第28話 実験失敗
精霊の元へ戻ると、やはりと言うか何と言うか怒り狂った精霊がいた。余計な事をするな、すぐに探せと両翼を羽ばたかせて抗議する彼に、頭を下げて懇願する。
「頼むからもう少しだけ時間が欲しい」
「ならぬ。もう十分時間はやった」
「そっちが余計なことするからこうなったんじゃないか!」
時間はやったと言い切る精霊に、ヴァロが声を荒げた。精霊に詰め寄る彼を宥めようと試みるが、ヴァロは首を横に振って続ける。
「そっちが勝手に動いたから、俺たちが対応したんだ。そっちのせいで時間がかかったんだから大人しく待てよ!ナハトはやるって言ってるだろう!?」
「おまえ…」
ゆらりと精霊の魔力が揺れた。それに慌ててナハトが間に入る。
「待て、彼に何もするな!」
「ナハト…!」
「きちんとやることはやるから、もう少しだけ時間をくれ。すぐに済ませるから」
ナハトがそう言うと、精霊は一度大きく鳴いて飛び去った。ぽかんとするが、すぐに今のうちに如何にかしろという事だと判断して、ヴァロと頷きあう。アッシュの前に倒れこんだままのディンに近づき、傷の様子を確認した。
意識はなく呼吸も浅い。体中に無数の傷があるが、特に左肩の傷が深かった。骨が折れて見えてしまっているうえにかなり出血がひどく、顔色も悪い。正直いつ死んでもおかしくないほどだ。
「ナハト、あの花の…」
すぐにヴァロの言いたいことが分かって、ナハトはヴァロの口に人差し指を当てた。首を横に振ると、怪訝そうな顔が返ってくる。
「訳は後で話す。とにかく、今現状で出来る限り手当をしよう」
「…わかった」
納得は出来ていないようだが、すぐにヴァロは頷いて道具を取り出した。協力して傷口を消毒して縫い、ガーゼを当てて包帯を巻く。骨が折れた個所は添え木を当て、回復薬も飲ませた。血が止まらなければかなり危なかったがそれもなんとか止まり、ほっと息を吐く。まだまだ危険な状態だが、とりあえず手当てを終えた今、先にヴァロに伝えておかなければならないことがある。
見張りをアッシュに頼んで治療のための道具を持ち、困惑した顔のヴァロの腕を引いてその場を離れた。
「ナハト…?」
視線で止め、少し離れた木の下へヴァロを誘導する。ディン程ではないが、ヴァロも魔物による切り傷を負っている。座るように言って、消毒液と包帯を取り出しながらナハトは口を開いた。
「ヴァロくん、覚えているかい?イーリーさんのところで”ディン”という名の男について聞かれたことを」
「え…?えっと…あ、人相がバラバラって言われてた…?」
唐突な質問であったがヴァロはすぐに思い出したらしい。今なぜそんな事をと不思議そうな顔をしていたが、自分が発した言葉に記憶が呼び起こされたようでみるみるうちに顔が歪む。
「え、まさか…!」
「ああ、彼がディンだ」
ヴァロが驚いて男を振り返る。複雑な思いが入り乱れているのだろう。助けた人物が、カントゥラで問題を起こした人物だと分かり、どうしたらいいのかわからないようだ。
だが、ナハトは言葉を続ける。
「私を気絶させてギルドへ運んだのも、君を裁定の場へ連れて来たのも彼だ。そして、カントゥラで私たちを監視していたのも。…君は、どうしたい?」
「えっ…」
言われている意味が分からずヴァロは眉を顰めた。腕の傷に包帯を巻きながら、ナハトは薄く笑う。
「彼は、君を酷い目に遭わせた一人だ。助けはしたが、君が何も知らないのに彼が死ぬ…それ自体に問題を感じたところが大きい。話を聞いた今、何も思うところはないのかい?」
「ない…わけじゃないけど…」
ちらりとヴァロはディンを見る。先程までは酷い怪我に対しての痛ましさを感じていたが、ナハトの話を聞いた今は、”怒り”の感情の方を強く感じていた。自分がされた事よりも、ディンがしたことによってナハトが”あんな目“にあったことの方がよほど問題だった。
そんな思いでナハトを見れば、ナハトは包帯を巻く手を止めて「どうした?」と微笑む。その顔には憂いも怒りも何も見えず、本当にヴァロ自身の気持ちだけを聞いているのだと分かった。それに少しだけ悲しいような悔しいような気持になって視線を落とす。
するとそんなヴァロの頬にナハトの手が伸びて来た。頬にとんだ血を拭い、そのままそっと撫でられる。
「また泣きそうな顔をしているぞ?そう深く考えなくていいんだ」
「……ナハトは、何も思わないの?」
ヴァロは思わずそう聞いていた。聞かれたナハトは「思わないこともないが…」と言いながら目を伏せる。その様子に、何も言うつもりはなさそうだと分かった。
「どうしたい?」と再度聞かれ、少し考えてヴァロは首を横に振った。ヴァロが彼に感じているのは、ナハトへしたことに対する怒りだ。ナハトがいいというならそれに従おう。
「わかった。ならば、これからのことを話そう」
「うん」
「助けもしたし、手当てもしたが…こちらの情報は与えたくない。私たちが助けたと思われるのも困る」
「そうだね…。じゃぁ…誰かに預ける?」
「ああ。だがそれも関係を疑われては面倒だ。だから…出口付近に置いてこよう」
ディンが気絶してから助けに入ったし、手当ての最中も目を覚ます気配はなかった。だから彼は魔物に襲われたところからの記憶はないはずだ。
このまま見知らぬパーティに拾われ外へ出れば、ナハトたちを追っていて魔物に襲われた―――とだけしか、覚えていないはず。酷い怪我であるし、上手くすればその辺の記憶もあいまいになるかもしれない。そうすればより好都合だ。
「死なれても困るし、目を覚まされても困る。すぐに移動しよう」
「わかった。俺が担いでいけばいい?」
「ああ、頼む」
すぐにヴァロがディンを担ぎ、出口付近へ移動した。
するとなんとも都合よく、丁度こちらへ向かってくる一団の影が見える。今なら置いて逃げたとしてもナハトたちが見つかることは無いだろう。行き倒れたような恰好になるよう下ろし、すぐにその場を離れて身を隠した。草の影からそのまま様子を窺っていると、やってきた彼らは予想通りディンを見つけ、怪我の酷さに驚いて慌てて連れて出て行った。
それにほっと息を吐く。
「…なんとかうまくいったな」
「そうだね。もうつけまわさないでくれると良いけど」
「そうだな…」
元いた場所へ戻ると、精霊が不満そうな顔で待っていた。急かすように鳴いて上空を旋回している。
ナハトは先ほど途切れた会話の続きをしたかったが、これ以上精霊の機嫌を損ねると面倒だと判断し、急かされるまま気配の位置を探った。慣れてきたので、もうドラコが肩の上にいても関係ない。目を閉じて気配を探った。
「…あちらだ」
感じたのはここから北西の方角。感覚からして、たどり着ける範囲だろう。
「行けそう?」
「ああ。ついてきてくれ」
聞いてきたヴァロにそう言って、ナハトはアッシュに跨った。無言でついてくる精霊とヴァロと共にしばらく飛び、気配の元へと向かう。
だが今回は、その気配の少し前で止まった。試してみたいことがあったからだ。
「どうした。ここか?」
聞いてくる精霊に、ナハトは気配へと手をかざしながら答える。
「気配はもう数十メートル先です。ですがこれ以上近づくと、魔道具の影響で弾き飛ばしてしまうようです」
「なんだと…?何故そんなことになる」
「何故と言われましても…。とにかく、この魔道具はここへ入るのに必要ですが、これがあるせいで弾き飛ばしてしまっている疑いがあります。なので、ここから魔力を集められないか試してみます」
かざした手の先に、ふわふわと薄く魔力の気配を感じる。ナハトはドラコをヴァロに預けると、息を吐いて両手を前にかざした。
試したかったのは、ナハトだけでも精霊の魔力を集められないかということだ。ルイーゼには魔道具を頼んだが、魔道具ではダメだった時のことも考えておかなければならない。なにより、すぐに魔道具が出来るかもわからない。ナハトだけで出来ることなど限られているが、それでも他の手を考えておくべきだろう。
これは、そう考えていたものの一つだ。精霊に急かされる事もあるが、何とかしなければという思いはナハトも同じだ。これで何かつかめると良いが。
目を閉じて両手の指を傷つけ、そこから魔力を薄く伸ばす。その状態で目標の魔力に触れた―――瞬間。
「…っあ!!」
「ナハト!!」
「ニャア!」
両手の中で魔力が弾けた。その衝撃はすさまじく、物凄い勢いでアッシュの背から後方へ飛ばされてしまった。
外から見ても相当の衝撃だったらしく、焦った顔でヴァロとアッシュがすぐに追ってくる。そちらに蔓を伸ばそうとして、ナハトは体がうまく動かせない事に気が付いた。
(「体が…痺れて…!」)
両手を中心にビリビリとした感覚が響き、体内に感じる魔力も不安定で少しも思い通りに動かない。落下していく体をどうにも出来ずにいると、すぐさまヴァロが魔術で手足を強化して騎獣を足場に飛んできた。ナハトを空中で抱え、そのまま森の中へ落下する。背の高い木を足場にして跳ねると、何の問題もなかったかのように地面へ着地した。
「大丈夫!?」
「ギュー!」
「ら…い…」
口まで痺れてうまく動かない。だが、痺れ以外は大丈夫そうだ。体内で魔力がぐるぐるしている感覚はあるが、それも時間とともに落ち着いてきている。時間が経てばおそらく大丈夫だろう。
しかし、それを伝えるための口がうまく動かない。ヴァロもナハトから返事がない為、動かしていいのかわからず膠着状態だ。抱き上げ、抱きかかえられたまま、ドラコもナハトの肩の上でうろうろしたまま少々の時間が経ち、やっと少しだけ痺れが取れて来た。
「すららい…」
「すまない」と言ったつもりだったのだが、しっかりと喋れるようになるにはまだもう少しかかるようだ。だが、言いたいことは伝わったようで、ヴァロはほっと息を吐いて首を横に振る。
「気にしなくていいから。体は大丈夫?」
「ああ…」
そう言って、指を開いたり閉じたりしてみる。痺れはあるが、指は舌よりも動くようだ。足も大丈夫な気がするが―――。
「おろいれくれ」
「おろ…あっ、わかった」
屈んで下ろしてもらって地面に足をつくが、膝が抜けて立てない。手を貸してくれるヴァロの手を離せないままナハトは大きくため息をついた。
ダンジョンに入ってからこんな事ばかりだ。ナハト自身も予測のつかない事に翻弄されているが、ヴァロやドラコは関係ないのにナハトに振り回されている。今も助けてもらえなければ地面に叩きつけられて死んでいただろう。本当に申し訳ない。
「ナハト、本当に気にしなくていいから」
「…ああ」
そんな暗い顔をしてしまっていただろうか。笑ってヴァロにそう言われ、ナハトも微笑み返した。
とりあえず元居た場所へ戻った方がいいだろう。精霊の姿が見えないこともある為、ヴァロに抱えられたまま彼の騎獣に乗る。
「く、苦しかったら言ってね」
「ああ」
腹に回ってきたたくましい腕と変に照れるヴァロに低く笑いながら、ナハトは後ろに寄り掛かった。並走するようにアッシュが飛ぶ。
「…あれ?」
元いた場所へ戻るが、そこに精霊はいなかった。見回してみるもどこにもおらず、ヴァロの感知にも引っかからない。
「俺間違えた?ここだったよね…?」
「ああ、間違いない。だがいないな…」
口の痺れは大分マシになってきた。ナハトも見回してみるが鳥の姿を借りた精霊は見当たらない。
「…どうする?」
「いないものはしょうがない。とりあえず、出来ることをやろう」
魔力も安定してきて、もう問題なく使えそうだ。手足の痺れ、特に手の痺れはまだ酷いが、大きく動かす分には何とかなる。ヴァロにそのまま支えていてくれるよう頼み、とりあえずナハトは契約した精霊の魔力を探った。
目を閉じて気配を探り―――気が付いた。
「…駄目だな」
「えっ、ダメ?」
「ああ…。遥か先に、なんとなく気配を感じるくらいになってしまっている」
明確にこちらと感じることが出来ないほど、精霊の気配は遠くへ行ってしまったようだ。
ナハトは両手を見た。確かにはじかれた感じはしたが、あの衝撃でナハトだけでなくあちらも飛ばされてしまったらしい。初めて試したことだったが、騎獣の背から弾かれて死にかけるし、ヴァロたちに心配かけたし、目的の精霊を弾き飛ばしてしまうし、体は痺れてしばらく使い物にならなくなるしと大失敗に終わってしまった。他にも考えている事はあるが、こうも予想だにしないことが起きるなら試す事がそもそも不安である。
考え込んでいるとヴァロが声をかけて来た。上から降ってきた声に顔を上げる。
「…ナハト、今日はもう休まない?」
「かまわないが…ああ、そうか。そういえば、ディンを助けてからずっと動きっぱなしだったね」
「それもあるけど…気づいてないみたいだけど、もう夜の8時をまわってるよ」
「えっ…」
時計を取り出そうとして落とした。鎖で繋がっている為地面まで行くことは無かったが、ぶら下がったそれをヴァロが取って見せてくれる。確かに時計は8時過ぎを指していた。
ここに入ったのは昼過ぎだ。それを考えると、かなりの時間動き回っていたことになる。意識した途端、どっと疲れが押し寄せて来た。
「あの鳥の精霊もいないし、今のうちに休もうよ」
「そうだな」
ヴァロもドラコもお腹を空かせているはずだ。同意して近くの野営地へ降りた。
本来野営の準備は分担して行うが、今回ナハトは痺れがあるせいで碌に動けず、テントの設営も水の補充も薪を集めるのも食事の準備も出来ず役に立たない。座ったままアッシュとヴァロが動き回るのを、ドラコに監視されながら見ていた。
「なんとも居心地が悪いな…」
いつも担当する食事も今日は作れず全て任せっぱなしだ。渡されたスープを恐る恐る受け取りながらナハトがそう呟くと、ヴァロが何か思いついたような顔をしてナハトの手から器をとった。にっこり笑った顔に、少々嫌な予感がする。
「なんだね?その顔は」
「ナハトまだ手痺れてるんでしょ?食べさせてあげるよ」
「…は?」
いつも揶揄うナハトに対する意趣返しだろうか。思わずぽかんとしたナハトにヴァロはにやりと笑う。
少し申し訳ないと思っていた気持ちが吹き飛んだ。重病人ならばいざ知らず、意識も何もはっきりしている状態で食べさせてもらうなどかなり恥ずかしい。それをわかってやっているのだ。照れ屋のくせに、そちらがそうくるならばこちらものってやらんでもない。
ナハトはわざと少し俯いて申し訳なさそうな顔を作って口を開いた。
「気づいてくれるとは思わなかったな。ありがとう。実はそうしてくれないかと少し期待していたんだ」
「え…」
「ヴァロくん、やはり君は優しいな」
微笑むと、揶揄おうと思っていただけに悪いことをしている気分になってきたのだろう。尻尾と耳がへにょりとさがり、久しぶりにもじもじとし出した。
何ともわかりやすいそれに笑って、ナハトは冗談だと言葉を返した。ほっとした顔のヴァロから器を受け取り、そう言えばと口を開く。
「君には、ディンはどう見えていたんだい?」
「え?どうって…」
「ほら、イーリーさんは人相がバラバラだといっていただろう?」
再度そう言えば、ヴァロは思い出したようにああと呟いた。自分の分のスープと肉を持って座り、頭をひねる。
「濃い茶髪で、浅黒い肌の大人しそうな印象の人に見えたよ。目は橙色っぽくて、耳と尻尾はネーヴェさんみたいな感じ」
「ほぉ。君にはそう見えたんだな」
「ナハトは?」
「私には金髪に黒い切れ長の目の男性に見えた。耳は小さくて、尻尾もそれほど長くは見えなかったな。ああ、肌の色は君とは反対に白く見えた」
「本当にバラバラなんだね…」
ヴァロはそう言ってがぶりと肉にかぶりついた。その下で、今日はドラコも食事をしている。切ってもらった生肉にかぶりつき、ヴァロと同じように咀嚼している。最近少し似てきた二人に、ナハトは笑いながらスープを口にした。出汁のきいたそれに思わず頬が緩む。
出会った頃は、ヴァロは肉を焼くといった簡単な物しか作れなかった。だが今はスープならそれなりにうまく作れる。ナハトがどんな体調の時も口にするのがそれである為覚えたようだが、今日のスープは今までで一番おいしいのではないのだろうか。
「やっぱり魔術なのかな?」
そう問われてナハトは顔を上げた。ディンの事を言っているのだとすぐに思い至って口を開く。
「…だろうな。ただ、どういう類の魔術なのか、私には見当もつかないが…」
最初は光の魔術ではないかと疑っていた。光の魔術の使い手であるカルストが、そういう使い方も出来ると言っていたことがあるからだ。だがそれは、動き回らないことが前提の魔術であったはず。あれだけ動き回っても問題なく発動できる類のものではなかったはずだ。
「気を失ってても、見た目変わらなかったもんね」
「それが一番不思議なんだがな…」
魔術は使い手が意識を失えば勝手に解かれるものだ。だというのに、ディンの外見は彼の意識があるないに関係なくそのままだった。ルイーゼあたりに聞けばわかるかもしれないが―――それはそれで面倒である。
会うたびに外見が変わるなら正直なところお手上げであったが、ナハトが見たディンは前回と外見が同じであった。ならば、そう便利な魔術ではないのかもしれない。
「まぁ、少なくともしばらく監視はないだろう。あの怪我だしな」
「そうだね…」
「それよりも、明日以降の事だが…」
ディンの事は置いておいて、明日以降の予定についてその後は話した。目的の精霊が遥か彼方へいる以上、今すぐナハトたちが出来ることは何もない。鳥の姿を借りた精霊が戻ってきたら一度話をして外へ出ようと思っていたのだが、結局就寝時刻になってもあの精霊は戻ってこなかった。




