすることが出来る。
ナハトの問いに精霊は少し考える素振りを見せたが、小さく頷いて答えた。
「可能だ。他には?」
「出来る限りでいいので、質問には面倒くさがらず答えていただきたい」
「……わかった」
「それと…」
「まだあるのか?」
少々苛立った様子の精霊に、ナハトは最後だと言って口を開く。
「契約した精霊を元に戻す方法を、あなた方も考えてください」
「…なに?」
「外で私の仲間が魔道具を作り、私も何か出来ないかと…私に出来ることを考えています。ですからあなた方も、何か考えてください」
「やれ」「どうにかしろ」と、そんな命令ばかりだったのは、精霊自体が考えるという事をあまりしていなかったせいだろう。よくよく思い返せば、過去にやってきた行動も行き当たりばったりのようなことが多い。精霊と人間との関係が今後どうなるかはわからないが、彼らにも考えるという事は必要なはずだ。
「……努力しよう」
「ありがとうございます」
小さくため息を吐いた精霊に、ナハトは微笑んでそう口にした。




